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ロゴブームもユニセックスも、火付け役は彼だった!ピエール・カルダン氏のすごすぎる「初めて伝説」

宮田理江ファッションジャーナリスト/ファッションディレクター
「P」と「C」が融け合ったようなブランドロゴは日本でもおなじみ(写真:Shutterstock/アフロ)

体の線を拾いすぎない、ゆったりめのシルエットが人気を博しています。性別にとらわれないユニセックスな装いも勢いが加速。これらのおしゃれは実は同じ人が広めたものです。その名は「ピエール・カルダン(Pierre Cardin)」。

今では当たり前になった「百貨店で服を買う」という行動も、カルダン氏のおかげで定着しました。「モードの革命児」と呼ばれた彼は、どんな人だったのでしょう。

ドキュメンタリー映画『ライフ・イズ・カラフル! 未来をデザインする男 ピエール・カルダン』の公開を機に、今回はカルダン氏の業績を手がかりとして、ファッションの成り立ちをご案内していきます。

ブランドロゴブームの火付け役だった

(c)House of Cardin The Ebersole Hughes Company
(c)House of Cardin The Ebersole Hughes Company

カルダン氏の様々な業績のうち、私たちに最も身近なのは「ロゴ」でしょう。自らのイニシャルを図案化した「P」と「C」が融け合ったようなブランドロゴは日本でもおなじみです。今ではほとんどのファッションブランドがロゴをデザインに生かしています。

イニシャルロゴのファッションモチーフ化はカルダン氏がはしり。カルダン氏がロゴビジネスで成功したのを受けて、世界のファッションデザイナーがこぞって、自分のイニシャルをロゴ化するようになりました。

現代のファストファッションやプチプラファッションの元祖

(c)House of Cardin The Ebersole Hughes Company
(c)House of Cardin The Ebersole Hughes Company

そもそも私たちが既製服をショップで買うようになる道を開いたのは、カルダン氏でした。かつて、ファッションデザイナーが仕立てた服はオートクチュール(注文服)での購入が主流でした。具体的には大金持ちや上流階級が独占していたのです。カルダン氏もオートクチュールの人気デザイナーでしたが、誰でも購入できるプレタポルテ(既製服)を1960年前後にスタート。百貨店でも売り始めます。

つまり、それまでは一流デザイナーの服を手に入れるためには、リッチであるだけではなく、相応の立場やブランドとのコネクションが必要だったのです。おしゃれは誰もが望んで得られる楽しみではなかったわけです。そこに疑問を感じて、門戸を広く開いたのは、カルダン氏のお手柄。この功績は「ファッションの民主化」と呼ばれています。

ファストファッションやプチプラファッションなど、現代の私たちが好きなショップを訪れて、お手頃価格で自由に服を買えるのは、カルダン氏のおかげとも言えるでしょう。

ファッションブランドロゴをライフスタイルにまで広げた

(c)House of Cardin The Ebersole Hughes Company
(c)House of Cardin The Ebersole Hughes Company

近頃はファッションブランドが家具や雑貨、食器など、ライフスタイル関連の商品をデザインすることが当たり前になっています。インテリア商品だけをそろえたブランドショップもあります。こういった「服以外」の商品を手がけたのもカルダン氏が先駆けだったようです。少なくとも幅広い商品群にロゴを添えて売り出したのは、カルダン氏がパイオニア。許可を与えてロゴ付き商品を認めるという「ライセンスビジネス」はカルダン氏に巨額の利益をもたらしました。

しかし、いいことばかりではありません。あまりにたくさんのライセンス商品を認めたせいで、カルダン氏の名前にふさわしくないクオリティーの商品にまでロゴを与えてしまうケースもあったようです。映画の中では、ずさんなブランド管理にカルダン氏が怒るシーンも収められています。

ファッションブランドがカフェやレストランを営むのは、今では珍しくありません。この分野でもカルダン氏は成功例となりました。パリの有名レストラン「マキシム・ド・パリ」を1981年に買収。自らオーナーとなり、東京にも支店を出しました(現在は閉店)。実はこの買収は恨みの「倍返し」。かつてドレスコード違反を理由に入店を断られたことを根に持って、後に経営権を買い取ったのです。

ユニセックス時代を先陣 世界初のメンズコレクション発表

ウィメンズの印象が強いかもしれませんが、メンズにも熱心で、世界初のメンズコレクションを開いたのはカルダン氏でした。古典的な紳士服に、モードのセンスを加えて、スーツを進化させました。ビートルズも彼のデザインしたスーツを着ています。

今では女性がメンズアイテムを着るのは当たり前で、性別にとらわれない「ジェンダーレス」の装いもコーディネートのレパートリーに加わっています。でも、かつては、メンズとウィメンズの区別は厳格で、女性がメンズ物を着るのは、ほとんど禁じ手でした。

その当時からカルダン氏はボディーにフィットしすぎないウィメンズ服を発表。宇宙服を思わせるルックのような、あえて女性の体形を際立たせない装いで、ユニセックス時代を呼び込みました。

日本人ファッションモデルを初めてパリコレで起用

(c)House of Cardin The Ebersole Hughes Company
(c)House of Cardin The Ebersole Hughes Company

日本との縁が深いデザイナーでもあります。たとえば、日本人ファッションモデルを初めてパリコレクションのランウェイに登場させたのは、カルダン氏でした。来日時に見出した松本弘子さんを熱心に口説いて、パリに招きました。アフリカ系モデルも早くから起用。モデルのダイバーシティー(多様性)を広げるうえでも先駆者となりました。

もっとファッションを自由に楽しもう!多様性を大事に

(c)House of Cardin The Ebersole Hughes Company
(c)House of Cardin The Ebersole Hughes Company

カルダン氏の仕事ぶりに共通するのは、余計なルールや境界線にとらわれない姿勢です。むしろ、従来の決まり事や制約を壊したり破ったりすることを面白がるかのような発想がファッションの幅を広げてくれました。

季節や性別、場面、テイストなどの境目を、あえて踏み越えるようなファッションの試みが相次いでいます。たとえば、冬にレースのスカートをはいたり、女性がオーバーサイズのメンズ風ジャケットを羽織ったり。パジャマのような服を街で着るような、意外性の強いスタイリングも登場。おしゃれのルールを書き換えるチャレンジは、カルダン氏の遺産とも言えるでしょう。

50年以上も前からボーダーレスで挑戦的なアプローチを持ち味としていたカルダン氏の軌跡は、「もっと自分らしく」「常識にしばられないで」と、私たちの背中を押してくれるかのようです。

『ライフ・イズ・カラフル! 未来をデザインする男 ピエール・カルダン』

2020年10月2日(金)からBunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほかで全国公開

(c)House of Cardin The Ebersole Hughes Company

https://colorful-cardin.com/

ファッションジャーナリスト/ファッションディレクター

多彩なメディアでコレクショントレンド情報をはじめ、着こなし解説、スタイリング指南などを幅広く発信。複数のファッションブランドの販売員としてキャリアを積み、バイヤー、プレスも経験。自らのテレビ通販ブランドもプロデュース。2014年から「毎日ファッション大賞」推薦委員を経て、22年から同選考委員に。著書に『おしゃれの近道』(学研パブリッシング)ほか。野菜好きが高じて野菜ソムリエ資格を取得。

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