世の中何が起こっても不思議じゃないんだ ソウルフラワーBiS階段出演「ボロフェスタ2013」レポート

ソウルフラワーBiS階段でのファーストサマーウイカ(写真提供:ボロフェスタ)

「ソウルフラワーBiS階段」という謎の文字列

 12月になってしまったが、2013年の秋を振り返ったときに記録しておきたいのが、10月25日~27日に開催された「ボロフェスタ2013」だ。2002年から京都で続くフェスティヴァルに、私が初めて足を運んだのは最終日の10月27日。台風27号のせいでなかなか行けるのか見通しが立たなかったが、ようやくが台風が去ったので新幹線に飛び乗った。

 この日のソウル・フラワー・ユニオンのステージに関しては、Twitter上で「ソウルフラワーBiS階段」という謎の文字列がたびたび登場していた。正式なアナウンスこそなかったものの、字面からすると当然「ソウル・フラワー・ユニオンとBiSと非常階段によるユニットが登場する」ということになる。台風が去ったのなら、もう京都へ行かない理由はなかった。

BiS階段で突如現れた巨大なステンドグラス

 新幹線で京都に到着後、「ボロフェスタ2013」の会場のKBSホールに向かって、京都御所の横の道を歩く。晴れ渡った秋空が気持ちいい。

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 Homecomingsのライヴ中にKBSホールに到着。2012年のアルバム「My Lost City」も快作だったceroは、骨太でかなりファンキーなリズムセクションを主軸にしたサウンドに、フルートや飄々としたラップも絡むステージを展開していた。想像以上に力強い演奏に気圧されたほどで、最後の祝祭感は感動的ですらあった。

 そしてBiSを最前部の圧縮の中で見たのだが、開演前から「一歩前に」というアナウンスが入る盛況ぶり。この日最初のBiSのステージは、「サニーサイドのBiS」とでも呼ぶべき陽性のエネルギーに満ちていた。最後の「DiE」では、非常階段のJOJO広重とT.美川が参加。

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(写真提供:ボロフェスタ)

 BiS終了から間髪を入れずに、ノイズに導かれて非常階段のライヴがスタート。非常階段の4人にナスカ・カーの中屋浩市のテルミンが加わり、激しいステージを展開。JOJO広重はギターと拳で客を殴る一方、握手もしていて、まるで飴と鞭のような騒乱のステージが展開された。

 再び登場したBiSと非常階段によるBiS階段では、プー・ルイが容赦なく撃ちまくるスタンガンにファンが群がる地獄絵図に思わず爆笑。かと思うと、終盤「primal.」の冒頭では、突如としてステージ後ろのカーテンが開いて、一面の美しいステンドグラスが登場した。これには衝撃を受けるとともに、その美しさに感動してしまった。エモーショナルな楽曲、響き渡るノイズとともに施された素晴らしい演出だった。

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(写真提供:ボロフェスタ)

 さらにテンテンコはファンの頭上を歩いていく。まるで聖書のワンシーンを見ているかのようだった。カミヤサキもファンの頭上を歩いていき、さらにふたりはサイドステージの櫓の一番上にまで登っていく暴れぶりを見せた。

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(写真提供:ボロフェスタ)

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女川町の復興とBiSと「ボロフェスタ」

 ロビーの「bee-low stage」では、宮城県女川町の蒲鉾本舗高政の高橋正樹と「ボロフェスタ」の飯田仁一郎によるトークセッション「復興とBiSにいのちを捧げた女川の蒲鉾屋のお話!」も開催された。以下、私による要約を掲載したい。

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 「ソウル・フラワー・ユニオンが好きで、彼らが被災者支援をした阪神淡路大震災に僕も支援に行ったときは、後に東日本大震災で自分が被災者になるとは思わなかった。(ソウル・フラワー・ユニオン)の中川敬さんが、津波で流された僕のターンテーブルを女川で見つけてくれた。」

 「最初に出た『ボロフェスタ2011』には震災の話をするため中川さんに呼ばれた。その『ボロフェスタ2011』でBiSを見た。研究員の熱に衝撃を受けた。この熱を女川の人たちにも見せたいと思った。」

 「女川さいがいエフエムでBiSの『太陽のじゅもん』を流したら、曲名を教えてほしいとメールが来た。友達を津波で失くした女の子だった。同じ頃にエイベックスから『支援で誰でも出演させます』と連絡が来た。BiSが女川に来てくれたが(2012年9月23日の『おながわ秋刀魚収穫祭』)ゲリラ豪雨に遭って、演歌の皆さんはなんとかやれたが、一旦中止の判断になった。でも研究員(BiSファンの総称)がやる気満々だった。あのとき来てた研究員は20人ぐらい。(ここで飯田仁一郎が笑って『狂気の20人ですね』と発言して会場も笑いに包まれる。)実行委員長も感心して再開することになった。」

 「雨なので買った女川のタオルを研究員たちが(BiSの)『primal.』のサビで広げたとき、町のおばあちゃんが泣いた。『太陽のじゅもん』は鎮魂歌になった。あの熱が必要なんだ、民意だ理屈だとかじゃない、『おまえらのふるさとはここにしかないんだ』と研究員に僕は教えられた。人が女川から引っ越していく。仮設住宅が高台にあるが、家があっても住民票は女川町になかったりする。僕も住民票があるのは石巻。かさ上げが急ピッチで進んでいる。一番必要なのは熱。それをBiSが具現化していた」

 話題は女川原子力発電所にも及んだ。

混沌とした狂騒と日本の土着的な祝祭のイメージ

 地下の「underground stage」ではクウチュウ戦のライヴを見た。「ボロフェスタ2011」ではBiSがここでライヴをしたというのが信じがたい狭さだ。そのBiSが今回の「ボロフェスタ2013」で登場するのは、メインステージである「10m stage」。しかも3回も登場することになる。

 飯田仁一郎もメンバーであるLimited Express(has gone?)は、3ピースで鳴り続ける轟音と叫び声のようなヴォーカルを聴かせた。ニュー・ウェィヴ的な衝動を、現在において有効な肉体性に落とし込んだかのようなサウンドだった。

 メインフロアの「9m stage」のトリを務めたのはでんぱ組.inc。「でんでんぱっしょん」「W.W.D II」「Future Diver」「でんぱれーどJAPAN」といったシングル曲群や、ビースティー・ボーイズの「Sabotage」のカヴァーのほか、BiSの「IDOL」のカヴァーも披露。振りも含めて完全の自分たちのものしてしまったカヴァーだ。無数のサイリウムの輝きと激しいコールが起きるフロアも圧巻だった。

 そしていよいよ、メインフロアの「10m stage」の大トリとなるソウル・フラワー・ユニオン。最新ミニ・アルバム「踊れ!踊らされる前に」のタイトル曲からシリアスに始めつつ、「死ぬまで生きろ!」からアッパーな楽曲群へ。彼らの場合は、踊れる楽曲でも悲哀や清濁を併せ飲んでいるところが魅力で、特に「死ぬまで生きろ!」はそのストレートなメッセージも含めてこの日の「ボロフェスタ2013」にふさわしい楽曲に感じられた。

 胸をヒリヒリと焦がすような「荒れ地にて」の最後に中川敬は叫んだ、「人生は祭りだ!」と。続けて、人生の喜怒哀楽を高らかに歌う「風の市」。そして、阪神淡路大震災で生まれ、高橋正樹との出会いにもなっていた名曲「満月の夕」が歌われた。今夜ひときわ力強く響いていたのは、チリの軍事政権に虐殺されたヴィクトル・ハラのカヴァー「平和に生きる権利」。「うたは自由をめざす!」では福島、三陸、沖縄、京都の地名が織り込まれた。

 本編の最後で「神頼みより安上がり」が歌われた時点で、すでに私は相当満足していた。しかし、アンコールで私が京都に来た理由である「ソウルフラワーBiS階段」、つまりソウル・フラワー・ユニオンと非常階段とBiSの合同ユニットが遂に登場した。

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(写真:オオクマリョウ)

 ソウル・フラワー・ユニオンのライヴで一番の盛りあがりとなることが多い「海行かば 山行かば 踊るかばね」も、その日は冒頭から非常階段のJUNKOの絶叫に包まれることに。「踊る阿呆に見る阿呆」という阿波踊りのフレーズとともに、中川敬は「原発反対」「忘るな福島」「おっぱいおっぱい」と歌う。そして高橋正樹は蒲鉾本舗高政のカマボコを投げて配り、BiSのヒラノノゾミは口にくわえていた花をファンに渡す。プー・ルイがスタンガンをフロア最前部に突っ込んで撃つので私は本気で逃げるハメになった。テンテンコとファーストサマーウイカは紙吹雪をまいていたが、ファーストサマーウイカもフロアのファンの頭の上を渡っていき、両足を支えられながら直立することに成功していた。カミヤサキはふたたびサイドステージの櫓に登り、そこから紙吹雪をまく。

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 ソウルフラワーBiS階段は1曲だけかと思いきや、ソウル・フラワー・ユニオンの前身バンドのひとつであるニューエスト・モデルの「こたつ内紛争」も演奏した。中川敬、JOJO広重、ファーストサマーウイカの3人が1本のマイクで歌うという光景は、その瞬間まで想像できないようなものだった。

 花吹雪とカマボコがまかれるソウルフラワーBiS階段。混沌とした狂騒の中に浮かびあがったのは、日本の土着的な祝祭のイメージだ。アイドルの現場を表現するときによく使われる「多幸感」とは本来薬物関連の言葉だが、それを用いて表現しても良いと思うような強烈な光景がそこに存在した。

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(写真提供:ボロフェスタ)

 そして、蒲鉾や紙吹雪をまくBiSの姿が、2013年3月24日に開催された「女川町商店街復幸祭2013」(詳しくは『また、女川で会いましょう。 カーネーション、BiS出演「女川町商店街復幸祭2013」レポート(前編)』『また、女川で会いましょう。 カーネーション、BiS出演「女川町商店街復幸祭2013」レポート(後編)』を参照してほしい)での最後の餅投げを連想させて泣けた。当時4人だったメンバーの笑顔も思い出しつつ、笑いながら泣き、泣きながら踊った。

 終演後にはエンドロールが流されて、多くの観衆が最後までそれを見守った。その最後の音楽が、畠山美由紀の2011年の傑作「わが美しき故郷よ」のタイトル曲だったことには胸打たれた。宮城県気仙沼市出身の彼女が、東日本大震災後に故郷に捧げた楽曲だ。

 最後にはスタッフからの挨拶があり、観衆からの拍手が起きた。1日のみの参加ながら、京都まで来た甲斐があったと素直に思えるフェスであった。

ロックとアイドルの関係について語られる言葉の欠損

 最近は、今回紹介したでんぱ組.incやBiSなどがロックフェスに出演することも多く、ロックフェスへのアイドルの進出がさも「おおごと」のように語られることも多い。

 だが、それがなんなのだろう。「ボロフェスタ2013」も見ずに。ソウルフラワーBiS階段も見ずに。

 ロックフェスとアイドルの関係が語られるとき、日本のロックの大きな源流であるはっぴいえんど、YMO、ムーンライダーズといったバンドのメンバーがアイドルに楽曲提供してきた歴史さえ見落とされていることもある。そうした歴史を忘れたままジャンルの壁の中にいたロックフェスが、商業的な理由もあって「我に返った」程度の認識でいいのではないか。そう私は考える。

 非常階段は、1979年に活動を開始した世界最初のノイズバンドとして世界にその名を知られる存在だ。彼らとBiSのコラボレーションによるBiS階段のCDとアナログ盤「BiS階段」のリリースは大きな話題を呼んだ。そして、ソウル・フラワー・ユニオンもまた「闇鍋」とも形容される巨大な胃袋によるミクスチャーロックを鳴らし続け、2013年には結成20周年を迎えてDVD「ゴースト・キネマ 1993-2013」とCD「ザ・ベスト・オブ・ソウル・フラワー・ユニオン 1993-2013」をリリースする。

 強面とみなされてきた非常階段やソウル・フラワー・ユニオンが、アイドルのBiSとコラボレーションしたことに驚いた音楽ファンも多いだろう。そもそも、ニューエスト・モデル時代からのファンだった私ですら正直なところ驚いた。

 ただBiSは、ファーストサマーウイカがTwitterで「昔、バンドでSFUの満月の夕をコピーしたことがあります」とツイートしたり、テンテンコが自身のブログの「テンテンコ宣言!! - 夏の1日!!(1時間1曲、全24曲)」でソウル・フラワー・ユニオンの「海行かば 山行かば 踊るかばね」を挙げていたりと、メンバーがソウル・フラワー・ユニオンのファンを公言していた。珍しいアイドルグループだ。

 言い換えるなら、アイドルの側にロックがルーツとしてあった。そこに着目して、ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬に話を持ち込み、共演を実現させてBiSのメンバーの新たな魅力を引き出すことに成功した、JOJO広重のプロデューサー的な視点も特筆に値するだろう。

 同時にソウルフラワーBiS階段は、「人生は祭りだ!」という哲学のもと、アイドルもノイズも祝祭空間に飲みこむロックンロールバンドであるソウル・フラワー・ユニオンの真骨頂を見せつけるものだった。

 ロックフェスとアイドルの関係が語られる状況で、メディアが「ボロフェスタ2013」でのソウルフラワーBiS階段について記録しないとしたら、あまりに視野が狭い。それゆえにここに記録しておきたいのだ。

世の中何が起こっても不思議じゃないんだ

3.11の震災で家族を、家を、街を、大切な人達を失いました。

「世の中何が起こっても不思議じゃないんだ」と失望しました。

昨夜いろんな縁が繋がり奇跡が起きました。

「世の中何が起こっても不思議じゃないんだ」と希望を持ちました。

出典:Twitter / takamasa_net

 これは「ボロフェスタ2013」後の蒲鉾本舗高政の高橋正樹によるツイートだ。そして「ボロフェスタ」は、今回の黒字を台風30号で甚大な被害を受けたフィリピンに寄付することを決め、「フィリピン台風被害への支援金寄附のご報告」で発表した。

 何が起こっても不思議ではない世の中に、音楽が存在する希望を感じたフェス。それが「ボロフェスタ2013」だった。