五輪出場なるか。4年半前の21U韓国代表の当時と今 日本は上沢、田口、誠也ら台湾は王柏融が参加
4年半前の2014年11月、初開催を迎えた国際大会があった。IBAF 21Uワールドカップだ。21歳以下を中心とした大会として2年に1度行われる予定だったが、2016年からは23歳以下の大会となり、21Uは第1回大会を最後に行われていない。
台湾で行われた21Uワールドカップは台湾が優勝。2位が日本、3位韓国という結果で幕を下ろした。その21U代表選手たちは現在、20代中盤となった。チームの中心選手になった者もいれば、トップチームで代表入りするまでに飛躍したプレーヤーもいる。
21U大会で韓国の3番打者として活躍したサムスンライオンズのク・ジャウク外野手(26)は4年半前を振り返ってこう話す。
「当時はとにかくバットにボールを当てることだけを考えていたけど、今は練習を通して感覚をつかんだので自分のスイングをしようと心掛けている」
4年半前のク・ジャウクは必死にプレーする姿が印象的だった。しかし月日を重ねた今は、打席の中でも余裕が見られる。21Uの時は軍入隊中だったク・ジャウクは除隊後、チームに復帰すると4年連続打率3割、2けたアーチを記録する活躍を見せている。
ク・ジャウクの他に野手ではカン・スンホ(SK)、カン・ギョンハク(ハンファ)、キム・インテ(トゥサン)などが代表メンバーだった。彼らには今季もレギュラー争いが待っている。
21Uの投手陣はイム・ギジュン、キム・ユンドン、ムン・ギョンチャン(以上、KIA)、イ・スミン(サムスン)が先発投手を務めた。イ・スミンは当時と今を比較し、「その頃の方が今より良かったかもしれない」と自虐的に笑った。
イ・スミンは高校時代に活躍を見せ、大きな期待を背負ってプロ入りした左腕だが、プロでの登板は5年間でわずか6試合。しかし故障から回復した今のイ・スミンの表情は明るい。
落合英二投手コーチも「以前は投球フォームのことを気にしていたが、今は心配が減って明るくなった」と話す。23歳の彼に再起のチャンスはまだある。
21Uにはアマチュア選手も参加していた。大学1年生の時に代表入りした左腕投手のチェ・チェフン(24=サムスン)は「当時より体にパワーがある」と成長を口にした。
韓国は21U大会の2次ラウンドで日本に0-1で惜敗し、決勝進出を逃した。その試合に先発し、韓国打線を7回無失点と好投した投手は上沢直之(25=北海道日本ハム)だった。上沢は昨季、自身初の2けた勝利となる11勝を記録し、今季の開幕投手が内定するほどの存在になった。
またその試合で2番手のマウンドに上がったのが巨人の田口麗斗(23)だ。田口は昨季こそ苦しんだが2016、17年には10勝、13勝と先発投手として活躍を見せた。
建国大4年生の時に大会に参加したムン・ギョンチャン(26)は当時の日本のメンバーの中で最も印象に残っている投手に田口の名前を挙げた。田口の力ではなく、制球力で勝負する投球スタイルは、韓国の選手の記憶に今も刻まれている。
その他の日本の21Uメンバーには、現在では広島の4番に座り、トップチーム入りも果たしている鈴木誠也(24=広島)、また近藤健介(25=日本ハム)、北條史也(24=阪神)らがいた。鈴木は決勝の台湾戦に0-9で敗れた後、ベンチの中で一人うなだれて悔しがっていた姿が印象的だった。
そして台湾の4番は当時大学生で今年から日本ハムでプレーする王柏融(25)が務めていた。当時、王柏融に過去の国際大会で印象的な場面について尋ねると「北京オリンピック、WBCでの稲葉(篤紀)選手の活躍には、同じ左打ちの外野手として注目した」と話した。
その後の王柏融は台湾のプロで三冠王、2度の打率4割を記録するなど大活躍。大きくはばたいて日本へと渡った。そして王柏融が憧れた稲葉が17年から日本代表を監督として率いているというのも時の流れを感じる。
来年、東京オリンピック(五輪)で正式種目として復活する野球。野球が五輪で最後に行われた08年北京五輪では韓国の若い選手たちが躍動した。20代中盤になった4年半前の21Uメンバーたち。彼らの中から何人が五輪の舞台に立つだろうか。
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※本記事は筆者がスポーツ朝鮮に韓国語で寄稿したコラムを、スポーツ朝鮮の承諾を得て日本語で加筆し再編集して執筆したものです。
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