永里優季が示す新たなロールモデル。「流れに逆らわず、水のように。空気を作る、素粒子のように」
NWSL(ナショナル・ウーマンズ・サッカーリーグ)の2017-18シーズンはノースカロライナの優勝で幕を閉じた。だが永里優季は、すでに新たな挑戦に向かっている。
シカゴ・レッドスターズで2シーズン目を迎え、永里はまさにチームの中心となっていた。23試合出場(出場時間1697分)で4得点7アシストを記録。シカゴはリーグ戦を4位で終え、プレーオフ出場権を獲得した。プレーオフ準決勝でノースカロライナに敗れてタイトルこそ逃したものの、永里にとっては新境地を開拓した一年間でもあった。
トップ下として、サマンサ・カーと抜群のコンビネーションを見せた。永里はアシストランキング2位に位置してシーズンを終え、NWSL年間最優秀候補10名に選ばれた。
■勝てなかった序盤戦
シカゴは開幕節のヒューストン戦(1-1)でドロー発進。第2節ポートランド戦(2-3)を落とすと、ウタ戦(1-0)、ヒューストン戦(3-0)と連勝で盛り返したが、第5節スカイ・ブルー戦(1-1)から第11節オーランド戦(2-5)まで7試合未勝利が続いた。苦しい状況だったと、永里は振り返っている。
「最初の方は、これ、どうなるのかな...という感じでした。7試合、ずっと勝てなくて。自分のポジションも定まらず、思うようにサッカーができないというか、フラストレーションを溜めながらプレーしていたところがありました。でも、ある一定のポイントを過ぎたあたりから、うまく回るようになっていって。私自身の個人の結果という点でもそうですけど、チームが機能し始めたんです。今シーズンは、それをダイレクトに感じられたシーズンだったなと思っています。こういう劇的な変化を遂げたシーズンというのは、たぶん今までになかったと思います」
ポイントになった、きっかけーー。それは5月27日に行われた第11節のオーランド戦だ。チームは2-5で敗れたが、永里は2アシストを記録。手応えをつかんだ。
「初めて個人としての結果が出たのが、5月の末でした。開幕したのが3月末。最初の2試合はケガで出られなくて、3試合目から試合に出られるようになったんですけど、そう考えると、結果が出るまで1カ月半かかりました。ただ、いま考えると、1カ月半は短かった気がします」
「一番大きかったのは、5月末のオーランド戦ですね。その試合から、監督の選手起用が変わってきて。あのオーランド戦では、私は最初サイドに置かれていたんですけど、途中からトップ下に入るように言われて。ポジションというより、チームのバランスですかね。サム(サマンサ・カー)はプレシーズンに参加できず、監督もいろいろ模索はしていたんですけど、難しかったです」
シカゴは、オーストラリア代表のサマンサ・カーがアジアカップに参加していたため合流が遅れていた。決定力のあるストライカーの在・不在が周りの選手たちの立場を微妙に変化させていた。
「一番前にいるのと、少し下がったところでは役割が違う。チームから、監督から、何を求められるかがはっきりしない状況が続いていました。ゴールゲッターというより、アシスト役に回った方が、いまのチームでは合っているんじゃないかと思うところもありました。私は、もともと、そういうプレーをしてきたけど、それをなかなかチームのなかで理解してもらえない部分があった。どうしても、ゴールが求められていた。(序盤戦では)シュートチャンスをつくれる、サムのような選手がいなかったので、現実的に厳しいなと思いながら、プレーしていました」
■良い意味で欲がなくなった
序盤戦で攻撃の主軸に据えられていたソフィア・フエルタには、少しセルフィッシュなところがあった。そういう選手がサイドに配置され、永里とサマンサ・カーが縦型2トップを形成するようになり、シカゴのチームスタイルにおいて確立への道筋ができた。
「周りの選手の能力を把握できる力も身に付いてきたかな、と思います。ある程度見立てを立ててプレーしないと、予測が当たらない。これまで、統計学的な確率論でプレーしてきました。だけど、ピッチの中で計算して、どうしても、ルートを導きだせなかった。自分の能力的な問題もあったし、自分はサムみたいに一人で持っていってゴールを決める、というタイプではなくて。ヨーロッパでプレーしていた時も、そういうのは少なくて、周りに合わせてもらう方が多かったですから」
「身体の変化、心の変化もありました。自分自身が結果を出したいという思いは減っていって。欲が、良い意味で、なくなった。前線にいると、ある程度欲がないと、戦えない部分はあります。そこはポジションを下げたことによって、メリットがありました。アメリカのサッカーは縦に速いから、私では1トップは務まらない。シアトルなんかは、ポゼッション重視だから、それほどスピードがない選手が1トップをやっていたりしますけど、それは例外で。だから、自分が生きる道は、中盤で目に見える結果を出すことでした。最初はなかなか数字に現れなくて、不安もあったし、でも、いつかそのタイミングがくる、という確信もありました。その二つが、ずっと両軸であった。その歯車が噛み合った時に、ガーッと行けたのかなと思います」
アメリカに来て、永里はエゴを捨てられるようになった。
「『ゴール取りたい!』がなくなったのが大きいですね。前までは、ゴールしないといけない、結果を残さなければいけないという義務感が、目に見えないプレッシャーがありました。ヨーロッパにいた時は、特に、ですね。それが周囲からも求められますしね。だけど、アメリカに来てから、サッカーに対する捉え方が変わったんです」
「いままでは、何かと勝負している、戦っている感覚でした。ああしなければ、こうしなければ、という思考が先行していた。今は、まったく、それがなくなりました。ただ、なぜそうなったのかは分からなくて...、環境がそうさせているんだと思うんですけど。それを論理的に述べろ、といわれても難しいところではありますね」
アメリカのスポーツはエンターテイメント性が強い。選手はパフォーマンスで魅せ、観客を含めて、ゲームを作っていく。そういった環境が、永里を変えたのかもしれない。
「これまでは結果に対する拘りが強かったです。でも今は、芸術性の部分にフォーカスしているというか。プレーの美しさや動きの美しさ、クリエイティブな部分だったり、発想力だったり。少しアーティスティックなプレーを目指しているところがあります。パス一本、トラップひとつ取っても、他のプレーヤーがやっていないようなプレーを、やっていきたいです。芸術性の部分で、勝負していきたいという思いは、アメリカに来て強くなりましたね」
「『永里優季はアーティストだ』と、シカゴの試合をいつも見ている、ジャーナリストの方がツイートしてくれたことがありました。最高級の賛辞だと感じました。アメリカのファンの人たちは、そういう視点でサッカーを捉えてくれる。例えば、ドイツだったら、戦っているかどうか、ゴールするかどうかで見られます。だから、(アメリカのファンのように)そういった視点で捉えてもらえるというのは、自分にとっては一番嬉しい。結果を出すことより何より、そういう称賛をしてもらえるのが、今までやってきて良かったと思える瞬間です。別の話では、ウチのチームのオーナーに、違う惑星から来たのでは、と言われたこともあります。それも、最大級の賛辞ですよね」
■新たなロールモデル
10月7日に、永里のブリスベン・ロアー(オーストラリア)への移籍が発表された。
オーストラリアのWリーグは、11月から2月にかけて、シーズンが行われる。参戦しているのは9チーム。全12試合で順位を決め、上位4チームがプレーオフに進出し、その勝者にタイトルが与えられる。
アメリカのシーズンは4月から9月にかけて行われる。永里としては、シーズンオフにオーストラリアに向かう格好だ。対して、ブリスベンはレンタル移籍という形で永里を獲得している。移籍金はゼロ。クラブにとっては、非常に魅力的な補強である。
「違う国、違うチームに行くことへの抵抗は、ほぼゼロでした。どのチームに行っても合わせられるという自信もありますが、自信を積み重ねるうちに、やれることが増えてきたからだと思います。10年前がどうだったかと言えば、そういう自信はなかったです」
「どこに行っても、本質的なところは変わらないんです。結果が残せなかったらどうしよう、というのが、今はまったくない。自信があるのもそうですけど、結果を残せなくても、何とかなるでしょう、と思えている。それが大きいです」
ドイツ、イングランド、アメリカ、そしてオーストラリア。実に4カ国目での挑戦だ。だが、これは永里が移籍を繰り返している、という単純な話ではない。
現に、永里に限らず、この時期にNWSLからWリーグに移籍する選手は多い。しかし、日本の選手で、これをやっているプレーヤーはいなかった。新たなロールモデルが示されたのだ。
「流れに逆らってはいけないのかなと思ったんです。良い流れが来た時に、それを拒絶してしまうのは、良くない。水のようになりたいです(笑)」
永里自身は、「ロールモデルになるとか、そういうのは、一切考えなかったです」と語る。だが、日本の若い選手の最大目標が、そこにあってもいいという気がするのだ。まず、NWSLという世界のトップリーグに、たどり着く。そして、アメリカで結果を出して、シーズンオフに、他国のクラブからオファーが届けば、そちらに行ってプレーする。
「そこまで深く考えてはいないんですけど、結局、アメリカのチームで結果を出せていなかったら、オーストラリアには行けていないと思います。戻るところがあるから、行けるというのはあって。こういうやり方があるんだ、というのを知ってもらえるきっかけになったかな、とは思います」
「五大陸制覇したいな、と(笑) あとはアフリカと、中南米ですね。だけど、そのためには、長く続けられる身体を維持しなければいけないと思います。流れに逆らわず、水のように。空気を作る、素粒子のようにですね」