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メキシカン・モンスターvs.ブーイングを味方にする男のサバイバルマッチが実現

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
ベナビデスvs.プラント(写真:Esther Lin/SHOWTIME)

11月25日ラスベガス

 スーパーミドル級(リミット168ポンド=76.20キロ)で世界4団体統一王者に君臨するサウル“カネロ”アルバレス(メキシコ)の最大のライバルと目されるデビッド・ベナビデス(米)が前WBO世界ミドル級王者デメトゥリアス・アンドラーデ(米)と対戦する。試合は11月25日、ラスベガスのマンダレイベイ・リゾート&カジノ内のミケロブ・ウルトラ・アリーナで開催される。

 争われるのはベナビデスが保持するWBCスーパーミドル級暫定王座。2人ともまだ主要パウンド・フォー・パウンド(PFP)ランキングには入っていない。だが、米国では視聴者が別料金を払うPPV(ペイ・パー・ビュー)システムで中継されるように観戦意欲を刺激されるカードの一つ。無敗同士。勝者がカネロとの対決に前進する背景と同時に実力伯仲で勝負予想が極めて難しい究極のサバイバルマッチである。

モンスターと呼ばれる理由

 その大柄な体格(身長188センチ、リーチ189センチ)とアグレッシブな戦法そしてパワーから“エル・モンストロ・メヒカーノ”(メキシカン・モンスター)と呼ばれるベナビデス(27勝23KO無敗=26歳)はおよそ2年半前からカネロのライバルとしてファンの間で挑戦が待望されている。理由はとにかく、おもしろい試合が期待できるからに尽きる。そしてカネロが打ちのめされて負ける姿も想像できるスリル感が付きまとう。

 骨格はヘビー級でも通用しそうなベナビデス。中学生時代の彼を知るのが、現役当時、米国トレーニングを実行した石田順裕氏(寝屋川石田ボクシングジム会長)。2人はスパーリングの経験があり「太っていましたけど、スピードがありました」と同氏は専門誌の取材で回想する。太り気味の少年が減量を重ねてスリムになりボクサーとして大成したケースはいくつか見られる。ちなみにアリゾナ州フェニックス出身のベナビデスは父でトレーナーのホセ・ベナビデス・シニアがメキシコ人、母がエクアドル人。5歳年長のホセ・ジュニアはWBO王者時代の現ウェルター級4団体統一王者テレンス・クロフォード(米)に挑戦した経歴がある(クロフォードの12回TKO勝ち)。

ロサンゼルスの会見から。ベナビデスとアンドラーデ(写真:Esther Lin / SHOWTIME)
ロサンゼルスの会見から。ベナビデスとアンドラーデ(写真:Esther Lin / SHOWTIME)

悪童のレッテルを貼られる

 2013年8月のプロデビュー戦からベナビデスは7試合をメキシコで行い全KO勝ち。これは米国では年齢制限があるためで、当時プロデビューできる18歳に達していなかった。米国でリングに立つようになってからも連戦連勝。17年9月、ロナルド・ガブリエル(ルーマニア)とWBC世界スーパーミドル級王座決定戦に出場するまで18勝17KO無敗の快進撃を続けた。ガブリエルにベナビデスは苦手意識があったのかもしれない。王者に就いた初戦が2-1判定勝ち。これが接戦だったことからダイレクトリマッチとなり、第2戦は大差の3-0判定勝ち。初防衛に成功した。

 その後リングに戻るまで13ヵ月を要する。途中、WBCが実施したドーピングの抜き打ち検査で尿からコカインの代謝物質が検出されるスキャンダル。王座をはく奪され、試合出場をサスペンドされたことが影響した。1試合はさんで19年9月、アンソニー・ディレル(米)に9回TKO勝ちでWBC世界スーパーミドル級王者に復帰する。ところが、かつての太っちょはスーパーミドル級の体重を維持することに苦しみ、翌年の初防衛戦でリミットを2.8ポンド(1.27キロ)超過。試合は10回終了TKO勝ちを収めたものの、またしてもベルトを手放すハメになってしまった。

 ドラッグ禍と計量失格。ベナビデスは悪童のイメージが取りつくことになる。だが、ここでも悪運に強いところを見せつける。はく奪された王座はカネロの下へ移ったが、昨年5月、元IBF世界スーパーミドル級王者デビッド・レミュー(カナダ)とのWBC同級暫定王座決定戦が組まれ、3回TKO勝ちで戴冠。今年3月の最新試合で、21年11月の4団体統一戦でカネロと好ファイトを演じた前IBF世界スーパーミドル級王者カレブ・プラント(米)と観衆から何度もスタンディングオベーションが起こる華々しい打撃戦を演じた末、3-0判定勝ちで下し、改めて評価を勝ち得ることになった。

ベナビデス-プラントの激闘

プロモーターとの問題でキャリアが停滞

 “剛”のイメージが濃いベナビデスに対し、今回の試合発表会見(10月12日・ロサンゼルス)で「彼は運動量が豊富で、手数が多く、鋭いアッパーカット、左スウィングが武器」(ベナビデス)と評されたアンドラーデ(32勝19KO無敗=35歳)は米国東部ロードアイランド州プロビデンス出身。ルーツは大西洋のはるか彼方に浮かぶカーボベルデ諸島にある。

 サウスポーのスムーズボクサーはアマチュア時代に、その後プロで活躍する選手たちを何人も破っている。07年、翌年の北京オリンピックに向けた米国代表選考会で後にプロでウェルター級2団体統一王者に君臨するキース・サーマン(米)を下し代表選手に選ばれる。本番ではベスト8で敗退したが、同じく07年にシカゴで開催された世界選手権ではウェルター級で金メダルを獲得している。

 08年10月にプロデビュー。13年11月に王座決定戦でWBO世界スーパーウェルター級王者に就き、ここまで20勝13KO無敗。翌年初防衛に成功し、順調なキャリアを送っていた。しかし翌年ラスベガスで予定されたジャメール・チャーロ(米=現スーパーウェルター級3団体統一王者)との防衛戦がファイトマネーの額をめぐって交渉が決裂したことがキャリアが停滞する前兆となった。

 敗北を喫したわけではないし、大きな負傷に見舞われたわけでもない。だがキャリア初期から契約を結んでいた2つの中小プロモーションとアンドラーデの引き抜きを狙う他のプロモーションの確執と駆け引きに翻弄されてリングに上がれなくなり、WBOは王座はく奪を決断。17年3月、ドイツでエクアドル出身のドイツ人、ジャック・クルカイに2-1判定勝ちでWBAスーパーウェルター級王者に就いたが、同年10月から丸1年のブランクに見舞われる。これもプロモーターとの契約上の問題が原因だった。

カネロの会見に乱入

 ここでアンドラーデはスーパーウェルター級王座を返上してミドル級進出を決意。そして2つのプロモーションとの19年までの契約を自身で買い取り、一旦フリーエージェントになり、エディ・ハーン氏が率いるマッチルーム・ボクシングUSAとサインを交わす。

 その甲斐あってか、18年10月、決定戦でWBO世界ミドル級王座を獲得。2階級制覇を果たし5度の防衛に成功する。この王座は以前、対戦が具体化していたビリー・ジョー・サンダース(英)がドーピング検査でアウトになり、はく奪されていたもの。不祥事から復帰が認められてWBO世界スーパーミドル級王者に就いたサンダースが21年5月にテキサス州でカネロと3団体統一戦を行った時、試合後のカネロの会見にアンドラーデが乱入。「俺の挑戦を受けろ!」と訴えたアンドラーデにカネロは「アンタは(ファイトマネーの)支払いだけを求めている。(実力は)ひどい選手だ」とやり返し、一触即発の雰囲気になった。

 しかし彼の突飛な行動は効果がなく、むしろカネロはそれ以来アンドラーデを意識的に避ける発言に終始する。カネロ挑戦の野望が叶わぬと察したアンドラーデは昨年5月、英国で当時ランキング上位のザック・パーカー(英)とのWBOスーパーミドル級暫定王座決定戦が組まれる。しかし自身の負傷を理由にキャンセルしてしまう。アンドラーデの代役で臨み、パーカーに勝ったジョン・ライダー(英)が今年5月、11年半ぶりにメキシコのリングに上がったカネロの相手に抜てきされたのは記憶に新しい。

スーパーミドル級初陣となった最新のデモンド・ニコルソン戦。右がアンドラーデ(写真:SHOWTIME)
スーパーミドル級初陣となった最新のデモンド・ニコルソン戦。右がアンドラーデ(写真:SHOWTIME)

最強ブギーマンはどっちか?

 数年前から「ブギーマン」という言葉がメディアの間で使われている。「対戦を避けられている選手」という意味で、少し前までミドル級統一王者ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)の代名詞だった。現在、この言葉にもっともフィットする選手がベナビデスとアンドラーデということができるのではないだろうか。後者にとっては待ちに待ったキャリア最高のファイトマネーを稼げる一戦でもある。

 アンドラーデのケースを吟味すると、彼は相手から避けられていると同時に「自分でも避けている……」とも言える気がする。とはいえチャーロ、サンダースらとのたび重なる交渉決裂は、彼が紛れもないブギーマンであることの証だと思える。WBC世界ヘビー級王者タイソン・フューリー(英)は米国のあるボクシング専門メディアの「今、一番避けられている男は誰か?」という問いに「デメトゥリアス・アンドラーデだ」と返答している。キッズ時代からアンドラーデに付けられたニックネームは「ブー・ブー」。これはブーイングに由来するという。試合がおもしろくないというよりも「相手の輝きを消し取る巧さ」という意味で命名されたそうだ。ブギーマンの面目躍如ではないか。

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

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