Yahoo!ニュース

スクリーンと映写機をかかえ全国津々浦々へ。時代に逆行する上映活動でロングラン公開中『二宮金次郎』

水上賢治映画ライター
『二宮金次郎』 五十嵐匠監督 筆者撮影

 今年1月2日から東京都写真美術館ホールで再上映がスタートした映画『二宮金次郎』。劇場での公開にくくらず、独自の上映活動を展開する同作は、これまで3万人を超える動員を記録してきたが、アンコール上映を機にさらなる広がりを見せている。

異例の上映活動による息の長い上映で広がりに手ごたえ

 こうした異例の息の長い上映での広がりを、手掛けた五十嵐匠監督はこういま受け止める。

「いま、年間1,000本を超える作品が公開されているのですが、どんなにいっしょうけん命作ったとしても動員が低調だったら1、2週間で切られてしまうのは珍しくない。打ち切られると、すぐに配信やソフト化ではい終わりといった具合で。作り手としては、やるせない思いになる瞬間が多々あるわけです。

 そういういまの日本の上映スタイルに反発するところもあって、まあ今回は『もう映画館だけで考えない』と宣言したようなもんで、独自の上映をはじめたんですけど、当初はどうなるかわからなかった。

 それが、東京ではひとつ布石を打っておかないとまずいと思って、上映にこぎつけた東京都写真美術館ホールでの成績がおかげさまでまずまずで。年が明けての現在の再上映が決まった。そして、映画館とそん色ないレベルの映写機と、8メートルのスクリーンを積んだ二宮金次郎カーが全国を駆け巡り、いまも各地で自主上映が続いている。

 これは自分たちの目指したことでもあったので、素直にうれしいですね」

『二宮金次郎』 五十嵐匠監督 筆者撮影
『二宮金次郎』 五十嵐匠監督 筆者撮影

 そもそも五十嵐監督がいまの時代に二宮金次郎を描こうと思ったのは、前作『十字架』のとき。ロケ地だった茨城県筑西市の教育長から、同地が二宮金次郎が復興させた場所ときいたことがきっかけだった。

「二宮金次郎といえば、まず思い浮かぶのは小学校の校庭に必ずといっていいほどあった銅像で。薪を背負って本を読んでいるイメージしかわかない。

 復興という文字とうまく結びつかなくて、どういうことだ?と。それで金次郎が生まれた神奈川県小田原市から、亡くなった栃木県日光市までの軌跡をたどってみたんです。すると北関東の農村を復興させていくひとりの男の姿が浮かび上がってきた。

 はじめはおもしろみのない勤勉なイメージを勝手に抱いていたんですけど、そうじゃない。ある種の破天荒さがあるというかな。偉人なんだけど、偉人偉人していない。僕は元来、こういった癖のある人が好きなんですよ。『地雷を踏んだらサヨウナラ』の一ノ瀬泰造もそうだったし、『長州ファイブ』の面々もそうだった。身長が180センチ以上で体重が100キロ以上と、容姿からして、たぶん大方の人がイメージする金次郎像とはかけ離れている。これは興味を持ちますよね。

 あと、これは映画で描きたいと決定的に思ったのは、のぞき穴から気づかれないように百姓たちが働いてるかどうかをチェックしていたり、バツ1で再婚した嫁さんをすごく大事にしているというエピソードに触れたとき、高いところから物事をみていないというかな。平等に物事をみる姿勢や、失敗を大事にしてるところがみえてきて、人間臭くていいと思ったんですよ。人にいっぱい迷惑をかけながら、失敗をして学びながら、自分の道を突き進んでいる

 映画監督もまた人に迷惑掛ける仕事で。周りの家族から関係者から巻き込みながら、やっていく。そういうところでも親近感がわいてしまった(苦笑)。

 ただ、最初は終生を考えたけれども、どうしても教科書的なものになってしまう。なので、薪を背負って勉学に励んだ農民の少年が、大人になって武士として藩につかえて、600以上の村の復興を手がけ、多くの人に慕われる存在だったことはあまり知られていない。このことに焦点を当てようと。

 江戸後期というのは大飢饉で庶民の生活が困窮していた。その村人たちの暮らしを立て直し、その後はいまの農協の原型となるシステムを整えた。その功績を描きたいと思いました。

 しかも、その功績は過去の話ではない。いまにつながっている。日光に金次郎が作った用水路があるんですけど、いまでも使われている。僕らが撮影したエリアも、その用水路の水を使って米を作って、それをみんな食べている。

 彼らからすると百何十年も前の人じゃなくて、いまもそこに生き続けている人なんです。たとえば、今回ひとくちサポーターとして製作資金を呼びかけると、いまでも二宮金次郎を尊敬してやまない方々が集まってくれる。だから、ある意味、『なぜ、いま二宮金次郎なのか』じゃないんです。いまだから二宮金次郎。いまにつながっている人物だなと思ったんです」

金次郎はいまの日本にいてほしいトップリーダー

 調べていくと、金次郎の功績の裏にある彼の人間性に魅せられた。その人の心をつかむ人間力にも驚きを隠せなかったという。

「日光のあるお寺の住職さんが、金次郎の資料を収集していたんです。それで少しみせていただいて家計簿をみると、妻なみの「おしろい8文」とか「銭湯16文」とか、ほんとうにこと細かく書かれている。身長180センチ以上、100キロの巨漢の男が、とにわかに思えない(笑)。でも、ほんとうに細かいんです。

 それで彼は、いまでいえばプレゼンするんです。小田原藩主の大久保忠真に、こういう状況だからこの村の年貢を安くしろって。ふつうならば百姓上がりの男が藩主に物申すなんて、その場で打ち首になってもおかしくない。でも、金次郎があまりに詳しく桜町領を調べている。それこそ、ひとり男がいたら、この人物の厠までいって、排泄物からなにを食べているかまで調べる。そこまで調べて、ここの村の年貢はここが妥当とプレゼンするわけです。

 そうすると、大久保も名君で筋の通った人物なので納得するわけです。これは説得力があると、年貢を下げることに同意する。

 映画で描いた桜町領にも金次郎は何度も足を運び、実は2回ぐらい村の復興を断っている。『自分には手に負えない』と。それでも、大久保からもうちょっと見てくれと説得されて、やることにする。

 で、やるとなったとき、自分の財産を全部売っぱらって、70両を持って行くんですよ。小田原藩からお金は出るのに。だから、説得できるんですよ。百姓たちも藩から出たお金じゃなくて、身銭を切っているから『すげぇ』となる。さらに口だけじゃなくて、自分もいっしょに動く。

 金次郎が一番嫌いなのは、僧侶と学者なんですよ。口ばっかりで立派なことをいう人間がとにかく嫌いだったみたい(笑)。つまり自分もいっしょになって汗水流せと。言葉を並べるだけではない、自らの行動をもって周りを納得させる

 泥臭いですけど、いまなら理想の上司というか企業のトップリーダー的な存在だと思います。だから、金次郎を信望する人は、松下幸之助とか豊田佐吉とか御木本幸吉とか渋沢栄一とか実業家、企業人が多い。これも納得ですよね」

映画『二宮金次郎』より
映画『二宮金次郎』より

 作品を見ていると、ほんとうにいまこそいてほしいトップリーダーと思えてくる。五十嵐監督は、幼いころの金次郎の原体験がそれをはぐくんだと睨む。

「こどものころ、両親が亡くなって、ろくに学校に通うこともできていない。それでこれだけの人間になれたのは、こどものころの極貧生活があるんじゃないかと思いますね。あの経験があるから、どんなことがあっても生きていけるみたいなところがあったんじゃないか。

 薪を背負った像で有名ですけど、あれは通学途中じゃない。バイト中の金次郎の姿。彼は薪を売るバイトをしていた。あと、子守のバイトもしている。すると、すぐに金が手元に入るんですよ。だから、百姓出身なんですけど、米や野菜を作って、それができて、売ってようやく収入を得るふつうの百姓とはちょっとお金の見方が違う。たぶん、ド貧乏な中で、どうやってやりくりしていくのかを必死に考えていた。お金のありがたみが身に染みてわかっている

 その貧乏なとき、さんざん差別されて救いの手を差し伸べてくれる人は誰もいなかった。血も涙もなくあらゆるものを奪われていく。挙句の果てに、母親に遺言で『人を信じるな』と言われている。その経験がありますから、どこか軽く人間を信用することはしない。本気度を試すところがあるんですよね。

 後年、次々と復興を成し遂げると、金次郎はけっこう有名になって、いろいろな貧乏な村から来てほしいと陳情がくるんです。でも、来てもほとんど会わない。ほんとうにちゃんとやっているけど、どうやってもうまくいかない。打つ手なしの、困り果てた末にやってきたところではじめて受けるんですよ。相手がどん底になってどうにもならなくなったとき、手を差し伸べる。

 だから、道徳の人と思われているんですけど、僕からすると道徳と経済の人なんです。相手をきちんと諭して、きちんとした計算のもとで実現できることをきちんと実行していく。そういう意味ではしたたか。でも、ほんとうに困った人にはきちんと手を差し伸べる。その復興はきちんとした計算のもとでなされたもの。一気に何かを変えて一儲けするような博打ではない。小さなことをコツコツ積み重ねて確実に成し遂げる。目先の利潤にとらわれない。この姿勢はいまも見習いたいですよね」

なぜ、スクリーンと映写機をかかえて全国を回るのか?

 この愚直にコツコツと復興を成し遂げていく金次郎の姿は、コツコツと全国に届ける今回の上映活動につながっている。

「動画配信サービスもあるし、有料放送もある。そういったことが映画を見せる主流になっている。そんなとき、スクリーンと映写機をかかえて全国を回るというのは時代に逆行しているのかもしれない

 でも、ある市民会館のとき、80歳ぐらいのご夫妻がカートを引きながら、みにきてくれたんです。この姿をみたときに、こういう近くに映画館もなくて映画と縁遠い、シネコンでかかるようないまどきの映画にはちょっとついていけない、そういった人に、この作品を届けていきたいよなと思ったんですよね。

 だから、やり方は古いけど、自ら移動しての巡回上映しかないなと。

 僕自身も時間が許せば、足を運ぶんですけど、会場にいると『届いた』という感触があるんですよね。通常の公開だと、なかなかお客さんの顔が見えてこないんですけど、なにか届いた実感が得られる。届けている感覚があるからなんでしょうね」

 こんな反応もあったという。

「中学生1,000人にむけた上映があったんですけど、たくさん感想をもらったんです。確か200通ぐらいかな。その中で、ある生徒さんが『時代劇をでかいスクリーンで見たことがなくて、ものすごく新鮮でした』と感想を寄せてくれた。すごく新しく感じたっていうんですね。

 僕らの時代は当たり前にあったけど、いま大きなスクリーンで時代劇をちゃんとみる機会ってなかなかないんだなと思ったんですよね。だから新鮮に感じてもらえる。

 そういう意味でも、こういう上映のスタイルは悪くないんじゃないかと思いました。シネコンにはちょっと二の足を踏んでしまうご老人の方から、いまなかなかスクリーンで映画をみる機会が少ない小中高の若い世代まで、集中して映画をみてもらえる上映環境を含めて届けられる。

 なかなか大変なところはあるんですけど、コツコツと上映を続けて、もっと全国の人々にこの映画を届けていきたいと思っています」

映画『二宮金次郎』より
映画『二宮金次郎』より

場面写真はすべて(C)映画「二宮金次郎」製作委員会

東京都写真美術館ホールにて公開中。

同ホールにて「二宮金次郎をもっと知りたい」トークイベント開催

<第4回>

~100年続く映画になるように~

日時:2020年1月26日(日)11:00の回上映後

ゲスト:合田雅吏さん、五十嵐匠監督

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

水上賢治の最近の記事