野球部未経験者が1軍のマウンドに 「やればできる」と栃木で唱えた韓国の青年が母国でつかんだ夢
20歳で本格的に野球を始めて、その5年後にプロ入り。新人ながら1軍のマウンドに立ち、スター選手を抑える―――
そんな韓国ドラマのようなサクセスストーリーが、先月、KBOリーグで現実のものに。その姿に野球ファンのみならず、多くの人々が胸を熱くした。
LGツインズの新人右腕ハン・ソンテ(韓善泰、25)は6月25日、SKワイバーンズ戦の8回に3番手としてプロ初登板。打者4人に対してヒットと死球を与えるも0点で切り抜けた。
その後もリリーフとして2試合に登板し、ここまで計3試合、3回を投げて被安打2、無失点が続いている。
中学、高校で野球部に所属したことがない初のドラフト指名選手としてプロ入りしたハン・ソンテ。彼は昨年、ルートインBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスで研鑽を積んでいた。
初心者からの飛躍的な成長
「サイドから(球速)140キロ台中盤が出ていて、調子の波はあっても速くていい球を投げていました。野球を始めて間もないので、これからどんどん伸びるだろうとは思っていましたが、こんなに早く1軍で投げるとは想像していませんでした」
ハン・ソンテと親しい同学年の投手、前田大佳は落ち着いた口調でそう話した。
中、高と野球部の無い学校に通ったハン・ソンテが本格的に野球を始めたのは20歳の時の草野球。その後、約2年間の兵役を経て2017年に韓国の独立リーグでプレーした。そこで球速が110キロ台から大幅にアップしハン・ソンテは手応えをつかむ。そして翌18年に日本にやって来た。
他の選手に比べて野球経験が極端に乏しいハン・ソンテは、どのように成長していったのか。坂口直哉トレーナーは「伸びしろはあった」と振り返る。
「身体的に際立ったところはなかったですが、筋肉量はすごく多かったです。ランニングでも特に速くなかったので、投手コーチだったキム(ムヨン)さん、トレーナーの針谷(大)さんと相談して、瞬発的なスピードを出そうと取り組みました。最初はコンディショニングの知識が全くなかったんですが、方向性を決めたことで(ハン)ソンテに意識が芽生えていきました」
自身の意欲に加え、技術、精神面でハン・ソンテの大きな味方となったのが、韓国出身で日本の独立リーグを経験し、ソフトバンク、楽天でプレーしたキム・ムヨン投手コーチ(現・環太平洋大コーチ)の存在だった。
「やればできる」と未来を切り開く
ハン・ソンテの帽子のひさしには今もひらがなで「やればできる」と書いてある。
「ソンテがあまり日本語を話せなかった頃から、“夢は見るもの、為せば成る。やればできる”ということをよく言っていたんです」
八木健史バッテリーコーチ(昨年まで捕手兼任)のその言葉を聞いたハン・ソンテは「やればできる」が口癖となり、きつい練習の最中も「やればできる」と口にして乗り切っていった。
しかしハン・ソンテには「やればできる」では越えられない「壁」があった。
KBOリーグは毎年ドラフト前に韓国籍で海外の学校を卒業、または海外でのプロ経験者などを対象にしたトライアウトを実施している。このトライアウトはドラフトに向けたスカウトへの大きなアピールの場となるが、一昨年まで高校、大学野球での選手登録がない場合は参加資格がなかったのだ。
これにハン・ソンテは疑問を抱き、国家人権委員会に規則の改正を請願した。その行動によってKBO(韓国野球委員会)は、アマチュア選手登録経験が無くてもドラフト指名が受けられるようにルールを変更。ハン・ソンテは自らプロへの道を切り開いていった。
日本語も独学でマスター
ハン・ソンテの1軍初登板に栃木の面々は大いに喜んだ。前田にはハン・ソンテから登板後に電話が掛かって来たという。
「知らせを聞いてSNSで投球を見ました。ソンテらしくコントロールはアバウトでしたが(笑)、マウンドでは慌てん坊なところは見せずに明るい表情で投げていたので、すごいなと思いました」
また坂口トレーナーは初登板の2日前にハン・ソンテと電話で会話していた。
「2軍で抑えていて、2軍のオールスターに出るのが目標と言っていたんですが、その直後にまさかの1軍登板で驚きました。インターネットで試合で投げている姿を見て、鳥肌が立ちました」
ハン・ソンテは今年、育成選手としてプロ生活をスタートしたが、ファームで19試合0勝1敗、防御率0.36という好成績を残し、先月25日に支配下選手登録。即1軍に昇格というスピード出世を果たしている。
ハン・ソンテが栃木にいたのは昨季の1シーズンだけだ。しかし彼は野球だけではなく日本語も独学でマスターしていった。ハン・ソンテの勉強への意欲には誰もが舌を巻く。
「アニメで日本語を覚えたと言っていました。明るい性格でみんなとも会話が多かったですし、LINEでも普通に漢字を使います」
そう話す坂口トレーナーは今も月1回程度、ハン・ソンテに電話をしている。
また北本理歩広報も「日本に来て1、2か月で喋れるようになって、ラジオ出演でも普通に話していました」と話す。
目指すは国際大会での再会
NPBを目指すBCリーグの選手にとって、ハン・ソンテの飛躍は大きな刺激となる。140キロ台後半の速球が持ち味の前田は、ハン・ソンテと過ごした時を振り返りながら、こんな未来を描く。
「一緒にいた昨年は二人でどうやって向上していくか、精神的な弱さをどう克服したらプロに行けるかたくさん話しました。僕は今年、調子が悪くても結果が残せるようになって、ムラが無くなってきました。ストレートだけではなく細かいコントロールを意識して、変化球の精度も上がってきています。将来はソンテと国際大会で投げ合いたいですね。野球をやっている以上、そこを目指していくべきだと思っています」
「やればできる」
大人になって口にするには少し青臭さを感じるこの言葉。それを異国の青年は唱え続け、夢を現実のものとした。
<ハン・ソンテ 富川工高卒。兵役、韓国の独立リーグのチーム・パジュ(坡州)チャレンジャーズを経て、2018年にBC・栃木でプレー。身長183cm、体重79kg、右投げ右打ち。1994年6月14日生まれの25歳>