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「ジョーに怖さは感じなかった」辰吉丈一郎に2度勝った元世界王者サラゴサが明かす勝因

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
辰吉に右フックを浴びせるサラゴサ。両者の第1戦から(写真:アフロ)

人生を変えた辰吉という好敵手

 引退したボクサーの成功度を測る時、基準となるのはタイトル防衛回数や獲得した数であろう。同じくプロフェッショナルである以上、キャリアでどれだけ稼いだかにも着目しなければならない。リング上で強ければ報酬もそれに比例してアップするのは当然だが、対戦相手に恵まれることも幸運を引き寄せる。WBC世界スーパーバンタム級王者に3度君臨したダニエル・サラゴサ(メキシコ)には辰吉丈一郎という日本のスーパースターが対立コーナーにいた。

 モスクワ五輪代表選手を経て、1980年にプロデビュー。メキシコ・バンタム級王座の防衛を重ね、WBC同級王者に就いたサラゴサは端正なサウスポーのアウトボクサーに見えた。一転して辰吉と対峙した頃のサラゴサは日本の専門誌などから“闘将”と呼ばれたようにファイティングスピリットを前面に押し出して戦うスタイルに変身していた。これに関してサラゴサ本人から説明があるのだが、それは後述する。

 さて殿堂入り(2004年)も果たしたサラゴサが話題に上る時、メキシコでも日本でも「辰吉との2試合で破格のファイトマネーを得た選手」という会話が関係者の間でささやかれることが多い。実力評価よりもそれが先行されるのだ。同じく辰吉と2度対戦し、ナチョ・ベリスタイン・マネジャー兼トレーナーの兄弟弟子にあたるビクトル・ラバナレスを大きく上回る金額を得たと推測される。そしてラバナレスと異なり、名誉や富に溺れることなく堅実な生活を送ったサラゴサはメキシコの元世界チャンピオンの中では数少ない成功者。悠々自適の暮らしを送っている。

2試合とも余裕の勝利を強調

 サラゴサと交流があるメキシコの知人の話では「辰吉との2試合で家を買った。畑中(清詞)戦で高級車を買った。稼がせてもらった日本とプロモーターに感謝しているよ」と明かしている。ちなみにサラゴサが最初に対戦した日本人が畑中で、1991年6月、相手の地元の名古屋で判定勝ち。2度目の王座に就いた。96年3月の辰吉戦は3度目の王座の防衛戦だった。横浜アリーナで行われた辰吉との初戦は11回負傷TKO勝ち。場所を大阪府立体育会館に移した97年4月の2戦目は12回判定勝ち。サラゴサの牙城は揺るぎなかった。

「第1戦はジョーイチロウがクラスを上げてきたから警戒していた。でも上手いと思ったけど怖さは感じなかったね。第2戦は終盤、日本のヒーローを傷めつけるのはどうかと思い、流すようなボクシングになった」

 余裕のコメントで過去を振り返るサラゴサ。それにしてもライバルの名前をタツヨシと言わず、発音しにくいであろうファーストネームで呼ぶところにこだわりと愛着心を感じさせる。

誇らしげに殿堂入りリングを示すサラゴサ(写真:Agencia Reforma)
誇らしげに殿堂入りリングを示すサラゴサ(写真:Agencia Reforma)

現在はジムのオーナー

 サラゴサをキャッチし電話インタビューを試みた。彼を取材するのは今回で2回目。最初は96年7月の原田剛志との防衛戦の前メキシコシティで直接、彼に会った。もう25年も前のことである。

――最後にお見かけしたのはラファエル・マルケス(メキシコ=元IBFバンタム級王者。4階級制覇王者フアン・マヌエル・マルケスの実弟)が西岡利晃に挑戦した時でした。

サラゴサ「そうでしたか。引退後はジムを開いて今に至っています。プロ、アマチュア、一般の練習生が在籍しているのですが、コロナパンデミックで昨年3月から閉鎖を余儀なくされています。今年も無理な状況で再開はおそらく来年になるでしょう」

――ラファエル・マルケス以外に著名選手をコーチしましたか?

サラゴサ「オルランド・サリド(メキシコ。元WBOフェザー級&スーパーフェザー級王者)を一時受け持ちました。それからフリオ・セサール・チャベスの次男、オマール・チャベス。でもカンクンで行った1試合だけ。なぜかその後、声がかかりませんでした」

ファイタータイプに変身した理由とは?

――辰吉との試合の思い出を聞かせてください。

サラゴサ「勝てたのはいい準備ができたから。ジムの同僚にその前にジョーイチロウと対戦したラバナレスがいたことも大きかった。彼を相手にガンガン、スパーリングをこなしました。それと私はスーパーバンタム級がナチュラルウエートで、バンタム級から上がったジョーイチロウに対しアドバンテージがあった。それが彼には問題だった。フィジカル面で優位に立てたこととサウスポーであることも彼にトラブルを植えつけた」

――体格差があったと……。

サラゴサ「ええ。バンタム級とS・バンタム級は2キロほどしか差がないけど、違いは大きい。それとスピードで勝ったことと私のスタイルが難しかったことが勝因でしょう」

――日本のファンにはどんな印象を持ちましたか?

サラゴサ「日本のファンはボクシングをよく知っていると感じましたね。スポーツ文化が浸透していると思いました。試合中も滞在中もとても満足しました」

――辰吉戦もそうでしたが、あなたのキャリア後年は、よりファイタータイプに変身したように感じましたが……。

サラゴサ「日本人との対戦では打ち合わないと勝てない。そうしないとジャッジに攻勢をアピールできない。アウトボクシングを貫くと判定負けする危険がある。それがファイター型で戦った理由です。プラス、全部のラウンドを勝つつもりで戦う、あるいは判定勝負にならないように試合を終わらせる。それがスタイルに変化をもたらせたと思う」

子供は全員大学を卒業

――なるほど。よくわかりました。ところで辰吉との2試合は快勝しただけではなく、報酬面でも恩恵がありましたね。

サラゴサ「その通り。長女のエルサは2006年、無事に大学を卒業して家庭を持っています。今はアメリカのマイアミに住んでいる。長男のダニエルも2007年に大学を終え法律関係の仕事に就いています。彼はまだ独身です。次女のウィンディは2012年に大学で建築学部を卒業し2人の子供の母。私は家で妻と2人きり。孫は全部で5人。男児4人に女児1人」

 彼は引退後の豊かな生活を子供たちの学歴と家庭環境で表現した。それが元世界王者としての揺るぎない矜持に感じられた。ついでながらメキシコの経済面の成功者に元ライトフライ級王者ウンベルト“チキータ”ゴンサレスがいる。食肉店チェーンとパーティー会場の経営で成功しているチキータとは昨年8月、エキシビションマッチを行った。コロナ禍の慈善イベントだった。

――チキータとのエキシビションは盛況でしたか?

サラゴサ「パンデミックのプロトコルの影響で無観客試合でした。私は63歳になったけど、毎朝6キロから8キロ走っている。体調を整えているから(エキシビションなら)いつでもリングに上がれます」

――辰吉もジムワークを続けていると聞きます。メッセージはありますか?

サラゴサ「それならぜひ第3戦をやりましょう。ジョーイチロウにそう伝えてほしい」

昨年エキシビションを行ったチキータ・ゴンサレス(左)と(写真:boxenestaquina.com)
昨年エキシビションを行ったチキータ・ゴンサレス(左)と(写真:boxenestaquina.com)

趣味は孫たちと遊ぶこと

――以前テレビで解説を行っていたようですが、メキシコのボクシングの現状にはどんな印象をお持ちですか?

サラゴサ「この国は絶え間なく素晴らしいボクサーを輩出する。今も例外ではない。オスカル・バルデス(WBCスーパーフェザー級王者)、“ガジョ”エストラーダ(WBC・WBAスーパー・スーパーフライ級王者)そしてカネロ・アルバレス(WBC・WBAスーパー・スーパーミドル級王者)。毎年有望な選手が出現して来る」

――中断しているジム経営(名称はサラゴサ・ボクシング・ホール)のほか、息抜き、趣味は何ですか?

サラゴサ「孫たちと遊ぶことが一番。彼らにボクシングをはじめスポーツを教えています。それが何といっても楽しみ」

 若い頃、子ぼんのうで通っていた彼は孫たちもかわいくてしょうがない。指導者になってからも日本との交流は続き、「数年前、畑中の息子がこちらに来てトレーニングしたことがあった」と振り返る。今、WBCフライ級ランキングに顔を出した畑中建人(畑中)のことに違いない。辰吉の前に立ちはだかった男が辰吉ジュニア(寿以輝)をコーチする日がいつか訪れるかもしれない。

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

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