ロシアW杯後、日本復帰を選んだ4人の悲喜こもごも

 川島永嗣(ストラスブール)、長谷部誠(フランクフルト)のように30代後半に突入しても欧州挑戦を続ける2018年とロシアワールドカップ(W杯)日本代表選手は少なくない。前回も書いた通り、昨季限りでウエスカを離れることになった岡崎慎司、エイバルのスペイン2部降格によって移籍を余儀なくされそうな乾貴士らも欧州残留を希望。年齢の壁と戦い続けている。

 そんな彼らとは対照的に、国内復帰を選んだロシア組もいる。3年前の大舞台で吉田麻也(サンプドリア)とセンターバック(CB)を組んだ昌子源(G大阪)、ポーランド戦(ボルゴグラード)に右MFでサプライズ先発した酒井高徳(神戸)、同試合で左MFに入った宇佐美貴史(G大阪)、そして森保ジャパンで現在も不動の右サイドバック(SB)を張る酒井宏樹(浦和)の4人だ。

2度の欧州挑戦を経て、国内で苦しむ宇佐美

 このうち、最も早いタイミングで2度目の古巣復帰を決めたのが宇佐美だった。19歳だった2011年夏にバイエルン・ミュンヘンへレンタル移籍し、翌2012年夏にはホッフェンハイムへ再レンタルされたが、2013年夏には1度目の古巣復帰を強いられた。普通の選手なら、そのままJに居続けることになるだろうが、2014年の国内三冠の立役者になった宇佐美には2度目のドイツ移籍のチャンスが巡ってきた。潜在能力が高く評価されていたからこそ、再度のオファーが舞い込んだのだろう。

 けれども、16-17年冬まで過ごしたアウグスブルクでは、またももがき苦しむ日々を余儀なくされた。「1試合の中で仕掛けられるチャンスは5回に満たない。そこでどう自分の色を出していくかを考えてます。ここで成長できていると信じたい」と本人もひたむきに取り組んだが、レギュラー定着は叶わずじまい。ロシアW杯半年前の2018年1月、逆転の代表入りを狙ってドイツ2部・デュッセルドルフへ赴いた。

デュッセルドルフ時代の2019年3月に日本代表合流した宇佐美(筆者撮影)
デュッセルドルフ時代の2019年3月に日本代表合流した宇佐美(筆者撮影)

 ちょうどこのタイミングで恩師・西野朗監督(現タイ代表)が日本代表指揮官に就任。追い風もあってロシア行きは叶った。が、夢に見た大舞台で目覚ましい結果を残せず、1年後には2度目のガンバ復帰が決定。「2度目もダメだったというのが、清々しいくらい自分の中である」と会見で吐露するほど、悔しさと無力感を覚えたことだろう。

「ホントに今は5年間の経験をどれだけガンバでのプレーに落とし込めるか。ただそれだけ。それができなければ責任も感じるでしょうね。かといってやめるつもりもない。前向きにやり続けるだけだと思います」と本人は心機一転、新たなキャリアを踏み出したが、この2年間は2ケタ得点に到達せず、際立った結果を残せているとは言い切れない。昨季ガンバは2位になり、宇佐美も30試合に出場したが、「彼ならもっとやれる」とどうしても思えてしまうのだ。

ケガでフランス挑戦を1年で断念。再起途中の昌子

 それは、同僚で同い年の昌子源にも言えること。現在のガンバでは、守備の要として奮闘しているが、「まだトップの状態を取り戻していない」という印象が拭えない。

 しかしながら、昌子の場合はケガという不運に見舞われなければ、今も欧州にいたかもしれない。実際、2019年1月にフランス1部・トゥールーズへ移籍した当初から試合にも出ていたし、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)常連のリヨンやパリ・サンジェルマンとも対峙。意欲満々だったからだ。

「スライディング1つとっても、日本では最終手段と考えていたけど、こっちでは五分五分の状況でもファーストチョイス。日本で滑って抜かれたら『あいつ軽い』となるのに、欧州のDFは思い切って行ける。それだけ滑る技術が高いってことだと思います」と当時の彼はプレーの1つ1つの違いを体感。新たな環境に溶け込みつつあった。

トゥールーズ時代の昌子(筆者撮影)
トゥールーズ時代の昌子(筆者撮影)

 その矢先に足首の状態が悪化したのは痛かった。クラブのメディカルとも噛み合わなかった。「このままフランスにいても自分が100%のコンディションには戻らない」と感じた彼はわずか1年でJリーグ復帰を決断することになる。ガンバ加入後も手術を余儀なくされるなど、ベストコンディションに戻るまでに2年近い時間を要してしまった。

 こうした影響もあって、ロシアW杯でベルギーと互角に渡り合った時の状態にはまだ達していない様子。それでも、今回の6月の日本代表シリーズに久しぶりに長期参戦したことで、浮上のきっかけはつかんだはず。ここからアジアチャンピオンズリーグ(ACL)も始まるだけに、パフォーマンスを引き上げ、再び代表定着を果たしてほしい。昌子なら十分可能なはずだ。

神戸移籍でクラブに天皇杯タイトルをもたらした酒井高徳

 一方、酒井高徳に関しては、宇佐美と同じ2019年夏にヴィッセル神戸入りした。彼はロシア終了時点で代表引退を宣言。その後、1年間はドイツ2部のハンブルガーSV(HSV)でプレーしていたが、20代のうちに国内復帰するという異例の決断を下した。

 本人は「神戸のビジョンに共感したし、自分の経験値を日本に還元したいという思いも強かった」と復帰理由を語ったが、「もう少し欧州でやれたのではないか」という声も根強かった。

 実際、当初は本人もサッカーの質の違いに驚いた様子。「ドイツでは自分が1人かわしても2人目、3人目にボールを取られる感じで、『うわ、スペースないな』って思ってしまうんですけど、日本はそうじゃない。逆にスカスカ空いてきちゃう。そこは改善しないといけないですね」と苦言も呈していた。それを改善すべく、ピッチで寄せと球際の激しさ示し、神戸の立て直しに貢献。2019年天皇杯制覇の原動力となった。

Jリーグで奮闘を続ける酒井高徳
Jリーグで奮闘を続ける酒井高徳写真:YUTAKA/アフロスポーツ

 2020年春には新型コロナウイルス感染によって長期間の入院を余儀なくされるアクシデントに見舞われ、コンディション調整に苦しんだというが、ACLベスト4に貢献するなど大きな存在感を示し続けている。ドイツにいた頃の激しさやガツガツ感は少し影を潜めたものの、30歳になっても高い意識でサッカーに取り組み、神戸の重要戦力になっている点を見ると、2年前の日本復帰は悪くない選択だったように映る。酒井高徳のような例が増えれば、日本復帰という選択肢ももう少しポジティブに捉えられるのではないか。

現役代表レギュラー・酒井宏樹のJ復帰は異例

 その風向きが強まるか否かというのは、今回、帰国した酒井宏樹の一挙手一投足によるところが大だろう。万が一、現役日本代表右サイドバックのパフォーマンスやコンディションがJリーグ復帰によって著しく低下するようなことがあれば、Jリーグ復帰がよりマイナスに受け止められるだろうし、代表の戦力ダウンにもつながる。ひいては、2022年カタールW杯ベスト8という悲願達成も遠のく可能性すらあるのだ。

「僕はW杯2大会出させてもらったことを誇りに感じています。でも自分の中でのプライオリティの一番はクラブ。そこでの充実感がなければ毎日がつまらないものになってしまう。カタールW杯のことは考えずに浦和入りを決断しました。

 僕のコンディションが落ちれば、自然と代表には選ばれなくなる。森保(一)監督にもそう言っている。代表チームというのはそれくらい厳しいところ。強い覚悟と責任感をもってのぞんでいきたいと思ってます」

6月14日の浦和入団会見で笑顔を見せる酒井宏樹(筆者撮影)
6月14日の浦和入団会見で笑顔を見せる酒井宏樹(筆者撮影)

 酒井宏樹は6月14日の浦和入団会見でこう語気を強めたが、マルセイユでCLを戦っていたような強度やレベルをJの舞台に持ち込み、意識改革に寄与してくれれば理想的。そうなれば、代表での地位を死守できるだろうし、国内組全体のレベルアップにもつながる。宇佐美や昌子、酒井高徳のロシア組の仲間たちもモチベーションを高めるはずだ。

 いずれにせよ、2018年時点で国内にいた東口順昭(G大阪)、槙野智章(浦和)や山口蛍(神戸)、大島僚太(川崎)らを含め、ロシアW杯経験者には大舞台の修羅場経験をJに還元する責務がある。酒井宏樹の復帰を契機に、改めて自身の役割を再認識し、取り組んでほしいものである。

■あわせて読む

西野ジャパンの快進撃から3年 ロシアW杯日本代表メンバーの明暗分かれる去就