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東京五輪開催の是非を問わない「罪」──元日の新聞報道に見えた大きなタブーとは

森田浩之ジャーナリスト
今大会のために建設された国立競技場(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

元旦の街に、新聞を買いに出た。主要紙が年の初めに何をどう報じているかをチェックしたかった。

元日の紙面は、各紙とも力を入れてくる。その年に注目すべきテーマについての企画記事をスタートさせたり、大きなスクープをこの日にぶつけてきたりする。

おまけに元日の新聞には、別刷りがいくつもついている。その企画や編集も、各紙が腕を振るうところだ。

私がとくに関心をもっていたのは、1年延期された東京五輪・パラリンピックが元日の紙面でどう扱われるかだった。

2020年の元日は、どの新聞も「五輪イヤーがやって来た!」という祝福ムードにあふれていた。しかし新型コロナウイルスの感染拡大の影響で延期された後の今年の紙面では、それほどはしゃぐことはできないだろうと思った。

それどころか、大会が延期された後、コロナ禍は深刻さを増すばかり。こんな状況では五輪開催など考えられないという方向に世論が傾いても仕方がない。昨年12月中旬にNHKが行った世論調査では、東京五輪は開催すべきかという問いに「開催すべき」が27%、「中止すべき」が32%、「さらに延期すべき」が31%だった。「中止」と「さらに延期」を合わせると、6割以上が東京五輪の開催見直しを求めていることになる。

だが日本政府もIOC(国際オリンピック委員会)も、計画変更に動く気配がない。五輪の開催はむずかしいはずなのに主催者側が対応しないという現状には、多くの人がモヤモヤした思いを抱いているはずだ。そんな空気のなか、元日の主要各紙が東京五輪について何をどう伝えるのかを見たかった。そこに表れる姿勢は、新聞の真価を示すものになるかもしれないからだ。

「五輪は開かれる」という揺るぎない前提

新聞をめくっていく。「今年こそ五輪イヤーだ!」という浮かれた記事は、さすがに見当たらない。だが「2021年に本当に五輪は開催できるのか」という点に触れた記事も、まったく見つからなかった。

それどころか新聞の上では、東京五輪は2021年に開かれることが揺るぎない前提であるかのように書かれていた。たとえばそれは、「1年待った五輪に向けての意欲を語る選手」に焦点を当てた以下のような記事に表れていた。

〈答えを追い求める先にある東京五輪で「柔道家として一つの正解を導き出し、自分の柔道の証明をしたい。男女混合団体も含め、柔道で初めて複数メダルを獲得できるチャンス」〉(日経・スポーツ別刷り、柔道の大野将平についての記事)

〈予期せぬ ”延長戦” となった日々に、笑みがこぼれる。「予定通り開催されていたとしたら、もうとっくに終わっていた。でも今こうやって、五輪に出ることの価値、喜びをかみ締める時間ができた。最初で最後の未知の舞台に向けてすごく素敵な1年間を、ギフトのように与えてもらった感覚です」/五輪本番は32歳。それでも、1年の延期を楽しんでいる。クライミングの先駆者はタフで、たくましい〉(朝日・スポーツ別刷り、スポーツクライミングの野口啓代についての記事)

これらの記事では、五輪が今年開かれることが当然とされていたり、大会が1年延期されたことがアスリートにとってはプラスにも作用したことがつづられている。中止や再延期の可能性は、これっぽちも出てこない。

どうして「光」を届けられるのか

選手だけでなく、チームスポーツの指揮官も「2021年に開かれる五輪」に向けて意欲を語っていた。

〈仕切り直しの東京オリンピックイヤーがやってきた。野球日本代表「侍ジャパン」の稲葉篤紀監督は3大会ぶりの大舞台に向けた意気込みを「束」の一文字に込めた〉

〈1年延期となった東京オリンピックへの意気込みを問われたサッカー女子日本代表(なでしこジャパン)の高倉麻子監督は、過激にも思える言葉を口にした〉(いずれも毎日・本紙)

選手や指導者のコメントに頼らずとも、大会開催に向けて驚くほど楽観的な見通しを混ぜ込んだ記事もあった。

〈2021年夏に延期された東京五輪には約1万人の選手の参加が見込まれる。チケットは海外を含め400万枚以上がすでに販売され、多くの観客が訪れる予定だ。世界最大のスポーツイベントで、新型コロナウイルスの感染拡大をどう防ぐのか〉(日経・スポーツ別刷り)

世界的なコロナ禍の下で本当に1万人の選手が来るかどうかは疑問だし、観客もここに書かれているほどの数が来られるかどうかは未知数のはずだ。どうしてこんな数字を書けるのか、よくわからなかった。

楽観論の極めつきが、五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長のインタビューだった。記事の中で森会長はこう語っている。

〈一番難しいのが観客の話だが、これはもうちょっと先でいい話で、今は無観客であるとか、収容人数の何%ということまで想定する必要はない。大会が始まるのは7月なので、今年春ぐらいまでみていけば、コロナの状況がどうなっているのか、世界中の状況もどうなるのかわかるし、それによって変化していくことですから。今は全部、観客があって当然だと考えています〉(読売・本紙)

この記事の見出しは「五輪 不安定な世界へ光」。五輪を開くことによって、どうしたら「不安定な世界」に「光」を届けられるのかは不明である。

昨年は3月に大きな動きが

新聞各紙が五輪開催の是非に焦点を当てない理由は、ある程度まで想像できる。第1に、IOCも日本政府も東京都も、開催予定を変更するような動きを見せていないこと。今年7月の開幕が既定路線だから、それに沿った報道を続けているだけだと言われれば、それまでだ。

第2に、新聞の広告主のなかには五輪に多大な利害がかかっている企業もあること。そうした企業から広告をもらっておきながら、「五輪は開催できるのか」と疑問を投げかける記事を掲載するわけにはいかないかもしれない。

第3に、新聞自身が東京五輪の協賛企業であることだ。上に記事を引用した日経、朝日、毎日、読売の4紙は東京五輪の「オフィシャルパートナー」という契約を結んでいる。契約金は非公表だが、年間3億円ともいわれる。それだけの金を五輪に投じていたら、報道姿勢に影響はないと信じるほうが不自然な気もする。

いずれにしても、東京五輪に関連して今のように切迫感のない記事を書いていられる時間がふんだんに残っているわけではない。参加する国や選手の側からもうじき「東京には行かない」という意思表明がなされる可能性が小さくないからだ。

昨年、そうした動きが出てきたのは3月のことだ。17日にはスペインのオリンピック委員会会長が延期を求める声明を出した。22日にはカナダのオリンピック委員会が「いま予定されている開催期間のままでは選手団を派遣しない」という意向を明らかにした。

個々の選手が開催に疑問を呈したり、不参加を表明したケースもあった。東京五輪の出場を決めていたドイツのフェンシング選手マックス・ハーツングは3月21日、ドイツのテレビ局の取材に対して「予定されている開催期間での五輪には参加しない」と語った。

こうした動きの後に、IOCが大会延期を正式に決定したのは3月24日。この日、東京の新規感染者数は実に18人だった。最近の数字とは比べものにならないほど少ない。東京の感染者数がけた違いに増え、欧米諸国ではそれをはるかに上回る感染爆発が続いていることを考えれば、昨年のような大会不参加の表明が始まるのは時間の問題だろう。

オーウェル的な世界がそこに

元日の新聞を読んでいて思い出したことがある。ジョージ・オーウェルのディストピア小説『一九八四年』に登場する「ニュースピーク」という架空の言語のことだ。ひとことで言えば、これは「言葉から意味を減らす」ことを目的につくられた言語である。

たとえば free(自由である/免れている)という単語は、ニュースピークにも存在する。しかしそれは、「この犬はしらみから自由である/免れている」とか「この畑は雑草から自由である/免れている」という文脈でしか使われない。「政治的自由」や「知的自由」というような「オールドスピーク」の意味で使うことはできない。なぜなら『一九八四年』の世界では、政治的自由や知的自由はもはや概念として存在せず、したがって言い表すことができないからだ。

もしかしたら日本の新聞は、ある種のニュースピークに乗っ取られているのではないか。「東京五輪」という言葉と、「中止?」「延期か」などの言葉と組み合わせた文章を掲載することができなくなっているのではないか──突っ込みが足りない記事ばかり読んでいて、そんなことまで考えてしまった。

新年の主要新聞が、このコロナ禍の中での五輪開催の是非という大きな問題に触れないことの罪は深い。昨年の大会延期が決まった日まで、あと11週間しかないのだ。

だが、今からでも遅くはない。日本のメディアは東京五輪について本当に伝えたいことを、伝えたい形で伝えるべきだ。そして受け手である私たちは、メディアが東京五輪について伝えるべきことを伝えているかをウォッチしつづけなくてはならない。

伝えられていることの陰には、その分だけ、伝えられていないことが必ずある──そのことを忘れずにいたい。

ジャーナリスト

メディアやスポーツ、さらにはこの両者の関係を中心テーマとして執筆している。NHK記者、『Newsweek日本版』副編集長を経てフリーランスに。早稲田大学政治経済学部卒、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)メディア学修士。著書に『メディアスポーツ解体』『スポーツニュースは恐い』、訳書にサイモン・クーパーほか『「ジャパン」はなぜ負けるのか──経済学が解明するサッカーの不条理』、コリン・ジョイス『新「ニッポン社会」入門』などがある。

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