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安倍政権が臨時国会を開かないのは憲法違反である

南野森九州大学法学部教授

「平成の安保国会」とも呼ばれた第189回国会(通常国会)は、2015年9月27日、その245日の会期を閉じた。安倍晋三首相はその後、内閣改造を行い、10月7日、第三次安倍改造内閣が発足した。本来であれば、続いて「秋の臨時国会」が開かれ、新内閣発足をうけての首相による所信表明演説が行われ、与野党による質疑応答が本会議や各委員会で順次行われるべきところである。

ところが安倍政権は、この臨時国会を開催しない方針であるとされる。首相の外交日程等が表向きの理由であるが、実際には、改造内閣の新閣僚に関するスキャンダルや日歯連の政治献金問題、あるいはTPP、成立はしたもののいまだに世論の反対が続く安保法制、さらには2017年からの消費増税に向けて低所得者への対応をどうするのか(軽減税率を導入するのか)等の各種重要論点について、野党からの追及を避けたいのが本音であるとも言われる。

10月21日、民主、維新、共産、社民、生活の野党5党と無所属の衆議院議員125名、参議院議員84名が、それぞれ連名で臨時国会の召集を要求する文書を衆議院議長、参議院議長を通じて内閣総理大臣に提出した。ところが、菅義偉内閣官房長官は、「過去には開かれなかった例もある」などとして要求を無視する構えをみせている。

しかし、これは明確な憲法違反なのである。憲法を尊重する義務を負う(憲法99条)政権が憲法を無視することがあってはならないことは言うまでもない。いったいこれはどういう事態で、どう考えるべきなのか。本稿では、臨時国会の召集に関する憲法規定や過去の例などを簡単に解説しながら、この点を考察してみたい。

国会の会期は3種類

そもそも、日本の国会は会期制をとっており、会期中に限り活動するのが原則である。そして、憲法の定める会期には、つぎの三種類がある。

* 通常国会:毎年1回召集される(憲法52条)。通常は1月中に召集(国会法2条)、会期は150日(同法10条)。

* 特別国会:衆議院解散の後に行われる総選挙から30日以内に召集される(憲法54条)。会期は両院一致の議決で決定(国会法11条)。

* 臨時国会:以上のほかに、必要に応じて内閣が臨時に召集を決定する(憲法53条)。会期は両院一致の議決で決定(国会法11条)。

なお、憲法や国会法上の用語では、それぞれ「常会」「特別会」「臨時会」であるが、ここでは一般的な慣用に従い、「通常国会」「特別国会」「臨時国会」とする。

ちなみに、「第○○回国会」という言い方は、日本国憲法の施行(昭和22年5月3日)以降に開かれた国会を会期ごとに通し番号を付けて呼ぶもので、たとえば第1回国会は、昭和22年5月20日に召集された特別国会であった(同年3月31日にいわゆる「新憲法解散」、そして4月25日に第23回総選挙が実施された)。第2回国会は、昭和22年12月10日に召集された通常国会である(1991年の国会法改正以前は、通常国会は12月中に召集されるのが常例であった)。なお、国会の会期一覧はこちら(衆議院のHP)。

憲法53条後段の規定(「53条要求」)

ところで、臨時国会について定める憲法53条は、つぎのように言う。

第53条 内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

会期制かつ通常国会という制度を憲法が定める以上、実は臨時国会という制度をも定めることは当然といえば当然である。解散がなければ要するに通常国会しか開かれないというのでは、翌年の通常国会までのあいだに必要が生じた場合、困るからである。内閣(≒与党)は通常国会が閉じたあとにも国会による立法を必要とする場合があるだろうし、国会側(≒野党)も自ら必要と考えるときに国会が開かれないまま翌年の通常国会を待たねばならないというのでは困る場合があるだろう。そういうわけで、憲法53条は、憲法52条がある以上、当然の定めであると考えることができる。53条の第1文(「前段」と呼ぶ)は、内閣(≒与党)が任意に(つまり好きなときに)臨時国会を開くことができることを意味し、それに対して第2文(後段)は、過半数でも3分の1でもなく「4分の1」、要するに少数派・野党の要求で臨時国会が開催されなければならないことを定めているのである。

そして現在問題になっているのは、まさにこの、「国会側(≒野党)が自ら必要と考えるときに国会が開かれないまま翌年の通常国会を待たねばならない」という状況に「国権の最高機関」(憲法41条)である国会がおかれようとしている、ということなのである。10月21日、衆議院議員125人、参議院議員84人が、それぞれ連名で、憲法53条後段の「要求」(=「53条要求」と呼ぼう)を行ったが、同条の「総議員」というのは法定数のこととされているから、衆議院は475人、参議院は242人であり、その4分の1はそれぞれ119人、61人となり、したがって憲法53条後段の要件は充たされている。そして憲法53条後段の要件が充たされた場合に発生する法的効果は、「内閣は、その召集を決定しなければならない」、ということである。これは、内閣が負う法的義務である。

つまり、安倍内閣は、臨時国会の召集を決定しなければならない。それを決定しないのは、端的に、憲法53条(後段)に違反するのである。

過去の「53条要求」の例

ところが、菅官房長官は、10月20日の記者会見で、「かつて、要求があっても(臨時国会を)開かなかった事例もある」などと述べたという(朝日新聞を参照)。はたしてそのような事例は本当にあるのだろうか。そもそも、仮にそのような事例が例外的に存在したとしても、それは憲法違反の前例なのであって、それを踏襲することが許されるということにはならない。違憲の前例を踏襲してはならないこともまた、言うまでもない。

そこで過去の例を調べてみると、今回のように、衆議院議員と参議院議員の双方が召集決定を要求したのは、これまでに26回ある(今回が27回目である)。さらに、衆議院議員のみが要求したのが7回(ただし第23回国会に関しては要求が2通提出されているので8回と数えるべきかもしれない)、参議院議員のみが要求したのが2回ある。そして、要求から召集までにかかった日数をみると、戦後初期から昭和40年代までは2〜3ヶ月を超える例が多くあるし(初の53条要求を受けた昭和23年の芦田内閣による第3回国会は要求の74日後、2回目の53条要求を受けた昭和24年の第二次吉田内閣による第6回国会は要求の108日後に、それぞれ召集されている)、また、最長の例として、「公害国会」とも呼ばれた昭和45年の第64回国会(第三次佐藤内閣)のように、要求から召集まで半年近くかかった例もある。

これらの例は、いずれも、憲法の要求すると考えられる合理的・常識的な期間を明らかに超えて召集が決定されたもので、違憲の疑いが濃厚と言わざるを得ないが、それでも、憲法53条に○○日以内に召集を決定しなければならないとは書かれていない以上、最終的には臨時国会が召集されたのであるから憲法には違反しないと「強弁」することも不可能ではない事例であった。そして今回の事態を考えるうえで重要な点は、これらのいずれの場合も、10月〜12月上旬には(秋の)臨時国会が召集されていた、ということである。53条要求の提出日により、臨時国会の召集までの日数にはたしかに長短があるものの、前年の12月に召集された通常国会が終了した後、次の通常国会が召集されるまでのあいだに、少なくとも秋に臨時国会が一度は召集されてきたわけである。

菅官房長官が述べた「要求があっても(臨時国会を)開かなかった事例」は、おそらく以上の例のことではなく、比較的最近の、小泉政権下での2例のことであろうと思われる。1度目は第二次小泉内閣の2003年、2度目は第三次小泉内閣の2005年の例である。いずれも、今回のように、衆議院議員と参議院議員が同日に揃って要求した。

「53条要求」にもかかわらず臨時国会が開催されなかった例?

2003年の例は、自衛隊のイラク派遣問題などが主要争点となり11月27日に53条要求が提出されたが、小泉内閣は臨時国会を開くことなしに新年を迎え、2004年1月19日に通常国会(第159回国会)が召集された。53条要求の提出から53日後のことであった。そして2005年の例は、普天間移設問題などが主要争点であり、11月1日に53条要求が提出されたが、第三次小泉内閣はこれに応えず、やはりそのまま新年を迎え、2006年1月20日に通常国会(第164回国会)が召集された。要求提出から80日後であった。ただし、いずれの場合も「閉会中審査」は行われている。

これらの2例では、たしかに、菅官房長官の言うように、要求があったにもかかわらず「臨時国会」は開かれていない。しかし、注意しなければならないのは、いずれの場合も、11月に53条要求が提出され、1月に通常国会が召集されているということである。そして、臨時国会と通常国会とでは、召集の原因が異なるだけでその権能には全く違いがないから、召集を要求する野党議員にとっては、合理的な期間内に臨時国会であれ通常国会であれ(あるいは特別国会であれ)、とにかく国会が召集されればそれで問題はない。したがって、小泉内閣のこの2例は、53条の定める「臨時国会」が召集されなかったという限りにおいては53条の文言に形式的に違反する実例と言えなくもないが、実質的には、53条の趣旨に違反するとまでは言えないものなのである(ただし、2005年の例は、通常国会召集までに80日もかかっており、これはやはり合理的・常識的期間を超えたと言うべきかもしれない)。

今回は何が問題なのか

今回、臨時国会が開催されないとすると、形式的にも実質的にも憲法53条に違反する事態が生じてしまうということに加えて、実はもう一つ、戦後初となる問題点が指摘できる。それは、今年開会された国会が第189回国会(通常国会)のみになってしまうということである。戦後の憲政史において、一年間に一会期しか国会が開かれなかったことはいまだかつて一度もない。常に、通常国会と臨時国会、あるいは通常国会と特別国会、あるいはまた通常国会+特別国会+臨時国会、というように、2つ以上の会期が召集されてきたのである。 

第一次・第二次小泉内閣の2003年の例で言うと、この年には衆議院解散があったため、通常国会(第156回国会)、臨時国会(第157回国会;憲法53条前段の内閣の任意的召集決定によるもの)、特別国会(第158回国会)、と3会期も国会が開かれていた。第三次小泉内閣の2005年にも衆議院解散(いわゆる郵政解散)があり、通常国会(第162回国会)、特別国会(第163回国会)、と2会期が開かれている。

安倍政権は、10月21日の53条要求にもかかわらずこのまま来年1月の通常国会召集まで何もしなくとも、しかし小泉内閣の2例と同様との評価(すなわち通常国会召集が実質的に臨時国会召集と同視できるので違憲のそしりを受けずに済むとの評価)を得られるものと考えているのかもしれない。しかし、11月になってからの53条要求を1月までたなざらしにしたことと、10月に出された53条要求を1月まで放っておくこととはやはり違うというべきであるし、より実質的な観点からは、小泉内閣時代に複数の会期が開催されていたことと今回の事態(このままでは2015年は通常国会しか開催されないことになってしまう)との差は、会期制をとる憲法のもとでは重大な差異である。さらに、小泉内閣時代のスケジュールを見ると、実は2例とも国会閉会と同時に53条要求が出されていることが注目されなければならない。つまり、2003年の第158回国会は11月27日まで、2005年の第163回国会は11月1日まで、それぞれ国会が開かれていたのである。10月にも、11月にも、そして12月にも国会を開かぬまま、1月の通常国会召集を待つということになりかねない今回の事態とは、まったく状況が異なるわけである。

冒頭に記したように、「安保国会」終了後のいま、議論しなければならない論点はたくさんある。そもそも、安保法制そのものについてもいまだ国民の理解が不十分であるということは政権ですら認めているし、「今後とも国民の理解を得るべき努力を重ねたい」と言ったのはほかならぬ安倍首相その人である。そして、安保国会では安保法制以外の論点が十分に審議されたとはとても言えない状況にあることも明らかである。これから年末までの2ヶ月余り、臨時国会を開かないという選択肢は、とても政治的に正当化できないだろう。そして、憲法的に正当化できないことは、上述の通りである。繰り返すが、違憲の疑いのある前例がいくつかあることはその通りだとしても、それを踏襲してはならないのである。憲法53条は、「内閣は、その(=臨時国会の)召集を決定しなければならない」と、きわめて明確に命じている。

九州大学法学部教授

京都市生まれ。洛星中・高等学校、東京大学法学部を卒業後、同大学大学院、パリ第十大学大学院で憲法学を専攻。2002年より九州大学法学部准教授、2014年より教授。主な著作に、『憲法学の現代的論点』(共著、有斐閣、初版2006年・第2版2009年)、『ブリッジブック法学入門』(編著、信山社、初版2009年・第3版2022年)、『法学の世界』(編著、日本評論社、初版2013年・新版2019年)、『憲法学の世界』(編著、日本評論社、2013年)、『リアリズムの法解釈理論――ミシェル・トロペール論文撰』(編訳、勁草書房、2013年)、『憲法主義』(共著、PHP研究所、初版2014年・文庫版2015年)。

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