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生前退位に憲法改正は必要ない

南野森九州大学法学部教授

日本テレビは昨日(2016年8月22日)、内閣法制局などが、天皇の生前退位を制度化するためには憲法改正が必要であると指摘していると報道した。同社のニュースサイトに掲載されたニュース原稿の全文はつぎの通りである。

天皇陛下の生前退位をめぐり、内閣法制局などが、将来にわたって生前退位を可能にするためには、「憲法改正が必要」と指摘していることが新たに分かった。

天皇陛下のお言葉について安倍首相は「重く受け止める」と表明したが、政府は憲法との整合性をいかに保つか、難題に直面している。政府関係者によると、憲法と法律との整合性をチェックする内閣法制局などは、生前退位を将来にわたって可能にするためには「憲法改正が必要」と指摘しているという。

これは憲法第1条で天皇の地位は日本国民の総意に基づくと定めていて、天皇の意思で退位することはこれに抵触するという理由。

一方、生前退位を今の天皇陛下にだけに限定するのであれば、特例法の制定で対応が可能だと説明しているという。政府は来月にも有識者会議を設置し、特例法の立法を軸に議論を進める考え。

菅官房長官「有識者会議の設置も含めて、どのように対応していくかということを、現在考えているところであります」

一方、特例法を定める場合でも退位された後の天皇の地位など、一から制度を作り上げる必要があり、政府高官は「調整はなかなか難しい」との見通しを示している。

天皇生前退位 制度化は「憲法改正が必要」(日テレNews24)

ちなみに、生前退位を可能とするために改憲が必要であるとする説(「改憲必要説」と呼ぼう)をメディアが採用するのはこれが初めてではない。8月6日・7日に実施された、産経新聞とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査においても、

現在の皇室制度では、天皇が生前に退位し、天皇の位を皇太子に譲る「生前退位」の規定がありません。生前退位について、あなたは、政府がどのように対応すべきだと思いますか。次の中から、あなたのお考えに近いものを1つ選び、お知らせください。

という質問(第13問)のつぎに、第14問として、

今後、天皇の「生前退位」が可能となるように、憲法を改正してもよいと思いますか、思いませんか。

という質問があった(→政治に関するFNN世論調査)。日本テレビの報道にせよ、産経=フジTVの世論調査にせよ、共通するのは、生前退位を(制度的に)可能とするためには、皇室典範の改正では足りず、憲法改正が必要になるという考えである。

しかし、このような考え(改憲必要説)は、憲法学界の通説的見解とも、日本政府がこれまで示してきた見解(政府見解)とも異なる。学説も、政府見解も、いずれも、生前退位の制度化のためには憲法改正は不要であるとしてきたのである。つまり、「改憲不要説」が通説である。

生前退位をめぐる憲法と皇室典範の関係

日本国憲法第2条は、皇位継承についてつぎのように定める。

皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

ちなみに、大日本帝国憲法第2条では、つぎのように定められていた。

皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス

両憲法の規定を比較すれば明らかであるが、旧憲法では皇位継承資格者を「皇男子孫」に限定し、いわゆる女帝を憲法上否定していたのに対し、現憲法ではそのような限定がない。代わりに、皇位継承についての憲法上の条件として定められているのは、「世襲」であることのみである。つまり皇位を継承するためには(嫡系の)子孫でありさえすればよく、それ以外の条件(子孫のうち女子は継承できるのか、継承順位をどうするか、そしてどのような場合に皇位継承が生じるのか、等々)については、現憲法では、「国会の議決した皇室典範」の定めにすべて委ねられているわけである。

そしてこれをうけて皇室典範の第4条が、皇位継承が生じる原因を、つぎのように定めている。

天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。

皇室典範はこれ以外の皇位継承原因を定めておらず、したがって、皇位継承の原因は天皇の死去のみであり、いわゆる生前退位は認められないということになるのである。

以上の説明から明らかなように、生前退位を制度化するためには、皇室典範を改正すればよく、日本国憲法を改正する必要はない。なお、「皇室典範」とは変わった名称であるが、これは旧憲法時代の旧皇室典範の名前を受け継いだだけで、その実質は、旧憲法時代のものとは異なり、日本国憲法第2条がわざわざ「国会の議決した」と述べるように、たんなる法律である。したがって、通常の法律と同じ手続で、通常の法律と同じように改正することができる。

ここまで述べてきたことは、憲法学界の標準的な考え方(通説的見解)であるが、これは、日本政府がこれまでに表明してきた見解(政府見解)でもあった。

生前退位をめぐる政府見解

生前退位を認めるために憲法改正は不要であるという「改憲不要説」は、国会でくりかえし、政府によって表明されてきた。

たとえば、1971(昭和46)年3月10日の衆議院内閣委員会の議事録を紹介しよう。ときは第3次佐藤栄作内閣である。民社党の当選10回の大ベテラン、受田新吉議員の質問に対する、後に最高裁判事をも務めることになる、高辻正巳内閣法制局長官の答弁がそれである。

受田議員:「(前略)要するに皇室典範は、天皇が崩じたるときは、皇嗣があとをつがれるとなっていて、天皇は一生涯その任にあられるわけです。そうなっておる。したがって退位論ということになると、これは皇室典範の規定の『天皇が崩じた』ところを改めるということで、一応法律論として済むのではないかと私は思うのですけれども、憲法の規定は世襲のところを別に改める必要はない。憲法問題ではなくして、憲法の委任を受けた皇室典範の改正ということで済めば国会でいつでもこれが扱われるという立場であると思うのです。そのことはあなたとしてまた、別途法律論としては異論があれば異論を言っていただきたい(後略)。」

高辻長官:「(前略)天皇の御退位についての法律上の問題点の御指摘がございましたが、これは簡単に申せば仰せのとおりだと思います。憲法の第2条の、皇位は『国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。』という規定を受けまして皇室典範があって、これも御指摘のとおり第4条『天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。』ということで、退位の御自由がないというのが現行の憲法及び法律のたてまえであります。したがって、概していえば仰せのとおりということがいえると思います。」

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この約1年後にも、同様の「改憲不要説」が、こんどは宮内庁から示されている。1972(昭和47)年4月26日の参議院予算委員会第一分科会。前年の参院選で初当選したばかりの元アナウンサー、木島則夫議員(民社党)と瓜生順良宮内庁次長の質疑応答である。

木島議員:「陛下御自身の問題としてではなくて、制度の問題として、現行の皇室典範を立案する際も、実は天皇の退位制度の功罪についていろいろ検討があったようでございますけれども、まだその結論は得ておりません。(中略)この退位制度は、これは憲法には抵触をしないで皇室典範を改正すれば可能であると宮内庁では解釈されているかどうか、(中略)お伺いをしたいと思います。」

瓜生次長:「(前略)何か皇室典範を改正すればそういう御退位も可能かということでございますが、純粋の法律論から言えばそうだと思います、 憲法には規定がないわけでありまするから。しかし、そういうようなことをいろいろ論議することも、いまお元気な陛下のお立場を考えますと、あまり愉快なことではないように私も思います。(後略)」

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もう一つ、同様の「改憲不要説」を紹介しておこう。1978(昭和53)年3月16日の参議院予算委員会。やはり元アナウンサーで、田英男らと院内会派「社会クラブ」を結成し、のちに江田五月らの社民連に合流する秦豊(はた・ゆたか)議員の質問と、真田秀夫内閣法制局長官の答弁がそれである。ときは福田赳夫内閣である。

秦議員:「お元気な天皇で大変結構だと思いますが、お元気であればあるほどいまのうちに――退位や譲位がないんですね、皇室典範を変えなきゃならぬわけですね、法的には。」

真田長官:「その点もおっしゃるとおりでございます。もちろん、学説の中には、退位は憲法上できないんだという説もないこともないのですけれども、通説としては、憲法上その退位ができるかできないかは、法律である皇室典範の規定に譲っているというふうに言われておりますから、おっしゃるとおり皇室典範の改正が必要だということに相なります。」

秦議員:「皇室典範を改めるというのは、何か法的な妨げがございますか。」

真田長官:「同じく皇室典範と申しましても、明治憲法下の皇室典範は一種特別な法形式でありましたが、現在の皇室典範は通例の法律と同じように国会の議決によってつくられたものであり、国会の議決によって改正することができます。(後略)」

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以上から明らかなように、日本政府の見解は、憲法学界の通説と同様、生前退位の制度化のためには憲法改正は必要なく、皇室典範の改正で足りるとする、「改憲不要説」なのである。

なのになぜ、今回、日本テレビは、「政府関係者によると」、「内閣法制局など」が改憲必要説を指摘していると突然報道したのだろうか。不正確・不十分な報道(誤報?)なのか、それとも何か政治的意図があるのか、あるいはほんとうに内閣法制局が、過去の政府答弁にも憲法学界の通説にも反してそのような主張をしているのか(だとしたらそれは何故なのか)、現在の私には知る由もない。この点については、生前退位という論点そのものをめぐる議論とともに、今後の報道や(9月から始まるはずの臨時)国会での議論に注目したいと思う。

なお、生前退位と憲法をめぐる論点、とくに生前退位をどう制度化するべきかについては、言うまでもなくさまざまな議論がありうるし、私も必要に応じて今後論じていきたいとは思う。本稿は、それらの議論に立ち入るものではもちろんなく、ただ改憲必要説が内閣法制局などから主張されているという報道に接して、それはこれまでの政府見解とも学説とも異なるものである、ということを指摘するに留まるものである。

九州大学法学部教授

京都市生まれ。洛星中・高等学校、東京大学法学部を卒業後、同大学大学院、パリ第十大学大学院で憲法学を専攻。2002年より九州大学法学部准教授、2014年より教授。主な著作に、『憲法学の現代的論点』(共著、有斐閣、初版2006年・第2版2009年)、『ブリッジブック法学入門』(編著、信山社、初版2009年・第3版2022年)、『法学の世界』(編著、日本評論社、初版2013年・新版2019年)、『憲法学の世界』(編著、日本評論社、2013年)、『リアリズムの法解釈理論――ミシェル・トロペール論文撰』(編訳、勁草書房、2013年)、『憲法主義』(共著、PHP研究所、初版2014年・文庫版2015年)。

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