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3年半も戦わずに「世界ヘビー級王者」として生き残り続けた波乱万丈の半生

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
無敗のラブジョイを倒したチャー(写真:Torsten Helme)

ミステリアスな男

 ボクシングのアイコンでもあるヘビー級。WBAの最高位はWBC王者タイソン・フューリー(英)との統一戦が正式決定間近のスーパーチャンピオン、アンソニー・ジョシュア(英)が占める。だが留意しておかなければいけないのは「さまざまな」と形容しておかしくないほどチャンピオンの称号を持つ者が乱立していることである。これは以前から指摘されているWBAの凋落を象徴し、そのカオス状態を増幅する。

 その“チャンピオン”の一人で、今年1月末までレギュラー王者(正規王者とも記される)に君臨したのがマヌエル(本名マフムード)・チャーだ。彼はボクサーとしてドイツ人となっているが、中東レバノン出身でシリア国籍、ドイツ在住。その背景だけでもユニークな存在である。

 チャー(36歳)は2012年にWBC王者ビタリ・クリチコ(ウクライナ)に挑戦して4回TKO負けするまでデビュー以来21連勝(11KO)をマークしていた。ヘビー級としては一撃の威力に欠けるが、気性が激しく気力を前面にして戦う選手に見えた。その後5連勝と復調したものの、14年5月、WBAヘビー級正規王者だったアレクサンドル・ポベトキン(ロシア)に痛烈な7回KO負けで上位進出を阻まれる。ただ、この試合でロシアのプロモーターに気に入られたのか、翌15年8月まで5試合連続ロシアのリングに上がる。

 しかし当時世界的には無名のヨハン・デュオパ(フランス=2012年、後楽園ホールで竹原虎辰に6回TKO勝ち)に判定負けで躓き、最後の試合で現IBFクルーザー級王者マイリス・ブリーディス(ラトビア)に5回KO負け。この時、入院するダメージを被りランキングも下降。チャーは「過去の人」と見られた。

銃撃事件で重傷

 そしてブリーディス戦から間もなくの2015年9月2日、ドイツのエッセンでチャーはカバブ料理(肉と野菜の串焼き料理)の店を出たところを狙撃される事件が起こった。現地メディアによると、この時チャーは腹部に4発銃弾を浴びたという。それでも9ヵ月後にリングに立ったのだから強靭な体の持ち主なのだが、彼はレバノンの犯罪組織に狙われていて、フェイスブックを通じて居所を公開したため事件に遭遇したとも噂された。

 黒いイメージが浸透したチャーだが、彼を見捨てない陣営も現れた。まずドイツのプロモーター、エロル・セイラン。そしてWBA、米国のドン・キング・プロモーターだ。チャーをめぐる3者の利益は最初、一致していた。皆、その威厳やクオリティには目をつぶり、世界ヘビー級王者という肩書がほしかっただけなのだ。

 2017年11月25日ドイツのオーベルハウゼンで行われたWBAヘビー級レギュラー王座決定戦に抜擢されたチャーはアレクサンドル・ウスティノフ(ロシア)に3-0判定勝ちで戴冠する。この時チャーはWBA4位まで上昇(ウスティノフは2位)。WBAとセイラン・プロモーターの連係プレーによる産物と言える。

 それにしても上に強い王者(スーパーチャンピオン)がいるのに次々とベルトホルダーを増殖して行くWBAのファンを無視した姿勢には憤りを感じる。そのスーパーチャンピオンにはすでにジョシュアが君臨していた。

ドーピング違反から一転、王者に復帰

 チャーは再び失態を犯す。翌18年に組まれたフレス・オケンド(プエルトリコ)との防衛戦を前にドーピング違反を起こす。VADA(ボランティア・アンチドーピング協会)が実施した検査でチャーから2種類の筋肉増強剤が見つかった。ここで一旦チャーはタイトルをはく奪される。

 ところがB(2次)サンプルの検査結果はシロ。WBAはチャーの王者復帰を認める。WBAの決断は限りなく疑惑に満ちたものであった。とにかくチャーは生き残った。これにキング氏が絡んで来る。キング氏はWBAとの親密度を増すが、セイラン・プロモーターとは反目し出す。

9年前、WBC王者ビタリ・クリチコ(右)に挑んだチャー(写真:ロイター/アフロ)
9年前、WBC王者ビタリ・クリチコ(右)に挑んだチャー(写真:ロイター/アフロ)

キングとWBAの干渉

 全盛期には自分の手のひらでヘビー級タイトルマッチを牛耳ったキング氏も89歳。持ち駒の選手は数えるほどで勢力減退が著しい。勇退しないのが不思議なのだが、いまだにヘビー級王者の幻影を捨てきれていない。唯一、チャーが長らく座ったWBAレギュラー王者に就いたトレバー・ブライアン(米)がトップ選手。“すがりついている”印象がぬぐえない。

 WBAはもっと深刻だ。ヘビー級に限らずボクシング業界に混乱をまねいている、この老舗団体はチャーがウスティノフ戦に勝利後、防衛戦はおろか一度も試合を行わなかったにもかかわらず、薬物問題から復帰させたチャーをずっと王者として認定し続けた。通常のルールを適用すれば王座はく奪は時間の問題だが、まるでルールなどないようにチャーを優遇した。

 その理由はプロモーターとの癒着で、何らかの恩恵がWBAにあったものと断言できる。この件に関してWBAのヒルベルト・メンドサJr会長に質問状を送ったが、当然のごとく回答は届いていない。どんなにファンやメディアから批判されても「ベルトの数は多いに越したことない」という救いようがないポリシーを持つWBAは、峠を越したトラブルまみれのチャーを“指定席”に座り続けさせた。

キング+WBAの悪のタッグの犠牲者

 チャーが常軌を逸する期間、ブランクをつくったのはキング氏がセイラン氏を牽制し続けたことが最大の原因だろう。そして本来、試合成立を促進する立場にあるWBAがキング氏側についたこともセイラン氏を圧迫したとみる。ただプロモーターはタイトル認定団体(WBA)よりも試合をもっと成立させる急務がある。なのにキング氏が断固チャーの復帰を拒んだ理由は何だろうか。

 想像の域を出ないが、超一流でもなく、全盛期を過ぎたチャーがベルトを手放すのを嫌ったのではと思われる。王者に就いていれば、それだけチャーを利用してタイトル戦を組めるとキング氏は踏んでいたのではないか。それがブランクが3年以上に陥りながらもWBAに圧力をかけ、王者に認定させ続けた要因だと思われる。

 その証拠にWBAから実施の「最後通告」が出た今年1月のチャーvsブライアンをそれまで以上の強硬手段を使ってとん挫させた事実が挙げられる。ブライアンは元WBC王者バーメイン・スタイバーン(ハイチ=カナダ)に終盤TKO勝ちでチャーの後釜に座った。チャーはここでもキング氏に利用されたのである。ドイツに自身のプロモーターがいるのになぜキング氏の手が伸びるのか?というツッコミが入るが、同氏はチャーが以前行ったタイトル戦で将来のためにツバをつけていたに違いない。

チャーの後釜に座ったブライアンとキング氏(写真:Don King Promotions)
チャーの後釜に座ったブライアンとキング氏(写真:Don King Promotions)

2回KO勝ちでカムバック

 ようやくチャーは15日(日本時間16日)ドイツ・ケルンのリングに上がり、クリストファー・ラブジョイ(米)に2回1分9秒KO勝利を飾った。ラブジョイはキング氏の持ち駒で、これまで19勝19KO無敗だったが、上位陣との対戦はなく年齢も37歳。実績で勝るチャーの連打であっさり倒れ、テンカウントを聞いた。

 紆余曲折を経て3年半ぶりに登場したチャーは32勝18KO4敗。自身でまねいた不祥事も無視できないが、彼のキャリアはキング氏とWBAに振り回された印象が濃い。WBAが彼を休養チャンピオンに認定していることも理解に苦しむ。WBAとキング氏の衰勢を象徴しているのがチャーというボクサーの存在に思えてならない。

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

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