Yahoo!ニュース

縁ある監督が揃って進撃!  高校野球京都大会

森本栄浩毎日放送アナウンサー
筆者にとって思い出深い監督が京都で快進撃。甲子園まであと2勝だ(筆者撮影)

 甲子園をめざす戦いは、終盤戦にさしかかってきた。沖縄尚学に続いて、専大松戸(千葉)と敦賀気比(福井)が春夏連続出場を決め、23日には、4校が甲子園切符を手にした。好投手を要する明桜(秋田)、古豪・松商学園(長野)、日本航空(山梨)、それに波乱続きだった宮城は、東北学院が春夏通じて初の甲子園出場を勝ち取った。

縁の深い監督が相次ぎ登場

 京都は準々決勝。第1試合の乙訓と第2試合の京都外大西の監督は、現役選手時代から縁がある。長く高校野球にかかわり、多くの選手と巡り会ってきたし、プロで活躍する選手とも縁は続いている。しかし、最も感慨深いのは、指導者として甲子園で再会することである。乙訓の市川靖久監督(38)は、平成12(2000)年に鳥羽の主将として、センバツ開会式前日のキャプテントークで会った。外大西の上羽功晃(たかあき)監督(52)には、昭和62(1987)年センバツで、彼が選手宣誓をしたとき(当時は京都西)、開会式前にインタビューをさせてもらった。34年も前のことである。

市川監督の母校破り4強へ

 乙訓は、3回戦で優勝候補の龍谷大平安を延長10回の死闘の末、9-4で破った。

乙訓の市川監督は、京都教育大を経て、府立高校の教諭に。3年前の春、乙訓を初の甲子園へ導いた(筆者撮影)
乙訓の市川監督は、京都教育大を経て、府立高校の教諭に。3年前の春、乙訓を初の甲子園へ導いた(筆者撮影)

 秋の府大会決勝で敗れた相手に見事、雪辱し、続く同志社にも快勝。この日は、市川監督の母校でもある鳥羽との試合だった。4回に3連続適時打で4点を奪って、エースの北見隆侑(3年)を援護したが、北見が8回、自らの失策から崩れる。最後は1点差を守り切って、5-4で逃げ切り、準決勝進出を決めた。頭を掻きながら引き上げてきた市川監督からは、反省の言葉が次々に出てくる。

メンタル面修正で上をめざす

 「雑な部分が多すぎる。ライナーで戻れなかったり、スライディングしなかったり。北見も先頭の四球はいけない」と、まるで負けチームの監督のようだ。「平安のときは、もっと向かっていけてた。この前の試合から受けに回っている」と、選手たちのメンタル面の修正を課題に挙げた。秋は準優勝で、春は京都国際に敗れて4強止まり。「強いチームは、終盤に粘り強いし慌てない」と話すが、この日の乙訓は、終盤に本領が出ていた。3年前の春に続く甲子園はもう目の前だ。

上羽監督の選手起用当たる

 外大西は、春の府大会準優勝の京都成章と1点を争う熱戦。

京都外大西の上羽監督(手前)とは、いつも会話が弾む。「10月で定年なんですよ」(筆者) 「えっ!そうなんですか。でも僕も52ですもんね」 34年経っても、「上羽君」と呼びたい(筆者撮影)
京都外大西の上羽監督(手前)とは、いつも会話が弾む。「10月で定年なんですよ」(筆者) 「えっ!そうなんですか。でも僕も52ですもんね」 34年経っても、「上羽君」と呼びたい(筆者撮影)

 6回に4番・的場大河(3年)の適時打で挙げた1点を、ワトリー・ジャイヤー・イシメール(3年)-星野烈志(3年)の好継投で守り切って、2-1で競り勝った。「練習では守備しかしていない」(上羽監督)という北川弘馬(3年)が美技を連発するなど、上羽監督の選手起用もズバズバと当たっての会心の勝利だった。

34年前のセンバツでの後悔

 上羽監督とは、先述のように34年もの長い付き合いになる。件のインタビューで、筆者は彼に宣誓の予行演習のようなことをさせてしまい、肝心の本番で、言葉が出てこなかった。実直な性格の彼は、「すみません」と言ってから、英語を交えた見事な宣誓をやってのけたが、「お前が余計なことをさせるからだ」と先輩から怒られ、深く反省したものだ。その上羽監督とは後年、偶然、再会することになる。

彼から声をかけられ、モヤモヤ晴れる

 オリックスが強かったころだから、平成7(1995)年ごろだろうか。グリーンスタジアム神戸(ほっともっとフィールド神戸)で、オリックス戦の中継を終えて帰るときに、暗がりから「森本さん!」と若者の声がした。「上羽です」「ああ、上羽君。あのときはすまんかったなあ」。彼から声をかけてくれたことが何よりも嬉しく、お詫びができたことで、長年、後悔として残っていたモヤモヤが一気に晴れた気がした。彼は当時、神戸製鋼で活躍していて、引退後 母校に戻った。指導者としてこれまで3度、チームを甲子園へ導いている。侍JAPANの大野雄大(32=中日)は教え子だ。

悔いなき試合を!

 この市川監督率いる乙訓と、上羽監督の京都外大西が準決勝で当たる。「(外大西は)足を使った嫌な攻撃をするし、やりにくい相手」と市川監督が言えば、上羽監督は、「(乙訓は)投手がいいので、何とかロースコアの展開に持ち込みたい」と僅差勝負を願った。必ず勝敗はつく。高校時代から二人を見守ってきた立場から言えば、「悔いのない試合を!」ベストゲームを期待している。

毎日放送アナウンサー

昭和36年10月4日、滋賀県生まれ。関西学院大卒。昭和60年毎日放送入社。昭和61年のセンバツ高校野球「池田-福岡大大濠」戦のラジオで甲子園実況デビュー。初めての決勝実況は平成6年のセンバツ、智弁和歌山の初優勝。野球のほかに、アメフト、バレーボール、ラグビー、駅伝、柔道などを実況。プロレスでは、三沢光晴、橋本真也(いずれも故人)の実況をしたことが自慢。全国ネットの長寿番組「皇室アルバム」のナレーションを2015年3月まで17年半にわたって担当した。

森本栄浩の最近の記事