100年前から愛されるあの舞台の知られざる誕生秘話を映画化。いまこそ演劇と劇場のすばらしさを!
ご存知の方も多いと思うが、「シラノ・ド・ベルジュラック」は、世界中で愛されているフランスの舞台劇。19世紀末にフランスで大成功した同戯曲は、100年以上が経った今も世界のどこかで上演され続けている。これまで何度か映画化もされているので、映画ファンにもおなじみといっていいだろう。
100年以上愛される傑作舞台の驚きの誕生エピソードを映画化!
ただ、この傑作舞台の成り立ちについて知っている人は少ないのではないだろうか?
映画「シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!」は、この舞台の誕生秘話に迫った1作。演劇史に残る同戯曲がどのようにして生まれたのか?驚きの知られざる舞台裏が明かされる。
手掛けたアレクシス・ミシャリク監督は、はじめに「シラノ・ド・ベルジュラック」との出会いをこう明かす。
「私が初めて『シラノ・ド・ベルジュラック』に触れたのは、ティーンエージャー、確か15歳ぐらいだったと思います。最初は舞台を見たわけではなく、本を読みました。
本を手にしたきっかけは、『シラノ・ド・ベルジュラック』はフランスでは古典中の古典なので、中学生のときにだいたい学校の授業で読まされるんです。
それから、私の場合は、パリ出身で幸運なことに両親が子どものころから劇場に芝居を観につれていってくれる環境がありました。私にとっては劇場がとても身近な存在だったんです。学校で演劇クラブに入ってましたし、戯曲を読むことも習慣になっていました。
とにかく『シラノ・ド・ベルジュラック』というのはフランスでは国民的な作品で。1990年には、ジェラール・ドパルデュー主演の映画も発表されていますし、舞台もしょっちゅう上演されていて、その時々で演出家も役者も違うんですけど、『シラノ・ド・ベルジュラック』をやれば必ず当たる、劇場が埋まるというような作品なんです。
そういうこともあってまだ10代でしたけど、読んでみました。はじめの印象としては舞台が17世紀なので、そのころに書かれたものと漠然と思ったんですね。ところが、本の最後の解説文を読んでみると、実は19世紀、1897年に書かれていた。しかも、著者のエドモン・ロスタンは当時まだ29歳だった。
その解説文にはほかにもいろいろと書かれていて。誰もが成功作になると信じていなかったこと、『シラノ・ド・ベルジュラック』を書くまでは、エドモン・ロスタンは失敗作続きで、当時まったくの無名の作家だったこと、彼が『シラノ・ド・ベルジュラック』を書いたことで、一夜にして国民的な有名作家になったといったことが書かれていました。いくつも劇的なことが起きた作品ということを知って驚いた記憶があります」
『恋におちたシェイクスピア』を観たことが、映画化のきっかけに
フランスが世界に誇る国民的舞台の誕生の瞬間を映画化しようと思ったきっかけは、ある映画を観たことだった。
「シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の初演を背景にした映画『恋におちたシェイクスピア』をみたときに思ったんです。『なぜ、フランスにはこういう映画がないんだ!』と。
それで、フランスの国民的作品『シラノ・ド・ベルジュラック』の誕生を描いた映画を作りたいと思ったんです」
ただ、そうことは簡単に進まなかった。
「プロデューサーと制作会社から『まずは脚本を』といわれて。まずは映画の脚本を書き上げました。ところが、当時、私はまだ若く長編映画を撮ったこともない。当然と言えば当然なのですが、まったく資金が集まらない。
それで映画の前に、まず舞台をやってみたらという話になって。映画用に書いた脚本を自分で舞台用に脚色して戯曲を書き上げて、上演したんです」
伝記映画ではなく、舞台のバックステージを描きたかった
するとこの舞台が大成功。映画の資金も集まり、映画化の運びになったという。こうして、念願の映画化に取り組むことになる。
「描くためにはもちろんさまざまな観点からのリサーチが必要でした。その膨大なデータをまとめることは大変な困難を伴いました。その中で、私は、『シラノ・ド・ベルジュラック』という戯曲が生まれるまでの短い期間に絞ることにしました。
というのも、この映画は作者のエドモン・ロスタンの伝記映画にするつもりはありませんでした。私が描きたかったのは、舞台のバックステージ。1つの舞台を作り上げるときには、役者からプロデューサー、裏方のスタッフ、演劇を愛するファンまでの視点をもって、『シラノ・ド・ベルジュラック』がいかに生まれたのかを描きたかったんです。
また、私は演劇人でもあるので、ひとつの舞台がどうやって出来上がっていくのかを知ってもらいたい気持ちもありました。さらに言うと、演劇人である私の演劇に対するオマージュと愛を込めたいという気持ちもありました」
「シラノ・ド・ベルジュラック」は演劇が大衆の娯楽の王様だった最後の時代の作品
演劇にとってのひとつの時代の終わりも描きたかったという。
「実は、この戯曲が発表された1897年というのはひじょうに興味深い時期なんです。当時は、映画が大衆の娯楽になる少し前。演劇が大衆の娯楽の王様だった最後の時代なんです。作品でも、少し触れてますが活動写真が出てきて、人々の興味はそちらに移っていく。
1900年代以降、テレビが登場するまでは映画が娯楽の王様になって、演劇は下火になってしまう。『シラノ・ド・ベルジュラック』が生まれた時代は、演劇においての巨大プロダクションが存在した最後のとき。19世紀の初めにナポレオンが劇場の建築・開場を許可して、パリには2つぐらいしかなかった劇場がもう100ぐらいまで増えて、ほんとうに演劇が大盛況の時代でした。巨大プロダクションが作る舞台には、平気で100人ぐらい出演者が出てくる。
いまは主要な俳優が10人ぐらい出てると『今度の芝居、かなり大がかりなんだよ』と言えるので(笑)、想像できないぐらい大がかりでした。のちの大作映画の撮影現場みたいな感覚で芝居作りが行われていた。演劇にとって特別な時期で、ここも描きたいと思いました」
オノレという架空の人物は、シラノを表している
作品は、当時の大女優、サラ・ベルナールら実在人物と、ミシャリク監督が考えた架空の人物を混ぜながら、この時代の空気と、傑作誕生までの波乱万丈の日々が語られる。
その中でひとりのキーパーソンといっていいのが、エドモン・ロスタンが足繁く通うことになるカフェの店主オノレ。黒人の彼は、ロスタンに「シラノ・ド・ベルジュラック」を書かせる大きなきっかけとなるインスピレーションを与える一方で、最後は逆境に直面したロスタンをはじめ舞台人たちに奮起を促す。この人物に込めた思いをミシャリク監督はこう明かす。
「オノレは私が作ったフィクションの人物です。
実は、この映画を作るにあたって、『シラノ・ド・ベルジュラック』という舞台に対するオマージュをちりばめたいと思っていました。それはなぜかというと、エドモン・ロスタンが、シラノ・ド・ベルジュラックという17世紀の実在の人物を取り上げるにあたって、別に伝記戯曲を作ったわけではなく、史実にはないフィクションを多く交えて、『シラノ・ド・ベルジュラック』を書き上げた。素晴らしい戯曲にすることで、シラノ自体に光を当てオマージュを捧げている。この図式を、そのまま私もこの映画でやりたいと思ったんです。
ですから、『シラノ・ド・ベルジュラック』の戯曲の中にある要素が、私が書いた物語の中には移行されています。
たとえば、ジャンヌとレオとエドモンの恋の三角関係。これは『シラノ・ド・ベルジュラック』の中のシラノとクリスチャンとロスタンの三角関係をそのまま反映しています。そうすることで、『シラノ・ド・ベルジュラック』という戯曲を読んだことがない、舞台を見たことがない人が、どんな物語なのかわかるようにしたんです。
それで、オノレという人物なのですが、まさにエドモン・ロスタンにシラノという人物を発見させる、インスピレーションを与える人物として存在しているわけなんですけども、彼自身が、いわばシラノ自身を投影した人物なんです。
オノレはとても大柄で力持ちで教養もある。シラノの鼻と同じようなハンデを、彼は肌の色で抱えている。黒人である彼は、1897年の当時のフランス社会では、きっと偏見を持たれる存在として、苦労をしている。でも、その過酷な状況にユーモアを持って立ち向かう。つまりオノレは、シラノそのものなんです」
映画ではもうひとつキーポイントとなるシーンが終盤にある。詳細は明かせないが、その場面はきっと多くの人の心をとらえるに違いない。
「このシーンで私が描きたかったのは、舞台がほんとうに成功したときに、観客は劇場内にいることを忘れるということです。演劇はイマジネーション、何かを観客に提案して想像させるのが舞台芸術のすばらしさ。優れた舞台というのは、たとえば少し緑色の照明を照らして、音響で森の物音を流すだけで、観客の人々を想像の中の森へと誘う。ほんとうに観客が舞台に没入したとき、彼らは劇場という枠を忘れてしまう。そのことを表したかったんです」
「シラノ・ド・ベルジュラック」が100年以上愛される理由とは?
なぜこの舞台が100年以上、世界中で愛されているのか?監督自身はどう思っているのだろう。
「いくつか理由はあると思うんですけれども、まずはやはり傑作なんだと思います。ユーモアがあって、ロマンスがあって、ヒロイズムがある。この戯曲には人の心をひきつけるいくつもの要素がある。
それから、ロスタンが書いた戯曲というのが、当時としてはストーリーテリングも物語のコンセプト自体もひじょうにモダンなんです。現代的で近代的。17世紀の物語を19世紀に書いているのですが、今も色あせていない。何回も映画化されて成功しているのは、そのことを証明していると思います。
もうひとつは、シラノという人物の魅力。これは、もうまさにフランス人が愛する典型的な人物なんです。フランス人はみなさんのイメージにもあると思うのですが、レジスタンスといいますか。反抗心のある人、ちょっと権力を嘲笑ったり、ユーモアをもって辛辣(しんらつ)に批判したりする人物を好むところがある。
フランス人は、あからさまな勝者やスーパーヒーローは好きじゃない。破れても自分の信念を貫くような、誇り高きルーザーを愛するところがあるんです。そういう意味で、シラノは、まさにフランス的なエスプリ(精神)を具現化したような人物で。だから、ここまで愛されるのかなと思います」
こういう状況だからこそ、嫌な現実をひととき忘れて、夢を見ることが必要
現在、徐々に有観客での各種公演が再開されつつある。ただ、依然、劇場は苦境に立たされ、演劇を楽しむ心の余裕がない人も少なくない。その中で、本作は改めて演劇や劇場空間のすばらしさを体感させてくれる作品でもある。
「劇場自体がクローズし続けている国もある。僕の演劇仲間たちの多くは、公演中止やツアーの中止を経験しています。どこの国の劇場も舞台人も厳しい状況は変わらないでしょう。公演が再開しても、なかなか足が向かわない気持ちもわかります。
変な話ですが、舞台俳優というのは、いつも臨時雇い的な立場といいますか。会社員のように月曜日から金曜日まで規則的に働いてるわけではなくて、公演のある日や興行のあるときに雇われるので、不規則な働き方にはなれているんです。でも、今回のコロナ禍は違う。俳優のみならず、テクニカルのスタッフや劇場関係者も危機を感じています。
ですから、みなさんにお願いしたいのは、こんな難しい時期だからこそ、行われている公演があるときはぜひ劇場に足を運んでいただきたい。もちろんマスクなど感染防止を徹底した上で。演劇のパワーを、劇場のすばらしさに触れてほしい。
演劇というのは、お客さまがいないと存在できない芸術と僕は思っています。ぜひ、みなさんには演劇を支えてほしい。また、こういう状況だからこそ、嫌な現実をひととき忘れて、夢を見ることが必要だと思います」
「シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!」
11月13日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー
写真はすべて(C)2019 HE LI CHEN GUANG INTERNATIONAL CULTURE MEDIA CO.,LTD.,GREEN RAY FILMS(SHANGHAI)CO.,LTD.,