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井上尚弥に敗れた元世界王者たちの「その後」。モンスターの悪夢は何を残したのか?

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
井上の強打に惨敗したロドリゲス(右)(写真:ロイター/アフロ)

  ジェイミー・マクドネル、フアン・カルロス・パヤノ、エマヌエル・ロドリゲス、ノニト・ドネア。井上尚弥の過去4戦で屈した男たちは今どうしているのか?

 日本のファンが心待ちにする井上(大橋)vsジョンリール・カシメロ(フィリピン)の早期実現を願いながら、今回は井上に屈したボクサーたちのその後と現状にスポットを当ててみたい。

ジェイミー・マクドネル「減量苦がなかったら“モンスター”に勝てた」

 井上がバンタム級王座を獲得した相手が元WBA王者ジェイミー・マクドネル(英)だった。2018年5月25日、大田区総合体育館。それまで亀田和毅との2戦を含めて5度の防衛に成功していたマクドネルだが、井上の強打を食らって初回に2度倒され、あっさり沈んだ。

 それから1年近く経過した昨年4月、マクドネルは英国の専門誌「ボクシングニュース」のインタビューでこう語った。「人は笑うけど、あえて言わせてもらう。彼は私を1ラウンドで粉砕したけど、あの時、私はベストな状態ではなかった。バンタム級で長くやってきて体重調整がきつかった。もしそれがなかったら私は彼に勝てたと信じている」

 負け犬の遠吠えとはまさにこういうことを指すのだろう。確かにマクドネルは計量に大幅に遅刻するなど減量に苦しんでいた。とはいえ、それを完敗の言い訳にしたら、どんなボクサーだって井上に勝てると言い張るだろう。あまりにも自分本位の発言だと言わざるを得ない。それでもマクドネルは、こうも言っている。「彼(井上)がこれからも1ラウンドKO勝ちを続けることを願っている。それで私の気分も晴れるだろう。少なくとも私は世界のベストの一人と同じリングに立ったことを誇りに思う」

 不承不承ながら井上の実力をリスペクトし、「敵わない相手」だと認めているのだ。そのマクドネル、そのインタビューから約3ヵ月後イタリアのミラノで復帰戦を行い6回戦で判定勝ち。計画ではスーパーバンタム級で2階級制覇を目指し、希望では今頃それを達成しているはずだった。しかし以後リングに立つことはなく、コロナショックも影響しジムワークを開始したのは6月。双生児兄弟のギャビン、女子のスーパーフェザー級王者テリ・ハーパーらと地元ドンキャスターで汗をかいている。

 練習の合間には子供たちにボクシングを指導することもある。それが板についてきたことが逆にトップシーンと距離が開いた証拠に思える。34歳になり、「みんなに引退したのか?」と聞かれるそうだ。井上戦の悪夢はマクドネルを末路へ追い込んだ。

地元の英国ドンキャスターで子供たちを指導するマクドネル(後列右端)
地元の英国ドンキャスターで子供たちを指導するマクドネル(後列右端)

フアン・カルロス・パヤノ……36歳の元気男。ジムに住み込み再起を目指す

 ワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ(WBSS)バンタム級準々決勝で井上の強打に初回70秒で轟沈させられた元同級WBAスーパー王者フアン・カルロス・パヤノ(ドミニカ共和国)。2018年10月7日、横浜アリーナのリング。5ヵ月後に再起を果たしたが19年7月ラスベガスでルイス・ネリ(メキシコ)に9回KO負け。井上戦はアゴへの強打、ネリ戦はボディーブローと違いがあるが、いずれも大の字に沈んだ。

 リングから遠ざかって1年。それでもドミニカのサウスポーは、その戦法スタイル同様しぶとく生き残っている。以前から米マイアミを拠点にし、アメリカ市民権を取得したことがボクシングへの情熱をいっそうかき立てる。マイアミではマネジャー兼トレーナーのエルマン・カイセドとコンビを組み、カイセド氏が経営する「カイセド・スポーツジム」がパヤノの自宅。いい意味で公私混同が許される存在でジムメートから“エル・ヘフェ”(ボス)というニックネームをつけられている。

 36歳になったパヤノ。だが「まだ私は100パーセントの力を発揮していない。世界中を不安が覆っている状況だけど、いつ声が掛かっても対処できるように準備している」と常時スタンバイ状態をアピール。所属するPBC(プレミア・ボクシング・チャンピオンズ)のイベントでフィリピンのプロスペクト、レイマート・ガバリョ(前WBAバンタム級暫定王者)との対戦が有力となっている。このカードはネリの復帰戦、対アーロン・アラメダ(メキシコ)のイベントに組み込まれるもよう。ネリvsアラメダは当初の7月18日から8月1日にシフトされ、その後同29日まで延期されている。ベルトを乱造するWBAの何らかのタイトルが争われる見通しでパヤノのヤル気を刺激している。

カイセド・マネジャー(中央)とパヤノ。右はヘビー級のルイス・オルティス(写真:boxeomundial.com)
カイセド・マネジャー(中央)とパヤノ。右はヘビー級のルイス・オルティス(写真:boxeomundial.com)

ロドリゲスを直撃「ショックが大き過ぎた。でもスーパーバンタムでよみがえる」

 自信満々、モンスターとの決戦に臨みながら(実際はかなり弱気だった様子もあったが)2ラウンドで散った元IBFバンタム級王者エマヌエル・ロドリゲス(プエルトリコ)。19年5月18日スコットランド・グラスゴーのWBSS準決勝。再起と汚名返上をかけた昨年11月ラスベガスでのネリ戦は相手の体重オーバーで中止。ネリから高額ファイトマネーを積まれたものの断固、試合を拒否した態度は同情されたものだ。

 とはいえ、その後リングに復帰する機会は訪れずブランクが続いている。またネリとの試合で争われるはずだったWBCバンタム級の指名挑戦者の座は、井上との激闘が感動を呼んだノニト・ドネア(フィリピン)が自動的にWBCから抜擢された。割を食ったかたちのロドリゲスは今どうしているのか?

 最初にプエルトリコのカルロス・ゴンサレス記者(ラ・プリメラ・オラ紙)に聞いてみたが、近況は不明とのこと。そこでロドリゲス本人に連絡を入れてみた。

 ロドリゲスは開口一番「ネリとやりたかった……」としみじみと言った。本心に違いない。もしネリと戦っていても、ネリvs山中慎介2のように体重を増やした相手に不運な結末が待っていたかもしれない。それでも、わずか1ポンドを落とさなかったネリに不満をつのらせる。ここでも問題児ネリが残した悪行が影を落とす。

 井上戦の完敗、ネリ戦が流れたことで彼は122ポンド(スーパーバンタム級)進出を決意した。そして同じPBCの傘下に入ったWBC王者レイ・バルガス(メキシコ)挑戦のプランが持ち上がった。しかしコロナ禍が災いし交渉は中断されてしまった。望みをつないだまま彼はサンフアンのジムでトレーニングを続ける。

 トレーナーは井上戦の計量で井上真吾トレーナーに突っかかり問題となったウィリアム・クルスからベテランのフレディ・トリニダードにスイッチした。トリニダード氏はプエルトリコの英雄フェリックス・トリニダードを指導したことで知られ、多くのチャンピオンを誕生させている。現WBOミニマム級王者ウィルフレド・メンデス(プエルトリコ)が最新の弟子である。

 「井上との試合で学んだものはある?」と聞いてみたが「わからない。ショックが大き過ぎた。自分が仕事をしようとする前にやられてしまったからね」と脱帽。挑戦者としてドネアが優遇されたことに関しても「詳しくは知らない。WBCの決断だから」と気に留めることはなかった。

 すでにスパーリングも開始しているそうだが、コロナ危機で「まだ練習環境は完璧ではない」と嘆く。ターゲットのバルガスは名将ナチョ・ベリスタイン氏の愛弟子。「彼らにメッセージはないか?」と振ってみたが「まだ試合が決まったわけではないので何もない」とロドリゲス。彼も井上という暴風雨に晒され、心身ともに憔悴し切った様子をうかがわせた。27歳。このまま消えてしまうのは惜しい人材に思えるのだが……。

ノニト・ドネア「井上戦は通過点。もう一度ベルトを獲り返す!」

 海外の多くのメディアからも2019年の最高試合に選ばれた井上vsドネア(11月7日・さいたまスーパーアリーナ)。主役の一人は現役生活最後の花を咲かせようと奮い立っている。そこにある種の余裕を漂わせるところが“フィリピーノ・フラッシュ”ドネアらしい。上記のようにダイレクトにWBCバンタム級王者ノルディ・ウーバーリ(フランス)に挑戦する運びとなっている。同級王座2度目の返り咲きは成功するだろうか?

 ウーバーリvsドネアは両陣営による交渉期間が設けられた後、WBC本部で入札に持ち込まれ、ロサンゼルスのプロモーター、トム・ブラウン氏が開催権利を獲得した。同氏はPBCのイベントの主に米国西部地区を担当し手腕を振るう。当初は4月にも実現が見込まれたが、コロナの感染拡大で延期を強いられている。

 ドネアを直接サポートするリチャード・シェーファー氏(リングスター・スポーツCEO。元ゴールデンボーイ・プロモーションズCEO)はフィリピン・メディアに「私たちはコロナの状況が収束するのを待っている。とりわけヨーロッパからの渡航が緩和されることを」とコメント。ウーバーリ戦を米国内で挙行したい意向を明かす。

 すでにドネアとウーバーリは接点がある。昨年1月、ネリが剥奪された王座をウーバーリがルーシー・ウォーレン(米)と争った際にラスベガスのジムでウーバーリをヘルプしたのがドネア。仮想ウォーレンとしてドネアはスパーリングでサウスポーに構えて対処した。ウーバーリの王座獲得に貢献したドネアが今度は彼のベルトを狙いを定める。

昨年ウーバーリ(右から2人目)をサポートしたドネア(写真:ロイ・ジョーンズ・プロモーションズ)
昨年ウーバーリ(右から2人目)をサポートしたドネア(写真:ロイ・ジョーンズ・プロモーションズ)

 井上に負けたが、12ラウンドに渡る戦いを繰り広げたドネア。キャリアの集大成を披露したとも取れる。だが、37歳になったドネアはまるで通過点のように振り返る。

 「みんな私が井上に2ラウンドで倒されると思っていただろう。でも私は規律と節制を重視するボクサーで、ヘルシーに食べ、体重を落とし、ハードに練習をこなせる。井上戦のキャンプの時から新しいトレーニング方法を実行している。それが試合で効果があった。今、私はそれをもう一段上のレベルへ引き上げようとしている。スパーリングを行ったから私はウーバーリを熟知している。今度はサウスポーでやるわけではなく、もっとやりやすくなるはずだ」(ドネア)

 家族思いのドネアはコロナ危機の間、彼らと十分リラックスして過ごした。この4人の中で井上との再戦が望めるのは彼だけ。ウーバーリ挑戦は9月下旬か10月をめどに実現が待たれる。

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

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