「創造性」が枯渇するサッカー界 FW永里優季が必要と考える「枠と制限」
先日終わったばかりのアルガルベ杯に臨むなでしこジャパンに、フランクフルトFW永里優季の名前はなかった。高倉麻子監督からは「クラブに専念したいという意向を尊重した」という説明があった。
永里は所属クラブでの日々に集中している。さらなる進化を遂げるためだ。その過程で、フランクフルトのスペインキャンプに参加していた永里と話す機会を持つことができた。
■永里に生じたある変化
今、永里はどんなことを考えているのか。それを聞いておきたかった。「まずは、ある基準になったことについて話しておきたいですね」と語りだした彼女は、近年のサッカーにおける喜びについて、ある変化が生じてきていると口にした。
「2013年6月の親善試合、ドイツ戦。あの試合を境に、感じ合えるプレーだったり、見えない部分の力、言葉を交わさなくてもイメージを共有できるという感覚が少なくなったんです。サッカーをしていてワクワクしたりとか、というのがほとんど感じられなくなりました。それまでは同じ瞬間に同じ画を描けて、それが形になった時、すごく興奮したし、それが自分の喜びだったんです」
なでしこJAPANは、2013年6月29日に国際親善試合でドイツ代表と対戦している。この試合では永里と大野忍が得点を挙げたものの、ドイツに2-4と敗戦。単なるテストマッチと言えばそれまでだが、それまでの喜びが、あのドイツ戦を境にパタリとなくなったというのだ。
当然、それに伴い彼女自身のサッカー観も変わる。「2つ3つ先と予測して動ける選手だったり、味方の選手のためにスペースを作ったり、自分の背中のスペースを意識してプレーするとか、そういったことがまったくなくなっている気がして」。試行錯誤の日々が続いていた。
■「クリエイトに必要なのは枠と制限」
世界のトップを見ても、そういう傾向はあるように感じる。例えば、バルセロナでもメッシのイマジネーションやイニエスタのクリエイティビティを備えているような選手はまったく出てきていない。それを永里に伝えると、より興味深い答えが返ってきた。
「じゃ、『クリエイティビティ』というのは、どう育まれるのか、という話ですよね。最近ある本を読んで、それって遺伝的なものではなくて、後天的に身につけられるものだ、と書いてあったんです。常に考えていなかったら、『発想』というのは生まれないです。結局、普段から物事を深く思考しない人が多くなってきているから、『クリエイトする力』が育たなくなってきている気がします」
「考える時って、何か制限が加わっている時だと思うんです。その環境のなかで、それを絶対にやらないとどうしようもない状況に追い込まれたりとか、そういう時。制限だったり、規制だったりとか、そういうのが緩くなっているから、考える力が弱くなっている。それは練習をやっていても感じます」
制限の大切さ、というのは非常に興味を引く考え方だった。彼女は創造するためには<枠>や<制限>が必要だという。普通に考えれば、それはむしろ逆だ。創造には自由な発想が求められる。自由と制限は相反する言葉である。
「『枠』も大切だと思うんですよね。何もかもアバウトで、考えなくてもできるような練習になっている。そこまで多くの制限をかけると、技術的にそれを実行できない選手が多い。ピッチが狭いと、それだけでみんなパニックになってしまう」
常に考え続ける者だけが、真の「創造」に行き着く。そして考えるためには、ある程度の制限が必要。それこそが、永里の言いたかったことではないかという気がした。
■残り6試合、フランクフルトでの挑戦
永里は現在、フランクフルトで右MFを任されている。攻撃の中心には昨季の得点王で、今季も得点ランク首位を独走するFWマンディー・イスラカーが据えられている。好調時には爆発的な動きで相手守備陣をきりきり舞いにするイスラカーだが、一方で周囲との連携に難が見られる場面がある。
イスラカーが前線で孤立すると、フランクフルトは途端に攻撃パターンを見いだせなくなる。「チームとしてのシュートの再現性」を追求しているという永里も、おそらくジレンマを感じているだろう。フランクフルトは6試合を残した時点で4位に位置。チャンピオンズリーグ出場権を獲得するためには、2位ポツダムとの勝ち点差11を縮めなければいけない。
目標達成には、チームとしてイスラカーに依存しない戦い方を切り開く必要がありそうだ。欧州に渡って8年目、考え続ける永里の挑戦は続いている。