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倫理面の議論「待ったなし」――iPS細胞・山中伸弥教授に聞く遺伝子研究

森健ジャーナリスト、専修大学非常勤講師
(撮影:塩田亮吾)

生命活動を支えるDNA。その最先端の研究を紹介するNHKの番組「NHKスペシャル 人体 II」のホストを京都大学iPS細胞研究所長の山中伸弥教授が務めた。番組の発表会見後、山中教授に単独インタビューを実施。世界最先端のDNA研究についての感慨をはじめ、いま国内で複数進むiPS細胞の臨床研究の見通しや生命科学分野の倫理面での課題などについて尋ねた。

自分も「遺伝子ハンター」だった

東京・渋谷にあるNHK放送センターの会議室。番組の感想を尋ねると、山中伸弥教授は少し照れたような表情をしながら、こう答えた。

「僕が研究を始めたのは、平成元年(1989年)なんですが、DNAを扱いだしたのは2000年くらい。正確には1998年の夏からで、当時は『遺伝子を見つける』ようなことをしていました。当時遺伝子は10万個あると言われていて、遺伝子一つ見つけたら、研究者として5年か10年くらい食べていけるんじゃないかと言われていた時代です。世界中の研究者が『遺伝子ハンター』のように新しい遺伝子を見つけようとしていた。僕も一つだけ見つけましたけどね」

山中教授がホストを務めたNHKスペシャル「シリーズ人体II 第1集 あなたの中の宝物“トレジャーDNA”(5月5日(日)21時~放送)」。番組は、これまで「ジャンク(がらくた)」とみなされていた大部分のDNAに「トレジャー(宝)」が潜んでいるというコンセプトだ。これまで遺伝子と呼ばれて解析が行われていたのは全DNAのたった2%。残りの98%は「何の働きもしないがらくただ」とさえ言われてきた。

「いまもう遺伝子は一応全部見つかっている。でも、当時は見向きもしなかった遺伝子と遺伝子の間の配列に、いろんな秘密がありそうだとわかってきた。その未開の地という、ものすごくやりがいのある研究テーマが、また目の前に広がっている。そんな感じがしますね」

山中伸弥:1993年、大阪市立大学大学院を修了。2004年京都大学再生医科学研究所教授。2006年、4つの遺伝子の導入で体細胞の初期を発見、iPS細胞樹立に成功。2012年ノーベル医学生理学賞受賞
山中伸弥:1993年、大阪市立大学大学院を修了。2004年京都大学再生医科学研究所教授。2006年、4つの遺伝子の導入で体細胞の初期を発見、iPS細胞樹立に成功。2012年ノーベル医学生理学賞受賞

番組では、世界各地の研究現場を取材している。

口腔内のDNAだけでCGで顔を再現できるという中国の研究、100歳を越えても元気に生きる人たちに共通すると考えられるDNAやカフェインをすぐ分解できる特性をもつDNAの研究、10分以上潜水していられるインドネシアの人たちに共通する臓器の特徴とその遺伝子との関係――。

要は、環境に応じて適応するよう、生体が体質を変化させ、ひいてはDNAの発現まで調整しているという知見がさまざま取材されていた。これまでわかっていなかったDNAの働きのみならず、周辺の環境によってDNAの働きが変化するということが示唆される内容だった。

中国、アメリカ、インドネシア、イギリス、アイスランド、ポルトガル……。世界を股にかけた惜しみない取材をしているのが同業者としては羨ましくもあり、同時にまた、どの知見もたいへん興味深い内容だった。

(撮影:塩田亮吾)
(撮影:塩田亮吾)

もとよりDNAの働きは判明している遺伝子だけだろうか、という疑念は長くもたれてきた。

1991年に始まった「ヒトゲノムプロジェクト」で、それまで10万個程度ではと見込まれていたヒト遺伝子の数が、2000年のドラフト(概要版)発表時は約3万個と推定され、2003年の同プロジェクト完了時には、さらに少なくなって約2万2000個と発表された。それから15年後の昨年9月では米ジョンズ・ホプキンス大学の研究で2万1306個とされている。

問題は、それら発見された遺伝子はDNA全体から言えば、全体の2%程度に過ぎないことだ。

2万個ほどの遺伝子しかないのに、なぜ脳や目や骨、臓器などの多様な器官が適切な場所に形成されるのか。発生や成長に合わせて変化していく生体の中で、なぜ37兆個という細胞は適切な機能を果たすことができるのか。これまでの生命科学の研究で、それらすべての謎が解明されたわけではなく、DNAの働きもまたわからない部分が膨大に広がっていた。

今回の番組が触れようとしていたのは、そんなわからない部分のDNAの働きについてだった。ヒントになりそうな鍵を、従来発見されていたDNAの2%にあたる遺伝子ではなく、「ジャンク(がらくた)」と思われていた98%の部分に目を向けた。そこに番組の視点の一つがあった。

(撮影:塩田亮吾)
(撮影:塩田亮吾)

「ジャンクDNA」とiPS細胞研究

一方で、そこで私が気になったのは、番組のホストである山中伸弥教授の存在だ。NHKの公式サイトでも、山中教授自身、「僕自身が割と専門家というか、普段から研究しております」と述べているように、DNAは山中教授の専門領域でもある。そればかりか、今回のテーマはまさに山中教授がiPS細胞の研究で直面してきた課題に近いようにも思われた。

「iPS細胞=人工多能性幹細胞(induced pluripotent stem cells)」とは、体内のあらゆる細胞に分化できるという特性をもっているが、それをどうコントロールするかが研究者にとって課題であったからだ。

iPS細胞の臨床応用では、iPS細胞を培養し、最終分化に近い状態にしてから移植するという。そこで周辺の細胞組織とiPS細胞のコミュニケーションができなければ、予想外の細胞ができあがってしまう可能性がある。たとえば、ある神経を再生しようとiPS細胞を注入したのに、そこに骨組織や拍動する心筋細胞、あるいは腫瘍のようなものができてしまったら大変なことだ。実際、過去の研究では、そうしたリスクはさまざま指摘されてきた。

だから、完全に分化の行方をコントロールできるようには、把握されている約2万2000個の遺伝子だけではないDNA(ジャンクDNA)の挙動にも当然ながら関心が払われてきたはずだ。

――かつて「ジャンク」と思われていたDNAに関わる研究の進展は、iPS細胞の研究と重なるのでは。

「iPSをつくるのは4つの遺伝子(通称ヤマナカファクター)です。この十何年調べてわかってきたのは、その4つの遺伝子を体細胞に作用させると、細胞は突然活性化されて──言ってみたら、細胞が大騒ぎになって、iPS細胞に変化する。その時、活性化しているのはかつてのゴミといわれていた部分なんです。だから、まだまだ奥が深いなぁというのが正直な気持ちですね」

(撮影:塩田亮吾)
(撮影:塩田亮吾)

──そのiPS細胞は培養条件によっても、いろんな方向に変わりますね。

「そうなんです。同じiPS細胞であっても、周囲の環境によって、全然違う細胞になっていく。本当にまだ秘密がいっぱいです」

そこで山中教授に尋ねたかったのが、目下さまざまな研究機関で行われようとしている臨床での取り組みに対する考えだ。

最初にiPS細胞の臨床研究をはじめたのは2013年の理化学研究所での加齢黄斑変性を患った患者への網膜への移植だが、この1年ほどでiPS細胞を使った臨床研究計画は次々に発表されている。

慶應義塾大学では脊髄損傷の患者対象に対して脊髄の神経組織を移植する研究を、大阪大学では角膜混濁で視力障害を引き起こす疾患に角膜上皮細胞の細胞シートを移植する臨床研究を発表。ほかにも京大や阪大で厚生労働省からの承認を待つ臨床研究計画が複数ある。

さる4月中旬に日本眼科学会総会で発表された理化学研究所の加齢黄斑変性に対する臨床研究の報告では、安全性が確認されたという点に重心が置かれた報道がなされた。それらによれば、2017年3〜9月、iPS細胞をもとにつくった網膜細胞を60~80代の男性に注射で移植。「移植した細胞は腫瘍化せず定着し、1人で軽い拒絶反応があったが、薬で治まった。5人とも視力は維持されているという」(朝日新聞、2019年4月19日)。

だが、1年ほど前の2018年1月には、この治験での70代の男性で、網膜がむくむ網膜浮腫という症状が出たという。「移植した細胞の問題というより手術法の問題との認識を示し、今後改良などを検討する」ということだった(日本経済新聞、2018年1月16日)。

――複数の機関でiPS細胞の臨床研究が進んでいます。この状況をどうみていますか。

「チームでやってきたのが良かったと思います。いま(理研で網膜への移植をした)高橋政代先生が一歩進んでいますが、ほかの先生も大きく遅れることなく、マラソンでいうと首位グループから脱落せずに進んでいる。iPSができたときに、研究者や国にもお願いしたのは、チームでやりましょうということ。バラバラでやったら絶対アメリカとかにやられてしまう。だから、日本は役割分担にしましょうと声をかけた。僕たち京大がiPS細胞をつくって渡すので、理研や慶応など他の研究機関は網膜や神経細胞などに作り変えて移植する。それがうまくいっているということだと思います」

(撮影:塩田亮吾)
(撮影:塩田亮吾)

「リスク」と「ベネフィット」のバランス

──iPS細胞ではつねづね腫瘍化などのリスクについて言及されてきました。臨床研究が続く状況にあって、そうしたリスクの排除はどの程度達成されていると思いますか。

「(iPS細胞の作成からの)12年間の半分ぐらいは、どうやってリスクを下げるのかということでした。12年前から考えれば、第二世代、第三世代、第四世代と、非常に安全性が高まっています。ただ、リスクは減っても、絶対ゼロにはならない。だから、リスクとそれに対する効果=ベネフィットとのバランスで、ベネフィットが上回ると思えたら、臨床試験等を始めることができるのだと思います。だとすれば、たくさんのプロジェクトがそういう段階に達していると思います」

安全性のほかにも課題はある。京都大学iPS細胞研究所で進める「再生医療用iPS細胞ストックプロジェクト」は、他家(他人)のiPS細胞で大量に培養しておき、それを医療用に応用していくという構想だ。だが、そこでつくられた細胞には人によって合う合わないの相性があり、現状では、日本人の4割ほどしか適用されないという。

――ストックがカバーする範囲をどう広げていきますか。

「この数年でゲノム編集という技術がすごく進みました。僕たちもまさにゲノム編集の技術を取り入れて、これまで作ったストックを7割や9割にしようと思ったら、いままでの何十倍もつくらないといけない。でも、ゲノム編集ができることになったことで、いままでつくった細胞のゲノムで拒絶に関わるような遺伝子を、少し編集しますと、ほぼ全人類をカバーできるようなストック(iPS細胞)がつくれそうだということがわかってきています。もちろんそれも安全性など検証していかないといけないので、慎重にやっていきますけれども」

(撮影:塩田亮吾)
(撮影:塩田亮吾)

ゲノム編集は次世代以降にも影響を及ぼすとされるヒト受精卵への応用は認められていないが、遺伝性疾患など重篤な病気については臨床応用が認められる方向に向かいつつある。iPS細胞自体、人為的に操作した細胞ではあるが、特定の配列を編集できる技術を導入したiPS細胞となれば、医薬品や医療機器として販売されるときには、審査でさらに慎重さを求められる可能性がある。

──医薬品としての治験、さらにその後の審査には相当な時間がかかりませんか。

「そうですね。5年、10年単位でかかると思います。こういう新しい治療法の開発というと、基礎研究の成果から実際の患者さんに届くまでは20年、25年とかかるのが普通です。昨年のノーベル医学生理学賞を受賞した本庶佑先生のオプチーボ(がん免疫療法の抗がん剤)のPD-1という遺伝子は発見から製品化まで約25年かかっています。だから、発見から12年のiPS細胞はいま半分くらいじゃないかという感覚をもっています」

「(iPS細胞の研究は)次々に臨床試験に入りつつありますから、これが早いものは、うまくいけば5年後ぐらいには『条件付き承認』が得られるものが出てくるんじゃないかなと期待しています。こういう新しい薬や治療法の開発というのは、山登りと同じで頂上に近づけば近づくほど、坂が急になって、断念したり、引き返したりというケースも増えてくる。つまり、臨床試験に入ったからといって、全然安心できない。ここから中断したり、引き返したりしないとだめなものも出てくる可能性だって十分あります。ただ、一回だめだったからと諦めてしまうのではなく、ベースキャンプに戻って再アタックするとか、そういう粘り強さは必要だと思っています」

(撮影:塩田亮吾)
(撮影:塩田亮吾)

「いろんな治療法が並行してあることが患者さんにとって一番いい」

iPS細胞以外を使った新しい治療法についてはどうみているのか。例えば、いま札幌医科大学では患者自身の骨髄液から採取した間葉系幹細胞という細胞を培養して静脈に投与することで、寝たきりだった患者が数週間で歩きだしたり、不便なく日常生活に戻ったりするような衝撃的な医療が実現されている。さらには、脳梗塞後遺症(半身不随)の再生や、脳の機能そのものに関係する高次機能障害の回復などめざましい成績をあげている。この治療はこの春から、急性期(受傷から31日)の脊髄損傷に限って公的医療保険を適用され、一般での医療が始まっている。

この医療はiPS細胞のような人為的なものとは異なり、自身の幹細胞を使って自己治癒力を高めるというアプローチのものだが、今後製品開発がうまく進めば、脊髄損傷のみならず、神経疾患を中心に、大きく広がる可能性がある。

私自身、3年前に同医療の存在を知り、取材をしたが、予想をはるかに上回る治療結果で心底衝撃を受けた覚えがある。その取材は「Yahoo!ニュース 特集」でも3月に報じた。実はNHKスペシャルでも、山中教授がホストを務めた「シリーズ人体II遺伝子 」第1集の前日に「寝たきりからの復活 ~密着!驚異の「再生医療」~」(5月4日)として放送する予定にある。

――札幌医大の研究は、クラシックな幹細胞を使ったものです。こうした研究をどうみていますか。

「脊髄損傷というのは大変な病気です。iPSを使った治療は、慶応の岡野栄之先生、中村雅也先生もされていますが、やはりいろんなアプローチで試していって、患者さんの状態によっていちばんいい治療法が変わってくる可能性もありますし、どれか一つだけにするんじゃなくて、いろんな治療法が並行してあることが患者さんにとって一番いいんじゃないかと思っています」

(撮影:塩田亮吾)
(撮影:塩田亮吾)

研究者だけではなく当事者の声の集約を

さらに、iPS細胞の医療が実現した時に懸念される点がもう一つある。薬価だ。

基本的に薬価は研究にかけた時間や人件費など研究開発費を算出根拠に算定され、検討されるケースが多い。その場合、十数年、数十年とかかった新薬や医療機器は数千万円となる可能性がある。そうなると、いかに治療効果が高くとも、それを公的医療保険に乗せてよいのかという議論にもつながる。

――薬価についてはどう考えますか。

「そうですね、特に海外で開発されている新しい治療法は高額になっています。一人あたり何百万円、何千万円、場合によっては1億円くらいの治療も登場しています。僕たちとしては、iPSの再生医療、iPSをつかった新薬の開発は日本で完成させて、日本で薬価を取りたいと思っています。それによって適正価格をつけたい。日本で安くする、というのではなく、製薬会社にもちゃんとリターンがあるけれども、それ以上ではないというところに日本主体で落ち着かせたいというのが僕の夢なんです」

(撮影:塩田亮吾)
(撮影:塩田亮吾)

生命科学分野での研究の進展スピードについても話が及んだ。

――急激に研究が進む中で、実際に社会に導入するには倫理面での課題もあります。

「10年くらい前までは研究開発のスピードはそこまで早くなかった。ですから、倫理的に議論が生じるような技術であったら、とりあえず様子をみようということで済んでいたんです。でも、いまは今年できないことが来年にはできているというくらい、急速に研究が進んでいて、待ったなしの状況になってきている。つまり、ゲノム編集された赤ちゃんなんて先の話だろうと思っていたら、中国で本当に子どもが誕生していた。そういう時代なんです」

「倫理的な議論もしていかないといけないのですが、研究者だけでなく、病気の当事者やいろんな人の意見を集約しないといけない。全員が賛成、全員が反対ということはないだろうし、僕も明確な答えを持っていない。でも、そういう中では、技術を導入すべきかどうかという議論において、リスクとベネフィットのバランスや導入したときの客観性や透明性というのが問われるのかなと思いますね」

そう話すと、山中教授は次の予定に忙しそうに出ていった。

多能性をもった幹細胞、iPS細胞は発見から12年の時を経て、臨床の場に踏み出し始めている。臨床研究計画の記者会見などを見ているとその前途は洋々と映るが、一方で十分に語られてない部分に気づくこともある。汎用性のために利用されるゲノム編集の是非、排除していかなければならない安全性のリスク、将来医療機器などで実現したときの薬価の妥当性……。実際の医療に至るにはまだ超えるべき、議論すべき部分は多く残されている。

研究者がそれらすべてを開示して社会の議論とすることができるだろうか。山中教授の話には、そんな素材がいくつも潜んでいるように思えた。

NHKスペシャル・シリーズ人体II 遺伝子「第1集 あなたの中の宝物 “トレジャーDNA”」は5月5日(日)21時~、「第2集 “DNAスイッチ”が 運命を変える」は5月12日21時~放送。

ジャーナリスト、専修大学非常勤講師

1968年東京都生まれ。早稲田大学法学部卒業。科学雑誌、総合誌など雑誌専属記者を経て、独立。2012年『「つなみ」の子どもたち』で第43回大宅壮一ノンフィクション賞受賞、2015年『小倉昌男 祈りと経営』で第22回小学館ノンフィクション大賞受賞、2017年第1回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞、ビジネス書大賞2017審査員特別賞受賞。著書に『ビッグデータ社会の希望と憂鬱』、『勤めないという生き方』、『グーグル・アマゾン化する社会』、『就活って何だ』、『人体改造の世紀』、『天才とは何か』ほか。