Yahoo!ニュース

工藤了

脊髄損傷の治療に光明 自分の細胞で神経再生、札幌医大の幹細胞治療

2019/03/18(月) 07:47 配信

オリジナル

これまで有効な治療法がなかった脊髄損傷。不慮の事故などで重い後遺症を抱えた患者は、そのまま車いすや寝たきりの生活が続くのが常だった。そんな脊髄損傷患者をめぐる状況が、大きく変わるかもしれない。昨年末、患者自身の細胞を使った画期的な再生医療製品の製造販売が、厚生労働省に承認されたからだ。脊髄損傷の再生医療製品が承認されるのは初めてで、公的医療保険の適用対象となる。開発を主導した札幌医科大学の研究チームによる成果とは。(ジャーナリスト・秋山千佳、森健/Yahoo!ニュース 特集編集部)

点滴翌日、まひしていた肘や膝が動きだした

その動画は、スポーツで脊髄損傷を負った40代の男性がベッドに横たわっている様子から始まる。男性は首から下の四肢がほとんど動かなくなり、寝たきりのまま札幌医科大学附属病院に搬送された。けがから約1カ月半後、ある「細胞」の入った薬剤を点滴で投与された。

すると翌日。男性は、まひしていた肘や膝を屈伸できるようになり、その日のうちに車いすで移動できるほどに回復した。前日までぐったりしていた男性は、笑顔でこう話す。

「まさか自分で(車いすを)こげるとは思いませんでしたね」

さらに回復は続く。車いすどころか、1週目で自分の足で歩きはじめ、6週目には階段の昇降がスムーズにできるようになり、12週目では普通の歩き方に。退院する24週目には、けがで一度はほぼ動かなくなっていた手指を使って、特技のピアノ演奏を披露した。

札幌医科大学(撮影:工藤了)

「これまでならずっと寝たきりの可能性が高かった人です」

ピアノを弾く画面の男性を指し示して、札幌医科大学の本望修教授は語る。動画は脊髄損傷患者に対する治験の様子を収めたものだ。治験は、本望教授をはじめとする同大学の研究チームが2013年12月から実施した。

脊髄損傷は日本国内で1年間に約5000人が新たに患者になるとされ、後遺症などを抱える慢性期患者は約10万人に上る。これまで傷付いた神経の機能を回復させるのは難しいとされ、手術やリハビリ以外に有効な治療法がなかった。

本望教授は、男性に投与した「間葉系幹細胞」(MSC: Mesenchymal Stem Cell)を使った治療を導き出した研究者であり、脳神経外科医だ。

MSCとは、神経や血管、内臓など体のさまざまな組織に分化する能力を持った幹細胞で、骨髄液中の細胞1万〜10万個に1個の割合で存在する。本望教授が解説する。

「この細胞は、普段から骨髄から血液中に出て体内をぐるぐると回り、全身の新陳代謝に関わっています。そして傷付いたところがあれば、そこに集まって治す性質がある。つまり、われわれの自己治癒力に関わる存在です。ただ、通常は数が少ないから、途中で治りが止まってしまう。そんな細胞を人為的に採取して大量に培養し、体内に戻すことで『自己治癒力を高める』というのがこの治療のコンセプトです」

札幌医科大学医学部附属フロンティア医学研究所の本望修教授(撮影:工藤了)

骨髄液を採取、幹細胞を培養して、点滴するだけ

治療のポイントは患者ごとに細胞製剤を作ることにある。その製剤に公的医療保険が適用されるには、効果と安全性を証明する治験を行い、医薬品として厚生労働省から承認される必要があった。

培養中のMSC(間葉系幹細胞)。2週間ほどで1万倍に培養し、約40ccの細胞製剤にする(撮影:工藤了)

治験の対象者は、損傷後2週間以内に札幌医科大学附属病院へ入院・転院できる急性期の患者だ。

脊髄損傷を負ったばかりの患者のいる病院や家族から同大学に連絡が入ると、チームの医師がすぐに現地へ赴く。北海道外が多く、遠方だと四国というケースもあったという。検査や意思確認などで問題がなければ、医師同行で同大学附属病院へ搬送する。

そこから3〜4週間で、患者の全身の検査と並行して、投与する細胞製剤の準備を行う。

細胞製剤で治療するには「MSCの採取、培養、投与」という三つのステップがある。まずは、患者の腸骨(お尻の骨)から骨髄液約数十ミリリットルを採取する。本望教授は「細胞は培養して増やせるので骨髄液は少量で済む」と言い、局所麻酔で10分ほどで終了する。その後、骨髄液からMSCを取り出して2週間ほどで1万倍(5000万〜2億個)まで培養し、1週間ほどかけて安全性のチェックをしたのち、約40ccの細胞製剤にする。

(図版:ラチカ)

患者の体調と細胞製剤の両方の準備が整うと、パックされた製剤を通常の点滴と同じように、30分〜1時間かけて患者の静脈に投与する。投与は1回のみ。患者の身体的負担が軽いのも、この治療の特徴だ。

治験では、参加した20〜60代の重症患者13人のうち12人が5段階ある機能障害の尺度(完全まひから正常までの5段階)で1段階以上改善する結果になった。冒頭の男性もその一人だが、彼の回復が特別なわけではない。

投与翌日、肘を曲げ、24週目にはスキップも

転落事故によって四肢がまひした別の50代男性も、投与翌日に肘を曲げられるようになった。

4週目には車いすに乗り、歩行訓練も開始。手指が動くようになったことで自ら食事を取れるようにもなった。人に食べさせてもらわずに済むようになるのは、どの患者も特に喜ぶ瞬間だという。16週目には床から自力で立ち上がり、早歩きをし、退院する24週目にはスキップまでできるようになった。

本望教授は言う。

「寝たきりだった人が、仕事に戻れて社会復帰です。今回の治験が13例だけで早期承認されたのは、このように効果が見込めて副作用もないからなのです」

(撮影:工藤了)

厚労省は2015年、「先駆け審査指定制度」を開始した。これは、脊髄損傷のような根治療法がない患者らのため、治験の症例が少なくても安全性が確認でき、「有効性の大幅な改善が見込まれる」(厚労省「先駆け審査指定制度について」)場合、早期に実用化する新制度だ。今回の細胞製剤は、2016年に再生医療等製品の第1回対象品目に選ばれ、その中で最も早く承認された。

MSCを使った今回の細胞製剤は、効果はもちろんのこと、「自家(患者自身の)細胞であり、拒絶反応や副作用の心配がない」(本望教授)というのが大きな強みだ。

今回の承認は7年間の「条件付き」。この期間で作用のメカニズムなどをさらに検証し、効果が確認できれば販売を継続できる。

培養され、製剤化されたMSC。30分から1時間の点滴(静脈内投与)で処置は完了する(撮影:工藤了)

自動的に体を治す性質をもつMSC

本望教授は、地道な研究を30年近く続けてきた。

1989年に札幌医科大学医学部を卒業し、脳神経外科医に。1991年に米ニューヨーク大学、翌年からは米イエール大学で神経再生の研究に従事し、1995年に札幌医大に戻ってからも同様の研究を続けた。もっとも当時は、「神経再生なんて寝言じゃないのと言われるような時代だった」という。神経細胞は再生しない、というのが医学の常識だったからだ。

研究は神経そのものから採取した細胞の移植から始まり、ES細胞(胚性幹細胞)を試した時期もあった。その後、倫理面や実用面のハードルの高さを感じ、別の細胞で代用できないか模索するようになった。

共同研究を進める米イエール大・ジェフリー・コーシス教授が札幌医大を訪問した際に研究チームと(撮影:工藤了)

そんな折、動物実験で骨髄液を移植してみると、微弱ながら神経機能が回復することに気づいた。そこで骨髄液中のあらゆる細胞を採取し、どんな治療効果があるか一つずつ検証していくうち、90年代末に行き着いたのがMSCだった。

MSCについては、その時点では知見が乏しかった。だが、研究していく過程で、MSCは普段から血流に乗って体内を巡っており、損傷部位があるとそこへ自動的に集まって治す性質があることがわかってきた。その性質を生かして、損傷した局所に注入しなくとも、静脈注射で効果があることが判明し、実用化がぐんと現実的になったという。

動物実験では、脳梗塞や脊髄損傷、パーキンソン病などさまざまな病気で成果を上げた。研究チームの一員で同大学の脳神経外科医、岡真一・特任講師は、2000年に大学院生として関わるようになった。「ラットにMSCを静脈注射する試験をたくさん行う中で、これは人にもいけるかなという手応えはありました」と回想する。

札幌医大医学部附属フロンティア医学研究所・神経再生医療学部門で特任講師を務める岡真一氏。脊髄損傷だけでなく、脳梗塞の再生医療の治験にも関わっている(撮影:工藤了)

脳梗塞で半身まひの人も職場復帰を果たす

本望教授がその手応えを確かなものにしたのは、2007年、脳梗塞の患者に対する臨床研究だったという。

脳梗塞の後遺症で1カ月半ほど半身まひだった男性患者に投与したところ、翌日には、固まっていた手指が動き出した。最終的にはリハビリが不要なほどに回復し、職場復帰を果たした。

ただ、臨床研究はあくまで学術的な位置付けであり、そのままでは新たな治療法として医療現場で普及させることはできない。

折しも同年、文部科学省は、基礎研究の成果を研究者・医師が主導して実用化につなげる「橋渡し研究(トランスレーショナルリサーチ)」を支援する仕組みを立ち上げた。本望教授の研究も、2009年から医師主導治験として推進された。本望教授は「こうした仕組みがなかったら、今もまだ治験を開始できていない状況だったかもしれない」と振り返る。

(撮影:工藤了)

脊髄損傷は、日本では主に整形外科が担当する。そこで2013年に始まった脊髄損傷の治験から研究に携わるようになったのが、同大学の整形外科医で、この治験の責任者の山下敏彦教授だ。

山下教授は本望教授たちの研究について、2007年に脳梗塞の臨床試験を取り上げたテレビ番組を見て知ったという。「脊髄損傷にも応用できるな」と思った一方、「半信半疑の面があった」と振り返る。

「テレビには良くなった患者さんが出ていましたが、すべての患者さんに適用できるか、脊髄損傷でどの程度効果があるかは、正直なところ期待半分、疑問半分でした」

札幌医科大学医学部整形外科学講座の山下敏彦教授(撮影:工藤了)

脊髄損傷は、交通事故や転落事故、転倒やスポーツなどによって、背骨にダメージを負うことで発生する。骨の中を通る中枢神経(脊髄)が押しつぶされたり断裂したりして、正常に機能しなくなる状態だ。脊髄が損傷すると、全身と脳を接続する神経の信号伝達ができなくなり、主に首から下の運動機能や知覚がまひしてしまう。重症の場合は、呼吸障害や排尿排便ができなくなる障害が残ることも多い。さらに自律神経系も機能しなくなって心臓や血管の働きが不安定になり、血栓症や肺炎など様々な合併症を引き起こすこともある。

(図版:ラチカ)

山下教授が効果に半信半疑だったのは、整形外科医としての経験によるものだった。

「脊髄損傷の患者さんが運ばれてくると、『回復することもあるから頑張りましょう』と最初は励まします。ただ、完全まひだとほとんど治らないというのが常識です。まして1カ月経っても動かない場合は、患者さんやご家族に心苦しい残酷な告知をしなければならなかったのです」

治験の過程で目の当たりにしたMSCの細胞製剤の効果は、そうした常識を覆すものだった。

MSCが神経を「賦活化」

投与から1カ月ほどの早期には、損傷部位の残った神経の周辺にMSCが集まり、神経を保護したり、炎症を抑えたりして「賦活化(ふかつか)」させる効果が発揮される、と山下教授は解説する。

「脊髄には何万本もの神経線維が通っています。事故などによる脊髄損傷の場合、すべての神経が完全に切れるというより、神経を包む鞘が押しつぶされているケースが多い。それらの神経は仮死のような状態で、脳からの電気信号が通らなくなっている。そうした神経の鞘をMSCが保護して、伝導を戻すのが賦活化です」

(撮影:工藤了)

神経を電源コードに例えるなら、損傷して中の銅線がむき出しになり、そのままでは使えなくなったものを、再び被膜で覆うことで電気を通せるようにするイメージだという。

回復の後期には、電源コードの銅線にあたる「軸索」という中心部が切れた神経でも、MSCが神経のスプラウティング(発芽)を促して、切れた箇所をバイパスのようにまたいでつなげたり、MSC自体が神経に分化して再生させたりする効果が表れるという。

(撮影:工藤了)

山下教授は2014年からさまざまな学会で治験の成果を発表してきたが、度々「自然回復ではないのか」と言われてきた。一部の機能が残っている不全まひの患者の場合、程度は別として回復の「可能性」はあるからだ。それに対し、山下教授は「通常不全まひの患者さんで回復するのは50%程度ですが、治験で不全まひの人は全員回復していて、しかも全員が投与翌日から良くなった。自然回復では明らかにあり得ないことだ」と反論する。

さらに、完全まひで「今までなら100%回復していない」と断言できるような患者が回復してきたことも、効果が本物だという自信につながったという。

人工呼吸だった男性が電動車いすで自分で移動

交通事故で背骨がずれた60代の男性は、気管挿管して人工呼吸という状態だった。尿路感染症などの合併症もあって、搬送直後は一時命が危ぶまれる状態に至ったという。

それでもMSCを投与後、29日目から回復が始まった。まず左腕を屈曲できるようになった。その2週ほど後には、人工呼吸器を離脱できた。気管切開した人が発声するための器具、スピーチカニューレを着けて話せるようになり、最終的にはスピーチカニューレも不要になった。「話せた時には本人も奥さんも感動して、涙、涙でした」と山下教授は振り返る。24週の退院までに、電動車いすで移動できるほどに回復した。

「治験では13例中12例で1段階以上改善した」と報告する山下教授(撮影:工藤了)

また、治験の13例中最も重症で、ただ一人、機能障害の尺度で1段階の改善が見られなかった20代の男性も、呼吸状態はある程度良くなったという。

冒頭のピアノを弾いて退院していった男性は、今や車で一人旅をし、治験から2年ほど後に突然病院を再訪して、研究チームの人たちを驚かせたという。岡講師は「症状がぶり返すことなく、回復したまま続いているという証明ですよね」と話す。

治験の状況を見ると、「階段状」に回復するのがわかるという(撮影:工藤了)

治験は2017年2月に終了し、翌年6月、同大学と共同開発を進めてきた医薬・医療機器大手のニプロが、細胞製剤「ステミラック注」として厚労省に製造販売の承認を申請した。

自然治癒力を生かした医療へ

そして、ステミラック注は2019年2月20日、厚労相の諮問機関である中央社会保険医療協議会で正式に保険適用が確定した。薬価は1回あたり約1500万円(社会保険の適用で患者の負担は異なる)。当面はニプロの製品供給拠点が札幌に限られることなどから、同大学での年間数十例ほどの治療に限定されるという。治療は損傷から31日以内を目安に実施。急性期の重症患者のみが対象になる。

2018年12月28日、札幌医大で行われた記者会見。札幌医大の塚本泰司学長やニプロの佐野嘉彦社長のほか、高橋はるみ北海道知事も同席した(撮影:工藤了)

ただ、脊髄損傷の患者のほとんどは損傷から時間が経過した慢性期の患者だ。同大学では、慢性期への適応拡大の検討も継続中だという。脳梗塞についても2013年3月から治験が始まっている。

京都大学名誉教授で、医療イノベーション推進センター(TRI)センター長の福島雅典氏は、札幌医大の再生医療に期待を寄せる。

「今回の札幌医大の治験は、厚労省が公開している審査結果報告書を見ると、13人中12人ではっきりとした効果が出ている。しかも、全身まひといった、これまでであれば希望の乏しい人も実質的な機能回復をしている。かつては考えられなかったことです。厚労省が半年も承認を早めたのも、それだけ明確な効果があったのを確認したからです」

神戸市にある公益財団法人神戸医療産業都市推進機構・医療イノベーション推進センター(TRI)の福島雅典センター長(撮影:編集部)

その上で、今後の広がりにも期待する。

「自己骨髄由来製品が販売承認されたのは世界初です。静脈注射で幹細胞を投与する、いわば自己幹細胞静注療法で、人間が本来持っている自然治癒力を生かした医療。脊髄損傷だけでなく、脳梗塞、脳損傷はもちろん、ALS(筋萎縮性側索硬化症)等の神経難病、さらにアルツハイマー病などにも適応拡大できる可能性がある。原理からいくと他の病気にも広く適応拡大していけるでしょう」

この春始まるMSCを使った治療は、薬機法に基づく「治験」を完了した後、厚労省によって承認され、健康保険も適用された「実際の医療」として患者に提供されるものである。現時点では、急性期の脊髄損傷患者に限ったものではあるが、今後は慢性期への応用が期待されている。

本望教授は、開始直後は治療数が限られることなどから、慎重な姿勢を崩さずにこう述べた。

「あまり語ってこなかったのは、苦しんでいる患者さんの期待を高めるように無駄に煽りたくなかったから。僕たちにできるのは、一日も早く患者さんの望む治療をすることだけ。待っている慢性期の人たちを視野に、研究を続けていきます」

(撮影:工藤了)


秋山千佳(あきやま・ちか)
ジャーナリスト、九州女子短期大学非常勤講師。1980年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、朝日新聞社に入社。記者として大津、広島の両総局を経て、大阪社会部、東京社会部で事件や教育などを担当。2013年に退社し、フリーのジャーナリストに。著書に『ルポ 保健室 子どもの貧困・虐待・性のリアル』『戸籍のない日本人』。現在、TBSテレビ「ビビット」のレギュラーコメンテーター。公式サイト

森健(もり・けん)
ジャーナリスト、専修大学非常勤講師。1968年、東京都生まれ。2012年に『「つなみ」の子どもたち』で第43回大宅壮一ノンフィクション賞、2015年『小倉昌男 祈りと経営』で第22回小学館ノンフィクション大賞を受賞。2017年、同書で第1回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞、ビジネス書大賞2017審査員特別賞受賞。公式サイト

[写真]工藤了
[図版]ラチカ

最終更新:2019年7月22日13時00分


医療と健康 記事一覧(18)