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一条、二条、三条……「数字+条」の名字、最大の数字はいくつ?

森岡浩姓氏研究家
画像はイメージ

12月24日公開の『劇場版 呪術廻戦0』が話題だ。そこで今回は主要キャラクター・五条悟(ごじょう・さとる)の「五条」という名字に注目し、「条」は何を意味するのか、組み合わせの数字はどれだけあるのか、調べてみた。

五条悟は、呪術界御三家のひとつ・五条家の当主で、日本三大怨霊の一人・菅原道真の子孫という設定だそうだ。

この菅原姓の五条家というのは公家に実在する。鎌倉時代中期の公家高辻為長の四男高長が祖で、「五条」という名字は菅原道真の邸宅のあった場所に因んでいる。

こうした「数字+条」という名字では、九条兼実や三条実美という名前を聞いたことがある人も多いだろう。この「数字+条」という名字は何条まであるのだろうか。

「条」という漢字は新字体で、かつては旧字体で「條」と書いた。この2つの漢字は新旧字体の書き方の違いのため、意味などは同じ。九条兼実や三条実美も古い史料では「九條」「三條」と書いてある。本稿では「条」と「條」いずれも新字体の「条」表記に統一する。

まず、「○条」という名字を多い順にみてみよう。「条」のつく名字は東西南北や上中下のつくもの(北条、中条など)が多く、漢数字が入るのは「一条」が最多。次いで「七条」「三条」が多く、ここまでが5000位以内のいわゆる「普通」の名字。

以下、「四条」「五条」が1万位以内。2万位までみると「二条」「六条」も入ってくる。「八条」「九条」はかなり珍しい名字だが、「一」から「九」まですべて実在している。

条のつく名字の由来

さて、「条」とは条里制に由来している。条里制とは古代から中世にかけての土地区画制度で、まず1町(ちょう、約109m)間隔で平行な直線を引き、6町ごとを1区画として端から一条、二条とよんだ。そして、各条の1町ごとに直角に交わる線を引き、こちらは6町ごとに「里」といい、条と里に囲まれてできた正方形を一条一里、一条二里とよんだ。各条理には1町四方の区画が36個でき、この1つを「坪」という。

条里制は各地で用いられ、京では北から順に一条、二条、三条と続き、九条まであった。

平安時代、朝廷の公家は藤原一族でほぼ独占されていた。公家のほとんどが「藤原」だと不便なため、一条に住んでいる公家は「一条」、三条に邸宅のある公家は「三条」という家号(かごう)を名乗るようになり、これらが固定化することで公家の世界に名字が誕生した。江戸時代の公家は140家ほどあり、京の町に広く住んでいたため、公家には一条家から九条家まですべて存在する。

公家にはこの他にも、「○小路」「○大路」など、京都の地名を名乗っているものが多い。

各地の「条」地名

さて、こうした条里制は当然京都以外にもあった。それらは条里制が廃れたあとも地名として残っていることが多く、新潟県の三条市をはじめ、各地に「○条」地名がある。

こうした「○条」に住んだ人達が地名をとって「○条」と名乗ることもあり、「○条」さんのルーツは京都以外にも各地にある。

ただし、すべての条里制が九条まであったわけではない。当時最大の都市であった京は九条まであったが、その他の条里制はそこまで大きくはなく、「八条」と「九条」が極めて珍しいのも納得できる。

なお、北海道に多い「数字+条」の地名は、明治以降の開拓の際に名付けられたもので、条里制とは関係がなく名字のルーツとも無関係である。

「十条」以上の名字

ところで、日本一大きな都市であった京都が九条までしかなかったため、基本的に「数字+条」は九条までのはずだ。しかし「十条」という地名や名字も存在する。

京都市南区にある「十条」は、明治以降に九条通の南に道を作った際に「十条」と名付けたもので、平安京とは関係がない。

東京都北区の十条地名の由来は諸説あるが、こちらも本来の条里制に由来するものではないとみられる。

名字の「十条」も秋田県大仙市にあるごく珍しいもので、由来はわからないが条里制とは別の由来だろう。そして、十一以上は実在しないと思われる。

ただし、大きく飛んで、「千条」と「万条」は存在する。もちろん、平行な直線を1000本や10000本も引いたわけはなく、これらも由来は別で2つの可能性がある。

一つは、「たくさん」という意味で「千」や「万」を用いることが多かったことに因むものだ。「千客万来」「千軍万馬」など、極めて数が多いことを実際の数とは関係なく「千」や「万」と表現した。「千条」や「万条」は「たくさんの道がある場所」を意味しているともいえる。

もう一つは漢字を変化させたものである。江戸時代以前は名字を自由に変更できたため、本家と分家で同じ読み方のまま漢字を変えるということが全国で行われていた。日本人の名字には同じ読み方で漢字の違う名字が多いのは、こうした理由によるものだ。

古代、「先生」(せんじょう)という役職があり、これに因む「先生」という名字がある。また、山陽地方を中心に「万城」(まんじょう)という名字もある。こうした「先生」や「万城」などから漢字が変化したものもあるとみられる。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

姓氏研究家

1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」「日本名門・名家大辞典」「47都道府県・名字百科」など多数。2017年から5年間NHK「日本人のおなまえ」にレギュラー出演。

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