Yahoo!ニュース

ある日、夫が消えた。〜1800日に及んだ妻の闘いが夫を救った

宮崎紀秀ジャーナリスト
5年ぶりに家族と抱擁を交わした王全璋(2020年4月27日北京にて)

 5年前の7月9日を境に、中国では人権派の弁護士や活動家が一斉拘束された。そのうち王全璋 (44歳)だけが、何故か3年以上、裁判が開かれないまま勾留され、一時期は安否さえ不明だった。妻は、夫の情報を求め、声を上げ続けた。政治犯として服役を終え出所した王全璋が証言で明らかにしたのは、5年間、1800日に及んだ妻の奮闘が、夫の命を救ったという事実だった。

行動し続けた妻

 国家政権転覆罪で懲役4年6か月の実刑判決を受けた人権派弁護士、王全璋は、今年4月に出所し、北京の自宅に戻った。妻の李文足 (35歳)、息子の泉泉 (7歳)と交わした長い抱擁は、それぞれが経験したこの5年間の壮絶な日々を静かに物語っていた。

「私は中国人の人権が永久に保障される制度ができるように努力していきたいと思う」

 そう語っていた王全璋は、その言葉通り法的手段を駆使して庶民の権利を追求しようとする人権派と呼ばれる弁護士だった。中国政府が邪教とする法輪功の信者の弁護さえ厭わなかった。その王全璋は、2015年7月10日、突然行方不明になった。中国当局に拘束されたのだが、長期間、生きているかどうかさえ分からなかった。

 妻の李文足は司法部門や留置所を繰り返し訪れ、夫の情報を求めた。夫のイラストを描いた服を着て街角に立った。それらの様子をSNSで繰り返し発信した。夫が中国政府によって連れ去られ、生死さえ不明のまま今に至っている事実が、闇に葬り去られないためである。それは中国では危険な行為でもあった。

妻、李文足は夫の事が闇に葬られないよう声を上げ続けた(2018年1月19日北京にて)
妻、李文足は夫の事が闇に葬られないよう声を上げ続けた(2018年1月19日北京にて)

 だからこんなこともあった。

 2018年4月、夫が行方不明になってから1000日目に合わせて抗議活動をしようとしたところ、自宅に連れ戻された。玄関は外から男たちに押さえられた。外に出たくても出られなかった。

 その時、マンションの階段の入り口に治安当局者や彼らに動員されたとみられる住民たち数十人が立ちはだかった。李文足の友人らが彼女を訪ねようとしても、その群衆に遮られた。友人がその状況を記録しようと、スマートフォンを構えると、治安当局者の男が「俺を、撮るな!聞こえたか!」などと怒鳴りつけ、威圧した。

 友人たちを遮る群衆は、その様子をまるでスポーツ観戦をしているかのように囃し立てた。

 家の窓から階下を見ていた李文足の目に、友人たちが暴力を振るわれたのが映った。彼女は思わず身を乗り出し、叫んだ。

「私の夫は弁護士よ!庶民を助けるために、裁判を起こしているの!それなのに捕まって、1000日も経つのに生きているかどうかも分からない。私が夫を探して何が悪いの!あなたたちには良心のかけらもないの!」

 そんな経験があったからであろう。一昨年の9月、自宅で話を聞いた時、李文足はこう言って涙を流した。

「政府によって何年も行方不明になった夫を、妻が探すことが何の法を犯しているというのですか。法を犯してもいないのに、大勢の人に囲まれて侮辱される。勝手に自由を制限される。1人で十数人に勝てるわけがない。時には殴られ、時には罵られて…。その時は虚しいし、絶望的になります」

 彼女は、元々、子育てに手一杯で、家庭が生活の中心の主婦だったと認める。その彼女を変えたのが、夫を探そうとする度に、様々な形で加えられた嫌がらせや圧力だった。李文足は、涙に濡れた瞳で、キッパリとこう言った。

「今の中国の劣悪な環境で、夫は他の人が真似できないことをやったのです。私は妻になれたことを、本当に誇りに思っています」

あなたは留置所のパンダだ

刑期中の経験を証言する王全璋(2020年7月9日北京にて)
刑期中の経験を証言する王全璋(2020年7月9日北京にて)

 刑期を終え、5年ぶりに自宅に戻った王全璋は、妻の奮闘が与えた影響についてこう話した。

「裁判官の1人は、あなたはいったい何者なんだ?なぜこんな大きな影響力を持ち、こんなに多くの人が関心を寄せているのか?と言っていた。

 また、留置所の所長は『あなたは留置所のパンダだ。我々の任務はあなたの安全を守ることだ。あなたの案件は影響が大きいし、注目度が非常に高い』と言っていた」

 李文足は、行動し声を上げ、SNSを通じて発信し続けた。国際機関にも足を運び、海外メディアの取材に積極的に応じた。その奮闘は、国際社会の注目も集めた。その結果、当局も王全璋の扱いに神経を尖らせざるを得なかった。1800日に及んだ妻の闘いが、夫の命を救った。

 ならば、妻の闘いは効果がありましたね?と問いかけると、王全璋は、微笑んで「効果があった」と何度も頷いた上でこう続けた。

「しかし、私には大きな心配でもあった。妻がトラブルに巻き込まれたり、報復されたりしないか心配だった。彼らも私に暗示していた。だから、臨沂の刑務所にいるとき彼女に面会に来ないように、メディアの取材に応じないようにと言っていたのだ」

初めての夫との面会を終え呆然とする李文足(2019年6月28日山東省臨沂にて)
初めての夫との面会を終え呆然とする李文足(2019年6月28日山東省臨沂にて)

 2019年6月、李文足は約4年ぶりに服役中の夫、王全璋と面会した。面会を終えた李文足は、呆然とし、まるで自分が涙を流しているのさえ気づいていないかのようだった。

 その後、記者に囲まれ面会の様子を尋ねられた時、李文足は泣きじゃくってこう答えた。

「焦っているようだった。ずっと脅されてきたのだと思う。彼に『あと2〜3か月は面会に来ないで』と言われた。4年も待ち続けて、ようやく会えたのにまともにコミュニケーションができなくなっていた」

 夫がまるで別人のように見えた。

「夫が出所した後、どうやって一緒に暮らしていけばいいの」

 だが、王全璋がそんな態度を取ったのは、妻に対する精一杯の思いやりだったのだ。

ジャーナリスト

日本テレビ入社後、報道局社会部、調査報道班を経て中国総局長。毒入り冷凍餃子事件、北京五輪などを取材。2010年フリーになり、その後も中国社会の問題や共産党体制の歪みなどをルポ。中国での取材歴は10年以上、映像作品をNNN系列「真相報道バンキシャ!」他で発表。寄稿は「東洋経済オンライン」「月刊Hanada」他。2023年より台湾をベースに。著書に「習近平vs.中国人」(新潮新書)他。調査報道NPO「インファクト」編集委員。

宮崎紀秀の最近の記事