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革新者・三宅一生さんの軌跡 あの服は、どこがスゴイ?

宮田理江ファッションジャーナリスト/ファッションディレクター
チャリティーイベントでBOY GEORGE氏と(1985年、ロンドン)(写真:REX/アフロ)

亡くなった三宅一生さんはいわゆる「モードのファッションデザイナー」という枠に収まりきれない創り手でした。目先の流行を追わず、素材開発に踏み込んだアプローチや、過剰に飾り立てず、身体性を重んじた造型などは当時は異質とも言えそうな取り組みでした。

加工技術を掘り下げ、服を「プロダクト(製品)」として生み出す手つきは、ジョルジオ・アルマーニさんが朝日新聞に寄せた追悼メッセージで述べた「真のイノベーター(革新者)」がふさわしい形容かもしれません。たくさんの業績を通して、「革新者・三宅一生」の軌跡を振り返りたいと思います。

「ファッション」を超えた「デザイン」

欧米で経験を積んだ後に帰国し、1970年に三宅デザイン事務所を設立しました。「ファッション事務所」ではなく、「デザイン事務所」だったところに、早くから広い意味での「デザイン」を視野に収めていたことがうかがえます。「ファッション」にはうつろうイメージがありますが、一生さんはもっと普遍的なデザインを意識していたといわれます。翌71年に自らの名前を冠したブランド「ISSEY MIYAKE(イッセイミヤケ)」を立ち上げました。

フィット感、たたずまいを重視した「人服一体」

1987年に東京で開催されたISSEY MIYAKEのファッションショー
1987年に東京で開催されたISSEY MIYAKEのファッションショー写真:REX/アフロ

「ISSEY MIYAKE」が際立っていたのは、服と人との関係性のとらえ方です。と言っても、今の防寒、撥水、速乾といった物理的な機能を求めたのではなく、重視していたのは、身にまとうにあたっての「間(ま)」や「たたずまい」。一般的には「着心地」と表現されることが多いのですが、「ISSEY MIYAKE」の場合は、服を着た状態でのしなやかさや、キャラクターを印象づける力が特別で、写真集『BODY WORKS ボディワークス』がその「人服一体」の造形美を証明しています。

デザインの歴史的傑作「PLEATS PLEASE」

人と服のなじみ加減やフィット感、見え具合を成り立たせるには、創り手が思い描いた通りの表情を帯びた布が必要になります。だから、糸にまでさかのぼって、素材開発を重ねました。出来合いの素材で妥協しない姿勢は、そのまま「ISSEY MIYAKE」のカルチャーとなったようです。

まるで研究所のような、熱気を帯びた素材開発の取り組み。染めや織りなど、様々なものづくりの技法も掘り起こし、他ブランドにはないオンリーワンの質感や色、機能を実現してきました。しわにならない服として世界で支持された「PLEATS PLEASE(プリーツプリーズ)」はその代表例です。

この「プリーツプリーズ」がすごいのは、しわになりにくいだけではなく、「体型を選ばない」「たたんで持ち運べる」「自然とボディに寄り添う」など、たくさんの長所を兼ね備えているところ。だから、「デザインの歴史的傑作」としてニューヨーク近代美術館「MoMA」のミュージアムショップが取り扱っているわけです。

独自テクノロジーへの自信とプライド

「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」展覧会 (筆者撮影)
「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」展覧会 (筆者撮影)

国立新美術館で2016年に開催された展覧会「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」では、独自に開発した技法を、大きな機械まで持ち込んで披露していました。その堂々たる公開には、独自テクノロジーへの自信とプライドが感じられました。

米アップルの創業者、スティーブ・ジョブズ氏が「マイ制服」のように着続けたタートルネックも伝説的なプロダクトです。飾り気がないのに、ジョブズ氏の「らしさ」を引き出し、カリスマを演出するという魔法の服でした。一生さんが用意したこのタートルネックを愛したジョブズ氏はその後も購入を希望し、「ISSEY MIYAKE」に長く籍を置いた滝沢直己氏に追加オーダーを数百枚も依頼したそうです。そんな時をへだてた注文が可能だったのは、一生さんが追い求めたデザインの本質を、滝沢氏が理解していたからでしょう。

DNAを受け継ぐ創り手たち めざましい活躍

滝沢氏を含め、大勢の優れたデザイナーが育ったのは、「ISSEY MIYAKE」の輝かしいヒストリーと言えます。後に「ユニクロ」に携わった滝沢氏のほか、「TSUMORICHISATO」ブランドの津森千里デザイナーや、「MUJI to GO」のディレクターを務めている藤原大氏、「ネ・ネット」や「にゃー」で知られた高島一精氏も「ISSEY MIYAKE」の出身です。「ズッカ」を成功させた小野塚秋良氏は今は仕事着ブランド「ハクイ」のデザイナーを務めています。

さらに、東京2020オリンピックで表彰台に上がった選手が着たジップアップジャケットを手がけた、「ソマルタ」ブランドの廣川玉枝デザイナー、「ユニクロ」とコラボレートしたインナーが大ヒットしている「マメクロゴウチ」ブランドの黒河内真衣子デザイナーも「ISSEY MIYAKE」で経験を積みました。無縫製ニットの魅力を引き出す廣川氏の取り組みや、各地の伝統的な職人技を生かす黒河内氏の手法には、どこか一生さんの面影が感じられます。

「ISSEY MIYAKE MEN」を約6年間にわたって手がけた高橋悠介氏は2021年春夏シーズンから「CFCL」ブランドを立ち上げ、高い評価を受けています。先日、国内アパレルブランドでは初の「Bコープ」の認証を取得しました。森川拓野氏が手掛ける「TAAKK(ターク)」もオリジナルの生地作りに定評があります。ライフプロダクトブランド「52 BY HIKARUMATSUMURA」を率いる松村光デザイナーはバッグブランド「BAO BAO ISSEY MIYAKE」をヒットさせた立役者です。

実は一生さんは今から23年も前の1999年にコレクションラインのデザイナー職を後進に譲っています。監修を続けながらも、後継者たちの成長へ道を開いてきました。最晩年まで自らデザインを書き起こすベテランデザイナーが珍しくない中、チームを育てる一生さんの試みはデザインのサステナビリティーにつながり、創業者のDNAを受け継ぐ多くの創り手をのこすことにもなったようです。

デザイン哲学を象徴する「一枚の布」

2009年に東京で開催された「U-Tsu-Wa」展で、オーストリアの陶芸家Lucie Rie作品とともにポーズする三宅一生氏
2009年に東京で開催された「U-Tsu-Wa」展で、オーストリアの陶芸家Lucie Rie作品とともにポーズする三宅一生氏写真:ロイター/アフロ

「一枚の布」は一生さんのデザイン哲学を象徴する言葉です。しかし、平面の布を、起伏に富む立体的な人体に沿わせることは、本来的に矛盾を抱えています。その矛盾と真正面から向き合い、様々なイノベーションで乗り越えてきたのが一生さんのクリエーションだったように思います。

あらためて一生さんの仕事を振り返ってみると、今の時代に求められているサイズフリーやジェンダーレス、シーズンレス、サステナビリティーなどの面で先駆的なデザイナーだったことがわかります。しかも、まねのできないオリジナルな技術を駆使して、トレンドに関係なくさびないタイムレスな服に仕上げました。本質を見据え、時代に先んじたデザイン哲学はこれからも時を超えて語り継がれていくことでしょう。

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ファッションジャーナリスト/ファッションディレクター

多彩なメディアでコレクショントレンド情報をはじめ、着こなし解説、スタイリング指南などを幅広く発信。複数のファッションブランドの販売員としてキャリアを積み、バイヤー、プレスも経験。自らのテレビ通販ブランドもプロデュース。2014年から「毎日ファッション大賞」推薦委員を経て、22年から同選考委員に。著書に『おしゃれの近道』(学研パブリッシング)ほか。野菜好きが高じて野菜ソムリエ資格を取得。

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