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マイク・タイソン「幻のカムバック計画」。復帰フィーバーが行き着いた先とは

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
ボクシングのカムバックは難しかったタイソン(写真:ロイター/アフロ)

950万件のアクセス

 6月9日トップランク社がラスベガスで開催した試合から米国のボクシングイベントが再開された。そして16日は同じくトップランク社が第3弾のイベントを挙行。まだ無観客試合で会場では安全対策が厳しく施行されているが、新型コロナウイルス感染症の拡大でストップしていたリングシーンがいよいよ動き出した。

 うっ憤や不満が充満していたものがいったん始動すると、情景はあっという間に変化する。ほんの20日ほど前には“鉄人”元ヘビー級統一王者マイク・タイソンのリング復帰がファンやメディアの間で大きな話題を集めていた。時間にして17秒のトレーナーとのミット打ちのデモンストレーションに950万件のアクセスがあったという。

 その宣伝効果は絶大で、全盛期は30年前だったタイソンに対戦のオファーが殺到した。素手で殴り合うベア・ナックルは現在合法になっており、統括するベア・ナックル・ファイティング・チャンピオンシップが2000万ドル(約21億4000万円)を提示したといわれる。またニュージーランド代表のラグビー選手でプロボクサーとしてリングに上がったソニー・ビル・ウィリアムズらと対戦する話が持ち上がった。一方イタリアからプロデビューする選手との一戦がオファーされた。そしてWBCヘビー級王者タイソン・フューリーの父ジョン・フューリーが「俺と戦え!」とSNSで挑発。これらはいずれも1000万ドル前後が打診されたもようだ。

ショービジネスへも進出

 とりわけ関心を集めたのは「耳噛み事件」の因縁からイバンダー・ホリフィールドとの第3戦だった。と言っても2月のフューリーvsデオンテイ・ワイルダーのリングで握手やハグを交わしたように現在、タイソンとホリフィールドは良好な関係を築いている。試合が実現してもエキシビションやチャリティーマッチが有力と言われた。

 ちなみにエキシビションとチャリティーマッチを私はうまく説明できない。自分なりに解釈するとエキシビションはヘッドギアと大きいグローブを着用して戦うスパーリングに近いもの。チャリティーマッチは本式の試合をするが、報酬は寄付されると理解できるか。2018年の大晦日に行われたフロイド・メイウェザーvs那須川天心はエキシビションマッチと区分けされる。だがヘッドギアを着けず通常のグローブを使用したものの、メイウェザーは10億円近い報酬を手にした。

 “マネー”の異名を持つメイウェザーはボクサーというよりもビジネスマンだと揶揄される。オファーがどっと押し寄せたタイソン、そしてホリフィールドも今やビジネスマンの領域に達したと言えるのではないだろうか。事実ホリフィールドは自身のプロモーション会社を立ち上げているし、タイソンも米国では州によって一部合法の大麻の農園を経営している。同じくラスベガスのトークショーで好評を博したこともある。また「ハングオーバー」という映画で重要なキャストを演じ、エンターテイナー的な性格を帯びている。しかし今回、タイソンは自身の肝の部分であるボクシングで一勝負に打って出た雰囲気がうかがえる。

レノックス・ルイス(中央)をはさんで再開したタイソンとホリフィールド(写真:BoxingScene.com)
レノックス・ルイス(中央)をはさんで再開したタイソンとホリフィールド(写真:BoxingScene.com)

オファーは幻だった?

 だが結論から言うと、その目論見は外れた。あわよくばタイソンは人気再燃のブームに乗り、どんなかたちにせよリングに上がり、それなりの報酬を手にする腹積もりでいたのではないだろうか。それがモチベーションを刺激したと思えなくもない。噂では昨年ユーチューバー対決で話題となったKS1やローガン・ポールといった限りなく素人に近い対戦相手を選択するオプションさえあったという。かつての勇姿を思い起こすと信じたくないが、どんな相手でも自分の領域に入れて試合を成立させてしまうメイウェザーを見ていると、タイソンもそんな気が起きても不思議ではない気もする。

 逆にショー的な試合が具体化しなかったことはタイソン信望者や真のボクシングファンにとっては幸いだったかもしれない。ボクシングの威厳が保たれたと。ダジャレではないが、「ショー(笑)劇が見られなくてよかった」と語る日本人の友人がいる。いずれにせよ少し冷静な目で見ると、それぞれのオファーは幻想であったような印象がしてならない。

元同僚アトラスの苦言

 タイソンの復帰を望んだ人々は全盛期の人を夢中にさせたノスタルジーに浸っていた。そしてタイソンを生で見たことがない若いファン層は完膚なきまでに対戦相手を粉砕した強さに憧れを抱いた。同じくノックアウトを量産して王者に君臨したワイルダーがフューリーに屈したことで元祖KOキングの再登場を期待したファンもいた。

 話が横道に逸れるが、なぜあれほどまでに現役時代のタイソンにスポットライトが当たったのかを旧知の先輩記者に聞いてみた。「タイソンは伝説のトレーナー、カス・ダマト仕込みのしっかりしたボクシングを体得し、質の面でもワイルダーを上回っていたと思います。そしてタイソンはニューヨーク出身で、ニューヨークのあらゆるメディアが注目し取材したがっていたことも大きかった。しかもニューヨークのメディアはフロイド・パターソン(元世界ヘビー級王者)、ホセ・トーレス(同ライトヘビー級王者)を育てたダマトの実績を知っているがゆえに、その延長としてのタイソンのニュース価値を判断していたのです」という答えが返ってきた。

 時空を超えてもタイソンのニュースバリューは高かった。だが、そのフィーバーは一瞬の輝きに終わってしまった。最後に戦ったケビン・マクブライド戦からちょうど15年。53歳がリングに登場しグローブを交わす危険はあまりにも大きい。もしスパーリングまがいの試合なら真剣味に乏しく、少数のファンは感激してもおおかたのファンはシラケてしまうだろう。

 カス・ダマトの兄弟弟子で、殿堂入りしたトレーナーで名物テレビ解説者のテディ・アトラスは元同僚タイソンの復帰に関して「それは悲しいこと。ひどすぎる」と苦言を呈した。アトラスは続けてこうも言った。

 「偉大なハンク・アーロンは80何歳になっても(実際は86歳)映像で見る限りバッティングゲージから素晴らしいラインドライブを放っている。今でもカムバックしてメジャーリーグでジャスティン・バーランダーと対戦できそうに見える。タイソンのケースもそれと同じなんだよ」

 野球とボクシング、フリーバッティングとミット打ちと違いがあるものの、納得できる話に思える。早い話が現役トップとの対決は絶対無理だということだ。

終着点はプロレス

 それでもタイソンはリングに登場した。ボクシングではなく、プロレスのAEW(オール・エリート・レスリング)のPPVカード。5月23日のことだった。同団体のTNT王座決定トーナメントに立会人として割り込み、コーディ・ローデスの勝利をアシスト。27日の同大会でもかつてWWE(ワールド・レスリング・エンターテイメント)で因縁が生じたクリス・ジェリコと乱闘を演じ話題を提供した。タイソンには今後もAEWに登場するプランが浮上している。今度は“本式の”プロレスを披露するという。カムバック騒ぎの行き着いた先がプロレスだったと理解される。

 コロナ危機がひとまず収束に向かいつつ、トップランク社の再開をきっかけに世界各地でイベントのリスタートが始まっている。話題はフューリー、アンソニー・ジョシュア、ワイルダーにクルーザー級から転向したオレクサンドル・ウシクらが絡む“黄金時代”に入ったヘビー級。テレンス・クロフォード、エロール・スペンスJr、マニー・パッキアオが王者に君臨する最強クラス、ウェルター級の動向。軽量級もモンスター、井上尚弥(大橋)を中心にしたコロナ明け後の展開に焦点が絞られる。そしてワシル・ロマチェンコを頂点にしたスター候補のテオフィモ・ロペス、ライアン・ガルシア、ジャーボンタ・デイビス、デビン・ヘイニーが火花を散らしそうなライト級へ関心は移っている。

 本格的な夏場を前にタイソンと夢を見ようとしたファンの願いは幻想と化してしまった。おそらくこれが最後のカムバックの機会であったであろう。だがマイク・タイソンの残像は永遠に我々のそばから離れない。

6月第2週からラスベガスでイベントが再開。これは16日のマイク・プラニアvsジョシュア・グリアのスーパーバンタム級戦(写真:Mikey Williams/Top Rank)
6月第2週からラスベガスでイベントが再開。これは16日のマイク・プラニアvsジョシュア・グリアのスーパーバンタム級戦(写真:Mikey Williams/Top Rank)
ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

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