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10年なんてまだまだじゃないですか――空野青空アイドル活動10周年記念インタビュー

宗像明将音楽評論家
空野青空(筆者撮影)

2013年に富山県のご当地アイドルとして活動を始めたアイドルの空野青空が、今年アイドル活動10周年を迎えた。「北陸の”蒼い彗星”」としてのソロ活動を経て、2019年にARCANA PROJECT、2021年にでんぱ組.incに加入。現在は両グループを兼任しながら、2024年1月には卒業公演をもってでんぱ組.incから卒業する予定だ。そんな空野青空に10年を振り返ってもらうと、将来に向けたロングスパンでの展望も聞かせてくれた。

でんぱ組.inc加入はアイドル人生を賭けたチャンスだと思った

空野青空(筆者撮影)
空野青空(筆者撮影)

――2023年9月11日、空野青空さんがでんぱ組.incからの卒業を発表したとき、私も現場にいましたが、会場が静まり返りましたね。

空野青空 本当でしたよね(笑)。私は人生で初めてファンの方々の前で卒業発表をする機会だったんで、どんな反応なのか、いまいち想像ができていなくて、もうちょっと声が出るものなのかなと思ってたんですけど、誰もいなくなったのかって思うぐらいシーンってなって。でんぱ組.incのファンの方々にとって、メンバーが卒業するっていうことは本当に重いものなんだなって改めて感じました。

――あの日を迎えるまで、どんな気持ちで過ごしていましたか?

空野青空 インターネットで先に発信することもできる時代じゃないですか。でも、そうじゃなくてステージで直接ファンの方々に気持ちをお伝えして、ちゃんとリアルに言葉を伝えるっていう機会をいただけたのはすごい嬉しくて。卒業発表ってなると一字一句が大事じゃないですか。ちょっとでも自分の気持ちと違うことを言っちゃって、それが拡散されたりするのは嫌だなって思ってたから、伝え方をプロデューサーのもふくさん(福嶋麻衣子)とか各方面の方々と相談しました。緊張してましたね、発表までの期間は。

――2021年2月16日にでんぱ組.incに加入してから、もう2年以上が経ちましたね。

空野青空 私にとって救世主みたいな存在がでんぱ組.incだったんですよ。でんぱ組.incに加入するお話をいただいたときも、ARCANA PROJECTを始めて、ソロ活動をしつつ、自分がこれからどう上がっていけるのかのビジョンを描くのがすごく難しくて、悩んでたんです。そういうときに誘っていただけて、「このアイドル人生を賭けたチャンスだな」って思ったし、それがきっかけでアイドルとしてのあり方が改めて変わった部分もあるし、本当にいろんなことを吸収できる場所だったなってすごく思っていて。いろんな方の助けをいただけるからこそ、自分ひとりでプラスを生まなくても、頑張れば頑張るほどプラスになっていくし、人生も豊かになっていくと思うんです。だけど、逆に甘んじちゃう部分もあるなってすごく思っていて、「いただいてばっかりだな」って思って。いかに自分が恩返しをしたり、結果を残せたりできるかをすごく頑張っていました。

――それうまくいきましたか?

空野青空 まだまだ返しきれないものだと思うし、私がアイドル、アーティスト、タレントとしての人生のなかで、おばあちゃんになったときに、でんぱ組.incに関わってくれていた人たちが、「元気に活躍してくれて嬉しいよ」って言ってくれるのが最終的な恩返しなのかなって思ってるんです。だからこそ、ちゃんとみんなに笑顔や「楽しい」っていう気持ちを届けていく活動はやめたくないなってすごく思います。

――以前から、おばあちゃんになっても活動することを視野に入れてますよね。

空野青空 やっぱり長く続けることが大事だなって思っていて、でもダラダラ続けるのはすごく嫌なんですよ。だから、長く続けて、その中身をすごく濃厚なものにしていきたくて、これから先の人生でちゃんと爪痕を残していけるように頑張りたいんです。

――でんぱ組.incでは爪痕を残せましたか?

空野青空 ちょっと傷痕みたいのもあるかもしれないけど(笑)、本当に私をすくすく育ててくれた場所で、本当に居心地がいい、大好きな場所です。

――でんぱ組.incの活動で、特に印象的な出来事を教えてください。

空野青空 中野サンプラザ(2021年11月13日『でんぱ組.inc ワンマンライブ 特別公演「箱庭の掟」』)のワンマンライヴですね。アイドルの聖地と言えば中野サンプラザっていうイメージがあったし、ホールでやる緊張感もあって、「コロナ禍で声を出せないけど、みんなでどう盛りあげてストーリーを作っていくか」みたいな形のライヴだったんですよ。ステージに立ったときのサイリウムの海が本当に綺麗で、「私、アイドルやってて良かったな」って1曲目で改めて感じたんですよ。その景色はやっぱ自分の中で忘れられないですね。

でも、こうやってでんぱ組.incは前に進んでいくんだ

空野青空(筆者撮影)
空野青空(筆者撮影)

――ARCANA PROJECTとでんぱ組.incの兼任にプレッシャーを感じることはありましたか?

空野青空 私、実はプレッシャーは全然感じてなくて、やりがいのほうがすごく大きくて、「自分が何かをできるから選んでもらった」っていう自信になっていたんですよ。「新たにできる任務がありますよ」って言われてやっているみたいな気持ちでいて、直接的に言われたわけじゃないんですけど「あなたにしかできないことがこれです」と言われてる感覚で。もちろん、物理的にスケジュールが忙しくて大変、っていうのはたしかにありはするんですけど、でんぱ組.incの卒業は、ちゃんと私の中でけじめをつけたいと思ったんです。

――けじめ?

空野青空 せっかく大好きな場所なのに、本当につらくてやめるっていうのが自分は嫌だなってすごく思っていて、みんなで一緒に大団円、「ワーイ!」みたいな卒業式を絶対にやりたいなって思ったんですよ。それがでんぱ組.incに入るにあたっての自分の最終目標で。どんどんタスクがすごく増えちゃって、自分もいっぱいいっぱいになるときもあったんですよね。でも、そのせいで卒業するのは違うなって思っていて。だからこそ、ちゃんと自分が「楽しいな、すごく大事にしたいな」って思ってる今だからこそ、ちゃんと卒業しようって思いました。

――大きな決断ですよね。

空野青空 そうですね、本当に。やめたくないって思うタイミングもすごくいっぱいあるんですよ。だって楽しいし、みんなのことも好きだし、でんぱ組.incにしかできない表現っていっぱいあるじゃないですか。それでもちゃんとけじめをつけたいなって思っている自分もいて。自分がアイドル活動を長きにわたりやってきて、歳を重ねていくうちに、できることとできないことが増えていくと思うんですよ。時間の使い方もシビアになってくると思うんですけど、私はそのシビアな感じでカチカチって管理して活動をするのは自分のポリシーに反しているというか。「楽しい」っていうものを追求して、みんなで「楽しい」っていう感覚になるのが、自分の追い求めているアイドル像、タレント像なので、柔らかくエキサイティングに「楽しい」を届けることができるのは、ここが節目かな、って自分で線を引きました。

――では「兼任が大変だ」という次元の話ではないと?

空野青空 自分の中の感情とか、いろんなものを相対的に見て、体力だったり、精神的な健やかさだったり、いろいろ考えたときに、「ここかな」って思ったタイミングでした。

――健やかじゃなくなる瞬間もあったんですか?

空野青空 そりゃありますよ! もう悲しすぎて、なんかわかんないけど悲しすぎて、事務所に来る前に八百屋さんでパイナップルを買って、パイナップルを抱えて事務所に来たときもありました。

――そのパイナップルはどうなったんですか?

空野青空 おいしくいただきました(笑)。

――そういうときもやっぱりあったんですね。

空野青空 本当にありましたね。大変な仕事ですよ、アイドルっていうのは。

――しかも、グループをふたつ兼任してきましたしね。

空野青空 そうなんですよ。たとえば振り付けをどっちのグループも覚えなきゃいけないので大変で、自分の要領が良くないとか、ダンスがそこまで得意じゃないとかで落ちこんだりして、パイナップルを抱えたりはしましたけど(笑)、それ以外は「アイドルつらいな」って思ったことはなかったですし。

――本当はでんぱ組.incを卒業したくないんじゃないですか?

空野青空 そんなこと言わないでくださいよ、もう! ちょっと聞いてほしいんですよ! この間、私が卒業した後の活動の準備を見たんですよ。自分が卒業したでんぱ組.incを俯瞰的に見るのは初めての感覚だったんですけど、なんかすごく寂しいし、入りたいし、「でも、こうやってでんぱ組.incは前に進んでいくんだ」って、自分の心にタトゥーを刻んだというか、(歯を食いしばる表情で)「ウゥーッ!」って見ていました。

富山ソロ時代、「好き」を発信し続けて良かった

空野青空(筆者撮影)
空野青空(筆者撮影)

――2013年に富山県のご当地アイドルとしてデビューしたときは、こんなにアイドルを続けると思っていましたか?

空野青空 富山県でご当地アイドルを始めたときは、もう本当に何にも考えてなかったと思うんですよ。「AKB48さんみたいに劇場で公演していたら、マネージャーさんが営業してくださって、どんどん仕事が入っていくんだろうな」って思ってたんですけど、やっぱりそんな甘い世界じゃなくて、自分でちゃんとSNSで発信しなきゃいけないし、そこから自分の手でつかみ取る部分もあるんですよ。好きな仕事につながる部分もたくさんあるし。今思ったら、ご当地アイドルの頃は売れようとも思ってなかったです。高校を中退して、カレー屋でバイトしていた頃に、そこのおばちゃんが「アイドルあるよ」ってすすめてくれたのがきっかけで。あの頃は、アイドルが好きでアイドルになったわけじゃなくて、アニメソングを歌いたかったし、自分が輝ける仕事がしたかったんですよ。そういうお仕事をするために、ご当地アイドルをやってステップアップしていこう、みたいな気持ちで始めたんですけど、「アイドルで売れよう」っていう感覚とはまた違ったかな。アイドルを好きになったのはソロ活動を始めてからなんです。

――2014年からソロ活動を始めて、2019年12月15日にARCANA PROJECTへの加入を発表するまで、長い期間ソロ活動が続きました。あの時代が今の活動の礎になっている部分はありますか?

空野青空 本当にそうなんですよ。自分でやってきたことに手を差し伸べてもらった部分がすごく大きくて、ひとつひとつの仕事が今につながってたりするんです。自分の「好き」っていう気持ちをSNSとか、いろんなところに全面的に押しだすタイプだったので、それが種まきになって、いい意味で花開いてお仕事につながっていったから、あの頃「好き」って言い続けて良かったなって思います。でんぱ組.incもすごく大好きで、テレビ朝日さんの「愛踊祭」で北陸にも来てくださったんですよね。そこでハマったんですよね、「こんなアイドルさんがいるんだ」と思って。私って、もともと「AKB48さんみたいなアイドルしか勝たん」みたいな感じだったんです。でも、でんぱ組.incが髪の毛を振り乱して、汗だくでパフォーマンスしているのを見て、「アイドルの汗ってこんな綺麗なんだ」って、熱やパワーを感じたんです。すごくパワフルで、見ているとオタクのすべてのモヤモヤを浄化してくれるみたいな作用があるんですよ。でんぱ組.incっていうテーマパークを見ているみたいな感覚になったし、そこからソロアイドルとしての自分の売り方や曲の感じもちょっとずつ変わっていって、すごく影響も刺激も受けました。

――富山でのソロ時代は、北陸と東京を行き来して活動していましたけど、東京進出に対する焦りみたいなものはありましたか?

空野青空 あんまりなかったかもしれないですね。どっちでのお仕事もいただいて、「どっちにいてもいいかな」ってなると、北陸にいたほうが実家だし、事務所もあるしみたいな。気づいたら東京でのお仕事も増えてきて、「東京で暮らしたほうがいいじゃん」ってなるんですけど、最初の頃は拠点が北陸で全然苦ではなかったです。

――とはいえ、ソロ活動で大変だったこともあるんじゃないですか?

空野青空 「精神的に大変」って、そこまで感じたことはないんですよ。ただ、2019年頃に、自分の精神に関係なく、ステージに立つと怖くなる……みたいな感じになったことがあって。お医者さんにも「心は元気ですね」って言われたんですけど、自分では制御できない部分でそうなっちゃったりして。グループのほうがやっぱり責任が分散されるっていう感覚があるし、グループのみんながいてくれる安心感があるので、すごく助かっています。

――そういう時期にARCANA PROJECTに入ったのも良かったのかもしれませんよね。

空野青空 かたじけない! 

北陸を絶対に捨てはしないぞ

背後の建物にとまる鳩の真似をする空野青空(筆者撮影)
背後の建物にとまる鳩の真似をする空野青空(筆者撮影)

――2020年1月18日にARCANA PROJECTのデビュー・ライヴ「ARCANA PROJECT お披露目ライブ」が開催されて、ランティスという大手アニメレーベルに所属して、念願のアニソンを歌うことになりましたね。

空野青空 コロナがはやる前にライヴもできて、最初は良かったんですよ。声出しもあって、オタクのみんなとライヴを作るのが私自身も好きですし、アニメソングを歌うことができるっていうのもすごい嬉しくて、「ここからだ!」みたいなときに、コロナの自粛期間がドーンって来ちゃって、家に閉じこもりきりで活動できない時期が続いて。メンバーでZoomをつなげて配信をすることぐらいしかできない期間があって、「何のためにやっていけばいいんだろう?」みたいな感覚になって。アニソンを歌うことができるっていうユニットで、本当ならグループとしてもみんなで和を深めていきたいし、活発に活動したいタイミングなのに、不安じゃないですか。自分もグループ活動に慣れてないから、みんなで集まって、仲を深めることをすごくやりたかったんですけど、それができないっていう期間が苦しかったです。唯一の救いが、アニメソングを歌うためにいろいろ下準備をして、RECもあったりして、それが救いだったんです。

――2021年2月16日にでんぱ組.incにも加入したわけですが、ARCANA PROJECTのメンバーは快く送り出してくれましたか?

空野青空 実はでんぱ組.incに入るのは、その発表直前にみんなに伝えるっていう形だったんですよ。ARCANA PROJECTのグループLINEに「空野青空さんはでんぱ組.incに加入します」みたいなお知らせが直前に行って、私も「こちらも頑張りますのでよろしくお願いします」みたいな感じで書きこんだんですけど、みんな「すごい」「びっくり」「頑張って」みたいな感じで、すごい快く押しだしてくれたので一安心でしたね。うーちゃん(桜野羽咲)だけは勘づいていて(笑)、気づかないふりをして黙っていてくれて。

――でんぱ組.incから、どんなものをARCANA PROJECTに還元できたと思いますか?

空野青空 ちょっとまだ還元できてないなって、すごく歯がゆい思いがあるんですよ。自分は教えるのが苦手なタイプで、たとえばでんぱ組.incで吸収したものがあったとしても、それをみんなにどう伝えるかっていうのがすごく難しくて。教えるっていうよりは、自分がそういう行動を見せて、それを見て「いいな」って思ってくれた人は吸収してくれるだろうし。でも、ARCANA PROJECTを大きくしていくためには、やっぱり言葉で伝えなきゃいけないなって、ワンマンライヴの反省会のタイミングで思いましたね。でも、押しつけみたいな感じにはしたくなくて、「難しい!」って(笑)。いい部分はARCANA PROJECTに落としこみたいなって思ってます。私もARCANA PROJECTの中では業界的に先輩のほうなんで(笑)。

――2014年3月から出身地の富山県高岡市の観光大使「あみたん娘」を続けていたり、2020年8月1日には高岡市の「まっとっちゃ高岡!魅力発見スタンプラリー」キャンペーンガールになったり、地元での活動も続けていますね。

空野青空 「自分にしかできないことをやりたい」っていうタイプなんですよ。アイドルちゃんはそれぞれの故郷があったりするじゃないですか。自分は関東圏出身じゃないからこその大変さもあるんですけど、あえてふるさとがあることをプラスにするために、そういう仕事は絶対やっていきたいなって思っていて。なおかつ、「北陸の”蒼い彗星”」を名乗ってきたからこそ、「北陸を絶対に捨てはしないぞ」っていう意思をみんなにも伝えたいんです。新しくファンになってくれた方々にも、「本人は富山県出身なんだ、高岡市の観光大使もやってるんだ」って、ふるさとを知ってくれるきっかけにもなったらいいなって思うし。長く続けるにあたって、ご当地ってすごく大事にしていけると思っているので、いっぱいお仕事をしていきたいです。

――北陸のファンの人たちもいるし、地元を離れるという決断には葛藤もありましたか?

空野青空 私は北陸で活動させていただいて、同じ場所でずっと活動していくのもすごく尊いことだけど、キャパが広がらないっていう問題があるな、ってずっと思っていて。地元の方々に向けて「地域活性化しましょう!」っていうのもすごく大事なことなんですけど、それプラスいろんな方面に「私の地元、こういう感じですごく素敵なんですよ!」って広めていくと、どんどん広まっていくと思うんですよ。そっちのほうがアーティストとして活動していくなかでも、結局のところファンの方々的にもいいんじゃないかなって私は思っていて。ファンの方々としては、「出てっちゃったら手が届かない」みたいになっちゃうのかもしれないですけど、私はすごく地元も大事にするし、手が届かないわけじゃなくて、みんなにちゃんと恩返しをしたいからこそ、外に出ていってたまに帰ってくるんだよ、ということを理解してくれたらいいなと思ってます。

――そうなると、新しいファンのみなさんが高岡市に聖地巡礼に行くのも理想ですね。

空野青空 いずれは、たとえばですけど富山にお店を持つとか、高岡市や川崎市にお店を持つとか。フランチャイズですよね(笑)。

――それは何の店ですか?

空野青空 「あおにゃんショップ」みたいな?(笑)

――あはは。そうやって関東に来て、2023年4月2日から川崎市広報番組「LOVEかわさき」のプレゼンターになり、2024年1月8日の卒業公演は川崎CLUB CITTA’で開催されますが、こんなに川崎市と縁が深くなるとは予想していましたか?

空野青空 思わなかったです。でも、実際にロケで足を運んでみると、けっこう人情味が厚くて、ちょっと下町感があって、すごくフレンドリーな人が多い感じで、素敵な街ですね。それに川崎市って広いじゃないですか。本当に面白いスポットいっぱいあるなと思って、すごく楽しいです。

――2023年7月7日に開催された空野さんの10周年記念イベント「#アオネコ超会議 vol.8~アイドル十年戦士記念のまき~」に出演したのが、ほぼ北陸のアイドルというのも、昔からの仲間を大事にする空野さんの人柄が出ていたと思いました。

空野青空 嬉しいです。改めてあのイベントができたのがすごく嬉しいなって思って。忙しい日々を過ごしてると、自分でイベントを組むことを忘れていて、節目に合わせて、ああいうイベントを組めたのはすごく良かったなと思って。みんな元気に活動してるっていうのが私はすごく嬉しくて、本当に同窓会みたいなイベントになりました。北陸を飛び出てから出会った仲間もいっぱいいるので、またイベント組んだりしたいなと思ってるんです。

活動10年、体感時間はまだ3年

空野青空(筆者撮影)
空野青空(筆者撮影)

――でんぱ組.incを卒業した後、ARCANA PROJECTの活動にはどう向きあっていきたいですか?

空野青空 もう新人の枠では絶対やっていけないなって思っていて。ちゃんと結果を残して、中堅以上に食いこんでいかなきゃいけないって思いますし、いろんな作品に携わらせていただくからこそ、その作品を大事にする姿勢も発信していかなきゃいけないなって思いますし、でんぱ組.incとは違ったシビアな部分も出てくると思うんですよ。その作品に携わらせていただくにあたっての責任感がすごく強くて、自分のオタクパッションでは太刀打ちできないプレッシャーも実はあって。オタクパッションをいかせる部分ではいかしていきたいけど、ARCANA PROJECTの活動のなかでは、ちょっと抑えなきゃいけない部分もあるし、タレントとアーティストと両方の顔を使いわけていけるようになれたらいいなとは思っていて。配慮のできる大人になるぞ!(笑)

――空野さんと言えば猪突猛進のオタクパッションなのに。

空野青空 猪突猛進すぎると危ない部分がありますので、そこはもう大人ですよと。私も頑張ります(笑)。

――この10年間を振り返って、長かったですか、短かったですか?

空野青空 私としては体感まだ3年ぐらいです。

――短いですね。

空野青空 もう蓋を開けてみると、ひとつひとつ重みがあって、すごく内容が濃くて、鮮明に思い出されるような玉手箱ばっかりだな、みたいな。でも、10年って考えると、「意外とまだまだだな」って思うんですよ。50年とかになると「頑張ったね」って思うけど、10年なんてまだまだじゃないですか?

――やはりおばあちゃんになるまでロングスパンでやりたい、と。

空野青空 ロングスパンですね、はい。

――アイドル活動を始めた10年前の自分に何か言葉をかけるとしたら、どんなものでしょうか?

空野青空 食生活に気をつけろ、おまえは太りやすい!

――意外と感動的な話じゃないですね。

空野青空 感動的なことで言うと……。

――お気遣いすみません……。

空野青空 「ちゃんと自分を信じた方がいいよ」って。ちゃんと自分を信じて突き進むのが、正解だと思います。

――最初の頃は、自分を信じてなかったんですか?

空野青空 いや、逆に信じすぎていて、あの頃のほうが変に自信があったし、周りがそんなに見えてないからこそ、自信を持って何にでも取り組める部分が大きくて。その感覚も楽しんでほしいなと思いますね。今思うと、始めた頃だからこそ自分の立ち位置がうまくわからなくて突っ走っちゃって、でも、それは若さゆえのエキサイティングな感覚じゃないですか。

――それを経て、いろいろ学んでの現在ということですね。

空野青空 これからも学び、学びですね。

ワンマンライブ

■2024年1月8日(月祝) Opne 16:00 / Start 17:00

でんぱ組.inc ワンマンライブ「蒼い彗星、宇宙を駆ける 〜空野青空卒業公演〜」 at 川崎CLUB CITTA’

■2024年1月13日(土) Opne 16:00 / Start 16:30

でんぱ組.inc ワンマンライブ「蒼い彗星、宇宙を駆ける 〜空野青空卒業公演〜」at 富山MAIRO

https://dempagumi.tokyo/2023/10/18/dempa-4/

音楽評論家

1972年、神奈川県生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。著書に『大森靖子ライブクロニクル』(2024年)、『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』(2023年)、『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』(2016年)。稲葉浩志氏の著書『シアン』(2023年)では、15時間の取材による10万字インタビューを担当。

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