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井上尚弥次戦決定の予感。候補フルトンで思い出す往年の名チャンピオン

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
スティーブン・フルトン(写真:Ryan Hafey / PBC)

フィラデルフィア・スタイルでモンスター撃破

 世界バンタム級4団体統一チャンピオンに就き、スーパーバンタム級へ進出する井上尚弥(大橋)とWBC・WBO世界スーパーバンタム級統一王者スティーブン・フルトン(米)のタイトルマッチが締結に向かっている。正式発表はまだなのでフルトンが本格的に始動した様子はうかがえないが、メディアに登場する頻度が増え、日本で井上の挑戦を受ける熱い思いを語っている。彼の発言から井上戦は間違いなく彼らの次戦で実現する予感が漂う。

 その中でフルトンの試合を全米に中継する「ショータイム」のボクシング番組の司会者(実況アナウンサーとは違う)ブライアン・カスター氏が自身のポッドキャスト番組「ザ・ラスト・スタンド」にフルトンを招待。そこでスーパーバンタム級統一王者は現在の心境を余すところなく吐露している。このニュースはすでに日本のメディアでも一部紹介されているが、ロングインタビューでカスター氏から「初めてブラックアメリカンとしてイノウエの相手になる気持ちは?」と質問されたフルトンは「誇らしいよ。動きの量で彼を上回りたい」と即答。カスター氏は「フィリー・スタイルだね」と相槌を打った。

 「フィリー・スタイル」。米国東部フィラデルフィア出身のフルトンはボクシングが盛んな土地の伝統の継承者でもある。映画「ロッキー」の舞台になったフィラデルフィアは元世界ヘビー級王者ジョー・フレイジャーが居住。最近ではフルトンと並んで注目を浴びるウェルター級ジャロン・エニス(IBFウェルター級暫定王者)というスター候補も輩出している。動き回ることがフィラデルフィアのボクシングスタイルとは一概に言えないが、フルトンの台頭で思い出したのが、40年前の名選手だった。

不運の男、村田と3試合戦う

 ジェフ・チャンドラー(米)。WBA世界バンタム級王者として9度の防衛に成功。戦績は33勝18KO2敗2分。2000年に国際ボクシング名誉の殿堂入りを果たした。チャンドラーが日本のオールドファンに忘れられないのは村田英次郎(当時は金子ジム所属。現エディタウンゼントジム会長)との3試合シリーズである。

 1980年6月の最初の世界王座挑戦で強豪WBCバンタム級王者ルぺ・ピントール(メキシコ)と引き分けた村田は2試合はさみ翌81年4月、東京・蔵前国技館でWBA王者チャンドラーに挑戦。チャンドラーは2度目の防衛戦だった。この試合もピントール戦に続き、村田は三者三様のドローに終わった。世界タイトル戦で2試合続けて後の殿堂入りチャンピオンと引き分けた村田は不運の男と呼ばれた。世界王者に就けなかった日本人ボクサーの中で、もっとも頂点に近づいた一人が村田に違いない。

 しかし1試合はさんで81年12月、米国アトランティックシティのサンズ・ホテル&カジノで再びチャンドラーに挑んだ村田はコンディション不良も災いし終盤13ラウンド、右アッパーカットを浴びて2度倒された末TKO負け。4度目の防衛を飾ったチャンドラーと村田は83年9月、東京・後楽園ホールでみたびグローブを交える。防衛回数を伸ばしていたチャンドラーはこれがV8戦。この時のチャンドラーも強く、2、3ラウンドの右強打を決めて村田をキャンバスに這わせ、断然優勢。中盤、村田が健闘して会場を沸かせたが、9回からスパートしたチャンドラーが10回に3度ダウンを奪う猛攻でストップ(TKO勝ち)に持ち込んだ。現状のレフェリングでは間違いなく10ラウンドの2度目のダウンでストップがかかっていただろう。

リング誌の表紙を飾ったこともあるチャンドラー(写真:Philly Boxing History)
リング誌の表紙を飾ったこともあるチャンドラー(写真:Philly Boxing History)

体格とスタイルは瓜二つ

 井上vsフルトンが日に日に現実味を帯びる中、チャンドラーを取り上げたのは、まずフルトンと同郷であること。そしてチャンドラーの身長169センチ、リーチ180センチはフルトンの169センチ、179センチとほぼ同等の体格。2人ともスキルとスピードで勝負する黒人選手であること。ついでながら村田英次郎の体格、身長166センチ、リーチ172センチは井上の165センチ、171センチとこれもほとんど同等なのだ。

 ドローの裁定が下った村田との第1戦でチャンドラーは左をフェイントして右ストレート、ノーモーションで放つ右ストレートとオフェンス面で魅了したと同時にクリンチワークやフットワークのスピードといった、やりにくさ、狡かつさでも対応。村田戦ではあまり見せなかったが、防衛戦によってはインファイトで対抗するシーンも散見された。これはフルトンがスーパーバンタム級2団体統一戦でブランドン・フィゲロア(米)と接近戦を演じた場面を想起させる。また運動量で勝負することもあり、これはまさにフルトンが唱える「フィリー・スタイル」に共通する。

私は9、イノウエは1

 正直なところ、井上の圧倒的な強さの前に果たしてフルトンがどこまで張り合えるか、ゴングが鳴ってみないとわからないところがある。フルトン本人もカスター氏とのやり取りで「イノウエの強打にお前は耐えられないと心配するファンもいる」と明かしている。それでも「私はナーバスになっていない。リングに上がる前、ロッカールームで100パーセント、ナーバスになればいいんだ。鳥肌が立つほどに。そんな状態を私は求めている」とコメント。そして井上に関して「彼は(ポール・バトラーと)試合をしたばかりでホットでフレッシュ。リズムがあり(試合勘のことか)フォームが整っている」とエールを送り、今にもリングでモンスターと対峙したい意欲を見せる。

 もう一つ、フルトンがアピールするのが今までの対戦相手のレコード。「私は9でイノウエは1だ」とはお互いの対戦者の中でこれまで何人無敗の選手がいたか。21勝8KO無敗のフルトンは9人の無敗選手を下している。一方、24勝21KO無敗の井上はWBSS(ワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ)準決勝でIBFバンタム級王者だったエマヌエル・ロドリゲス(プエルトリコ)に勝ったケースのみ。「今、私は9人だけど、彼は10人目になる」と吹聴する。

井上戦はラマダンの期間に調整?

 「日本の完全アウェーの中で勝利を飾れば、次なる目標は?」との問いにフルトンは「ムロジョン・アフマダリエフ」ときっぱり。WBAスーパー・IBF統一スーパーバンタム級王者アフマダリエフ(ウズベキスタン)との4団体統一戦を錦の御旗に掲げる。アフマダリエフの対立コーナーに立つのは井上かフルトンか。スリリングな展開が続く。

井上戦に全力を傾けるフルトン(写真:Philadelphia Inquirer)
井上戦に全力を傾けるフルトン(写真:Philadelphia Inquirer)

 さて、来日は初めてとなるフルトン。海外遠征となると17,18歳あたりの頃、米国アマチュアチームのメンバーとしてロシアのセントピーターズバーグで試合を行ったことがあるという。またプロ向きの試合形式で争われたアマチュアのリーグ戦WSB(ワールド・シリーズ・オブ・ボクシング)でイタリアへ出かけたと言っている。

 軽量級にスポットライトが当たるケースが少ない米国で“ジョルティン”(揺さぶり屋)と呼ばれたチャンドラーは30年ぶりに同国にバンタム級王座をもたらした。1階級上の王者フルトンにも軽いクラスにファンの目を向ける役割が求められる。黒人特有の身体能力の高さがそれを後押しする。だが“クールボーイ”のニックネームを持つ彼は「私がいなくなれば一時の興奮は去ってしまうだろう」とどこ吹く風の雰囲気。自信家の一面を覗かせる。

 ちなみにイスラム教徒であるフルトンはラマダン(断食月。今年は3月22日から4月21日まで)の間にも4度、試合を行ったことがあり、そのうち3度KO勝ちを収めたという。「ラマダンの期間中はより集中してトレーニングが実行でき、体も精神もよりピュアなものに清まる。すべてが私の中で一体になる」と明かす。神の庇護が彼に味方するかもしれない。

(敬称略)

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

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