96年以降、本大会で最高成績を収めたロンドン世代

 96年アトランタから2016年リオデジャネイロまで6大会連続五輪出場を果たしている日本。このうち最高成績を残したのは、4位になった2012年ロンドン五輪代表だ。

 このチームは、関塚隆監督(現日本サッカー協会ナショナルチームダイレクター)が指揮を執り、清武弘嗣(C大阪)や山口蛍(神戸)、酒井宏樹(マルセイユ)、権田修一(ポルティモネンセ)らが軸を担った。2000年シドニー、2004年アテネに続いてオーバーエージ枠を活用し、すでに日本代表の主力に成長していた吉田麻也(サンプドリア)と守備のマルチプレーヤー・徳永悠平(長崎)の2人を呼んだのも奏功。彼らは初戦でスペインを撃破し、一気に勢いに乗った。

 2戦目のモロッコ戦は相手がラマダンの真っ最中ということも追い風になり、1-0で勝利。1次リーグ最終戦のホンジュラス戦はスコアレスドローに終わったものの、12年ぶりの8強入りを達成したのだ。

宿敵・韓国との3位決定戦に敗れ4位に

 決勝トーナメント1回戦もエジプトを3-0で叩きのめした。相手には今をときめくモハメド・サラー(リバプール)も含まれていたが、モロッコ同様にラマダン期間中で明らかに本調子ではなかった。そして次の準決勝・メキシコ戦に勝てば36年ぶりのメダル獲得が実現するはずだった。実際、先制したのは日本。この時点でU-23世代唯一の欧州組だった大津祐樹(横浜)のゴールで日本はいち早く先手を取る。だが、ジョバニ・ドスサントス(クラブ・アメリカ)ら傑出したタレントを揃える北中米の雄は手強く、日本は前半のうちに追いつかれ、後半に2失点。1-3で大会初の黒星を喫した。

 メダルへの残された道は3位決定戦の勝利だけ。相手は因縁の宿敵・韓国だった。指揮を執るのはかつてJリーグで活躍し、日本を熟知する洪明甫監督。「日本の得意なプレーを封じることを第一に考えた。狭いエリアでのパスサッカーをさせず、攻撃面ではカーディフのスタジアムのピッチ状態が悪いことを視野に入れても長いボールを積極的に使った」と述懐する。その戦術にまんまとはまった日本は2失点。最後までビハインドを跳ね返せず、4位という悔しい結果に終わった。

酒井宏樹、山口らがロンドン経由ワールドカップへ

 ただ、ギリギリの修羅場を経験した清武や山口、酒井宏樹らにとってこの戦いは大きな財産になった。ロンドン五輪代表18人のうち、オーバーエージの吉田を除くと、権田、酒井宏樹、山口、清武、酒井高徳(神戸)、齊藤学(川崎)の6人が2年後の2014年ブラジルワールドカップ行きを実現し、酒井宏樹と山口、酒井高徳、宇佐美貴史(G大阪)の4人が2018年ロシアワールドカップに参戦した。そして現在も権田や酒井宏樹、山口、永井謙佑(FC東京)らが森保ジャパンに招集されている。

 過去2度のワールドカップを振り返ると、残念ながら主力級に上り詰めた選手は少なく、ロシア直後に山口が「僕らはハセさん(長谷部誠=フランクフルト)や圭佑君(本田=ボタフォゴ)たち上の世代を超えられなかった」と悔しさを吐露したことがあった。それでも、ロンドン世代が分厚い選手層を誇っているのは事実。そもそも考えてみれば、山口や東慶悟(FC東京)はチーム発足の2010年アジア大会(広州)に急きょ抜擢されたサプライズ組だった。この時はJリーグ開催中で多くのクラブが選手招集に制限をつけたため、試合に出ていない若手と大学生で代表を編成するしかなかった。そんな集団でもアジアを制することができたのだから、この世代の底力が伺える。

落選組の巻き返しが示す「選手層の厚さ」

 さらに特筆すべきなのは、ロンドンを逃した選手の飛躍的成長だ。アジア予選を戦った大迫勇也(ブレーメン)や原口元気(ハノーファー)、予選の段階では才能を高く評価されながら本番で選外になった柴崎岳(ラコルーニャ)、2012年段階では所属クラブで出場機会を得られていなかった昌子源(G大阪)といった「落選組」が五輪後にグングン伸び、のちのA代表の主力になったのは、ご存じの通りだ。

 その1人である原口は、ロンドン五輪予選で日本が崖っぷちに立たされた2012年2月のマレーシア戦で貴重なゴールを挙げるなど、重要局面で活躍した。が、五輪に行けず、アルベルト・ザッケローニ監督体制のA代表にも何度か呼ばれながら、ブラジル行きをつかめなかった。高い壁にぶつかった男が大きく変化するきっかけになったのが、2014年夏のドイツ移籍。浦和レッズからヘルタ・ベルリンに赴いて1年間は全くと言っていいほど通用しないことを痛感した彼は、屈強な外国人に当たり負けしないフィジカルと走力を手に入れるため、1から肉体改造に着手。人間的にも一回り成長し、2015年からA代表に定着したのだ。

ドイツでサッカー観が劇的に変化した原口

「ドイツに来てから『サッカー観』が大きく変わりましたよね。こっちのスピード感とか球際とかを目の当たりにして『これがサッカーなんだ』と思った。これが俺の求めていたものだった。レッズにいた頃は『俺はドリブルだ』っていう気持ちがあったけど、いろんな要求に応えられないと試合に出られない。今はプレーの幅が広がったし、いろんなことができるのが楽しい。その中でやっぱりドリブルが自分の武器なのは間違いない。そうやってどんどん上を目指したいです」

 ヘルタ2年目の2015年秋。原口は目を輝かせながらこう話してくれた。彼らが恵まれていたのは、五輪やワールドカップ経験がなくても、早い段階から海外に行って刺激を受けられる環境が用意されていたことだろう。

代表に関係なく海外への道が開かれ、個々が飛躍

 ロンドン参戦組の大津は21歳だった2011年にドイツ・ブンデスリーガ1部のボルシアメンヘングラッドバッハへ移籍したし、酒井高徳も五輪前の2012年1月に同シュツットガルトへ挑戦。国際経験を積み重ねた。大迫はブラジル前の2014年1月に当時ドイツ2部の1860ミュンヘンへ赴き、半年で1部のケルンにステップアップを果たした。柴崎にしても2017年1月に当時スペイン2部のテネリフェへ移籍。そこから1部のヘタフェに引き抜かれる形になった。

 彼らに共通するのは「代表レベルの世界大会に関係なく海外移籍を実現させたこと」。中田英寿、中村俊輔(横浜FC)、小野伸二(琉球)、松井大輔(横浜FC)、本田といった先輩たちが切り開いてきた道があったからこそ、ロンドン世代は早いうちから世界に飛び出せた。日々の練習環境というのは、代表活動より明らかに大きな意味を持つ。それまで代表レベルの国際大会に出なければ感じられなかった異文化が日常になったがゆえに、原口らは急成長を遂げられた。それは間違いないはずだ。

昌子のように国内で力をつける選手も

 一方で、昌子源のようにJリーグにいながらFIFAクラブワールドカップなどを経験し、大化けする選手も現れた。年代別代表経験がほぼ皆無の彼のケースは特殊だが、国内であろうとも所属クラブでしっかりと国際経験を重ねていれば、A代表に定着し、ロシアのベルギー戦のような高度な緊迫感ある大一番で戦える……。それを実証した選手がいたことも大きい。Jリーグを含めた日本サッカーの底上げが進んでいることを表す事例の1つと見ていいのではないか。

 今、30歳前後となったロンドン世代が今の日本サッカー界をけん引すべき役割を担っている。「自分が代表を引っ張っている自覚がある」と大迫も昨年コメントしていたが、その貪欲さが北京世代超えのカギになる。「誰が来ようと絶対に負けない」という原口筆頭に、1人でも多くの選手が闘争心を前面に押し出すことを期待したい。

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