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石田三成のルーツと小字「治部」

森岡浩姓氏研究家
長浜市石田町の石田三成像(筆者撮影)

3日の大河ドラマ「どうする家康」で、次回(17日)に石田三成が登場することが予告された。

三成は誰の視点から描くかによって、その人物像が大きく変わる人物である。一般的には、極めて頭のいい官僚だが、人情の機微がわからないため人望がなく、武将達との間がうまくいかない、という感じで描かれることが多い。

中村七之助演じる「どうする家康」での三成は、番組公式サイトで「巨大な豊臣政権の実務を一手に担う、才気あふれる、最高の頭脳の持ち主」とあり、かなり好意的な人物像になっているようだ。

石田三成の立ち位置

豊臣秀吉は農民から成り上がったため、家康のような先祖代々の譜代の家臣は存在しない。当初身近にいるのは、弟の秀長など身内や親戚が中心であった。

しかし、身代が大きくなるにつれてそれでは賄えず、新しく家臣を抱えていった。そして、その中から有能な家臣を取り立てていった。また、支配地から広がるにつれて、槍働きの武士だけではまわらなくなる。秀吉の家臣団の中で、「官僚」として特異な才能を発揮したのが石田三成であった。

三成は寺の小姓時代に、鷹狩りの帰りに寺を訪れた秀吉に3杯のお茶を熱さを変えて出したことから認められて家臣となったという「三献の茶」の逸話が有名なため、武士階級の出身ではないと思っている人も多いが、三成は近江国石田村の武士石田氏の生まれで、米原市朝日にある観音寺に小姓として出されていた。

三成のルーツ

湖北の中心都市、滋賀県長浜市東部の山の麓に石田町という地名がある。ここが石田三成のルーツの地である。「石田」とは「石のように固い土地に開墾された田」を指し、各地に「石田」という地名がある。

近江国石田には、地侍石田氏がいた。三成の父正継は京極氏の被官であったともいうが、よくわからない。さらにその先祖は桓武平氏三浦氏の庶流であったとも伝わるが、それも詳細は不明である。

三成が登場しなければ、石田氏は全く無名の近江の一地侍であったと思われる。

長浜市石田町に残る石田氏の屋敷跡は、現在は石田会館になっており、敷地内には三成出生地の碑が建てられている。

そして、会館の庭に建てられている碑には「小字名・治部」と書かれている。三成は治部少輔という官位を得ていたため、通称石田治部と呼ばれていた。その「治部」が三成出生地の小字名として残されているのだ。

会館の玄関では「大一大万大吉」の軍配を持った「三成くん」というキャラクターがお迎えしているなど、世間的には敵役のイメージが強い石田三成も、ここではヒーローである。

姓氏研究家

1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」「日本名門・名家大辞典」「47都道府県・名字百科」など多数。2017年から5年間NHK「日本人のおなまえ」にレギュラー出演。

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