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戦争はモチベーションアップにならない。ヘビー級統一王者ウシクの背中を押すものは?

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
初戦でジョシュア(右)を下したウシク(写真:ロイター/アフロ)

サッカー観戦から領土防衛隊に参加

 ヘビー級IBF・WBO・WBAスーパー世界3団体統一王者オレクサンドル・ウシク(ウクライナ)vs前王者アンソニー・ジョシュア(英)の再戦まであと10日となった。「紅海の猛威」のキャッチコピーがついた対決は20日サウジアラビアのジッダのスーパードームでゴングが鳴る。昨年9月、英国ロンドンで行われた第1戦でジョシュアに3-0判定勝利を収めたウシクは今回が初防衛戦でヘビー級進出4戦目。母国に勃発したロシアとの戦争で、このダイレクトリマッチは遅延を余儀なくされたが、伝えられる調整具合は順調そのもの。オッズメーカーが出す下馬評は、およそ2-1でウシクが有利を予想される。

 ウシク有利の要因となっているのが厚みを増した上半身。スパーリングパートナーから「パワーアップが半端じゃない」と言わしめている。初戦で221.25ポンド(100.36キロ)をマークしたウシクはおそらく今回それを上回る体重を計測するだろう。もしかしたら前回のジョシュアのウエート、240ポンド(108.86キロ)に近い体重でリングに上がるかもしれない。

 ちなみにウシクはサッカー好きで知られる。今年2月、念願かなって彼はサッカーの国内リーグ(2部)に出場する機会に恵まれた。フォワードとしてプレーし、ヘビー級ボクサーとは思えない俊敏な動きを披露。翌月、ロシアのウクライナ侵攻が開始する2日前にはロンドンでチャンピオンズリーグ、チェルシーvsリールを観戦したという。それが発覚してか、戦争が始まると「ウシクは母国の一大事をほったらかしてプライベートな時間を楽しんでいた」と批判された。しかし急きょウクライナへ帰国した彼は領土防衛隊に参加し1ヵ月ほど戦火に身を投じることになった。

兵士たちから激励の声

 ウシクがジョシュア戦に向けてウクライナ国外へ脱出、トレーニングを許可された背景にはアスリートとして特別な実績を上げていることがある。またサッカーの代表チームがカタールW杯予選のプレーオフに勝ち残っていたため、ウシクにも追い風が吹いたと思われる。

 そして領土防衛隊として傷ついた兵士たちを病院で見舞った時、彼らから「国のためにジョシュアと戦ってくれ」と激励されたことも彼の背中を押した。「彼らにウクライナ国内で戦うよりも国を背負ってリングに上がってほしいと言われた」とウシクは明かす。

 最初、隣国ポーランドへ移動しトレーニングを開始したウシクはジョシュア戦のスケジュールが定まるのを待った。当初7月開催と伝えられたイベントは1ヵ月延びて最終的に8月20日に落ち着いた。その間ウシクは試合地と同じ中東のドバイへ移りスパーリング中心の調整を敢行している。「ウシクは怒るようにジムワークに打ち込んでいる」と彼のマネジャーが語るように相当、気合が入っている様子がうかがえる。彼のヤル気に火を点けているのは戦争への恨みなのか?

大人の対応

 「友人たち、知り合いが戦争で死んでいる。それでも戦争はジョシュアを下す特別なモチベーションとはならない。たくさんの人々が苦境に陥っている時、いかなる出来事もポジティブに作用すると考えることはできないから」

 正直、最後の部分はわかりにくい。自分なりに解釈すると、「戦争で苦しんでいる人々がたくさんいるのに自分の目的(ジョシュアを返り討ちにすること)を全うするために軽々しく戦争うんぬんという言葉は使うべきではない」となろうか。彼の決意は成熟した大人を感じさせる。

 とはいえ、ウシクが第三者に共感を求めているのは確かだろう。試合はサウジアラビアという中立地で行われるが、リングでウシクが紹介されれば、大きな声援が巻き起こるに違いない。そしてラウンドが進行するたびにボリュームを増すはずだ。ジョシュアは悪役とは言わないまでもホームの英国で戦うようには行くまい。それも試合予想に影響していると推測される。

ドバイで調整を図るウシク(写真:talksports.com)
ドバイで調整を図るウシク(写真:talksports.com)

ガルシア・ファミリーのサポート

 一方、初戦で”AJ”ことジョシュアが後手に回ったのは彼のセールスポイントであるアスリート能力でウシクに対し劣ったためだった。それが身にしみたのか、ロンドンで調整に努めるジョシュアは「ライト級の選手のような動きを披露したい」と話している。もし実行できればベルト奪回のチャンスが広がるが、初戦でジョシュアは終盤スタミナ切れに陥った。今回、新しくコンビを組んだ米国の名将ロバート・ガルシア・トレーナーは「初めて世界ヘビー級チャンピオンを誕生させてみせる」と抱負を口にする。しかしガルシア氏が育てた王者はメキシコ系がほとんどで軽量級から中量級の選手ばかり。果たして彼の指導方法が結実するか識者の間では疑問視する向きもある。

 最近のニュースではロンドンでジョシュアを指導中のガルシア氏は引退を発表した実弟の元4階級制覇王者マイキー・ガルシアと父のエドゥアルド氏を呼び寄せて3人でトレーニングをサポートしている。そこにはアグレッシブに攻め立てるメキシカンスタイルの伝授があるとみる。功を奏するかはゴングが鳴ってのお楽しみ。だがサウスポーのウシクはプロ戦績こそ19勝13KO無敗だが、あらゆるスタイルに順応できるフレキシブルさも武器。ジョシュア(24勝22KO2敗)は連続して悪夢に悩まされるという見方もされる。

163億円の報酬

 それにしても驚かされるのはファイトマネー。試合が正式発表された時点の報道で2人はそれぞれ1億ポンドを手にする可能性があるという。本日のレートで1ポンド=約163円だから何と163億円に達する。確認の意味でいくつかのメディアの記事をチェックしてみたが、記述に間違いはない。

 私はおそらく6000万ドル(約81億円)ぐらいではないかと想像するが、それでもWBC王者タイソン・フューリー(英)が4月のディリアン・ホワイト(英)との防衛戦で得た2950万ドル(約40億円)、知名度で業界トップのスーパーミドル級4冠統一王者サウル“カネロ”アルバレス(メキシコ)が最近の試合で保証額として提示された4000万ドル(約54億円)と比べて破格の金額と言える。2015年のフロイド・メイウェザーvsマニー・パッキアオの金満ファイトを想起させる。

 サウジアラビア開催だから可能なのか。ウクライナ戦争で世界中が経済危機に陥っている中、この大盤振る舞いは異様に映る。「試合が終わったら、真っすぐウクライナへ戻り、みんなと戦う」と強調するウシクに国民はどんな反応を示すのか?すべては結果と内容次第。それがウシクの最大のモチベーションを引き出す。

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

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