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なでしこリーグに現れた驚異の新星、FW宮澤ひなた。その特別な才能はどのようにして育まれたか?

松原渓スポーツジャーナリスト
1年目でコンスタントに活躍している宮澤ひなた(2018なでしこリーグ開幕戦)(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

【リーグに新たな風を吹き込んだ18歳】

 スタジアムに足を運んで観に行きたくなるーーそんな選手がまた一人、なでしこリーグに彗星のごとく現れた。

 足に吸い付くようなボールタッチと状況判断の良さで、複数の選択肢からとっておきの一つを選び出す。それゆえ、対峙するディフェンダーは間合いを寄せきれない。

 そこから、スピードの緩急で対峙するディフェンダーを1人、2人とかわし、フリーになった味方のシュートをお膳立てする。パスが読まれている気配を察知すると、とっさに判断を変え、小さなモーションから強烈なミドルシュートを放つ。

 今シーズン、リーグ4連覇を目指すなでしこリーグの強豪・日テレ・ベレーザ(ベレーザ)に新加入した18歳、FW宮澤ひなたが鮮烈なデビューを飾った。

 宮澤は開幕戦で、途中出場で1ゴール1アシストを記録。第3節のアルビレックス新潟レディース戦で2得点を挙げてチームに逆転勝利をもたらすと、第4節からは先発に定着。開幕から9試合で4ゴール4アシスト(得点ランク4位)という、圧巻の活躍ぶりだ。

1月にはなでしこジャパンの候補合宿に初招集された(代表国内合宿/1月16日 写真:長田洋平/アフロスポーツ)
1月にはなでしこジャパンの候補合宿に初招集された(代表国内合宿/1月16日 写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 年代別代表でコンスタントに活躍し、今年1月には唯一の現役高校生としてなでしこジャパンの候補合宿に呼ばれるなど、宮澤は高校時代から注目を集める存在だった。卒業後は複数の選択肢があった中で、宮澤がベレーザ入りを選んだのは、

「トップレベルでどれだけ力を発揮できるかチャレンジしたかった」(宮澤/新入団会見)

 という、本人の強い希望によるもの。代表選手が多くを占めるベレーザは、個の質も高いが、下部組織生え抜きの選手が多くを占めていることからも分かるように、完成された連係も強みとしている。

 だからこそ、外から入ってきた選手にとっては難しさもあるだろう。

 加えて、高卒1年目の選手の多くは、なでしこリーグのパワーやスピードへの対応や、チーム戦術への適応に苦労することが少なくない。だが、宮澤は、それらの壁をあっさりと越えてしまった。

 今シーズンからベレーザを指揮する永田雅人監督が採用したシステムは4-1-4-1。その中で、宮澤は右サイドハーフで起用されることが多く、ドリブル突破と、相手の背後に抜け出すプレーで多くのチャンスを演出している。特に、周囲との違いを生み出しているのがスピードだ。宮澤の50m走のタイムは「6秒8」。だが、実際に相手と対峙した中で宮澤の「速さ」を決定づけているのは、“予測”の速さと、一瞬で相手を置き去りにするスピードの緩急だ。

「縦にチャレンジしないと相手のスピードが分からないので、まずは(試合の早い段階で)ボールを持った時に仕掛けてみたり、一回、(味方に)裏のスペースに出してもらって、相手の速さを見ています。その上で、オーバーラップのタイミングを考えながら中に入っていくこともありますが、私は右利きなので、左でクロスを上げる精度よりも、(縦の)空いたスペースに走って右でクロスを上げて、中で人数をかけられるようにすることを優先しています」(宮澤/第8節仙台戦後)

開幕戦で1ゴール1アシストを決めた(2018なでしこリーグ開幕戦  写真:西村尚己/アフロスポーツ)
開幕戦で1ゴール1アシストを決めた(2018なでしこリーグ開幕戦 写真:西村尚己/アフロスポーツ)

 求められる役割を理解した上で、宮澤は新たな舞台での駆け引きを楽しんでいた。その非凡なサッカーセンスを育んだのは、どんな環境だったのかーー。宮澤は、高校時代の「転機」について話してくれた。

「最初はボランチだったんですが、高校に入る時にFWにコンバートされたことで自分のプレーの幅を広げてもらった、という感覚です」(宮澤)

 ボランチで培った視野の広さと判断力が、その後のプレースタイルにも大きく影響しているのだろう。その“原点”を知りたくなり、高校時代の恩師を訪ねた。

【星槎国際高校で育まれたもの】

 宮澤は、中学から高校まで、地元の神奈川県でサッカーを続けてきた。

 中学時代はOSAレイアU-15(レイアU-15)に所属し、卒業後は、同じ星槎グループの星槎国際高校(星槎)に進学。大磯駅から車で20分ほどの豊かな自然に囲まれた湘南大磯キャンパスには7つのスポーツ専攻科があり、宮澤は「女子サッカー専攻」に通っていた。

 海外サッカーの分析やスポーツ産業を授業の一環として学ぶことができ、食事は専属の栄養士が監修したメニューが提供されるなど、「食育」も徹底している。授業の後、15時半からは、ナイター照明が完備された人工芝のグラウンドで約3時間の練習。なんとも恵まれた環境である。

 宮澤は昨年まで、このチームの大黒柱だった。3年時にはキャプテンを任され、夏の全国高校総合体育大会(インターハイ)で、創部4年目のチームを3位に導いている。その中で宮澤の成長を見守ってきたのが、レイアU-15と高校、そしてトップチーム(OSAレイアFC/神奈川県リーグ1部に所属)を指揮する柄澤俊介監督だ。宮澤をFWにコンバートした恩師でもある。

 柄澤監督は宮澤について「彼女はエリートコースを歩んできた選手ではないです」と言った。

 中学2年の時には、ナショナルトレセン(関東)の選考で落選したこともあるという。中学の頃は高校生に混ざってプレーし、高校の頃はトップチームで大学生に混ざって県リーグの試合に出場するなど、早い時期から傑出した才能を見せていた宮澤だが、それは、努力の賜物だった。

 柄澤監督が、宮澤をボランチからFWにコンバートしたのは、何がきっかけだったのだろうか。

「彼女はいずれFWでやれると思っていたので、中学年代は我慢させて、ボランチでプレーさせました。私はもともと男子を指導していたので、スピードは後から付いてくることは分かっていましたが、器用さは後からついてこないからです。それで、高校に入った時にコンバートしました」(柄澤監督)

 コンバートした最初のポジションは、左のFWだったという。

「右利きの選手は左サイドからだと中に入りやすいし、彼女は中に入れば絶対にボールを失わないので、まずはそこで様子を見ようと。ある程度できるようになったところで、右にコンバートしました。右だと自由がきかないので、左足を練習すると思ったからです。彼女には、自由度が高いサイドのポジションで、日本に必要な、点が取れる選手になってほしいと思っていました」(柄澤監督)

 今シーズン、ベレーザの永田監督は試合中に左右のサイドを入れ替えることがあるが、宮澤は左右とも遜色ないプレーを見せている。その原点が、高校時代にあった。

 ちなみに、星槎はジュニアユースからトップチームまで一貫したサッカースタイルを持っており、柄澤監督が選手たちに伝えるメッセージもはっきりしている。

「選手たちに、筋トレはさせていません。コンタクトの強さを決めるのはスピードと体重ですから、小柄な選手が背の高い選手に勝つためには、相当な筋肉量がないといけない。コンタクトが弱ければ、かわす技術があればいいし、コンタクトするようなサッカーをしなければいいと考えています。だから、試合の中では『相手を背負わない』ことを大切にしています」(柄澤監督)

神奈川屈指の強豪校となった星槎国際高校(写真:Kei Matsubara)
神奈川屈指の強豪校となった星槎国際高校(写真:Kei Matsubara)

 練習も特徴的だった。コンタクトプレーを想定した練習はほとんどなく、4対4や2対2など、狭いスペースの中で行われる練習に多くの時間が割かれた。パススピード、ポジショニング、体の向き、縦パスを入れるタイミング。細かいところまで柄澤監督のチェックが入り、同じミスを繰り返すと、すかさず活が入る。毎日、その練習をしているからだろう。選手たちは常に首を振って状況を確認し、プレッシャーの中でもボールタッチの質が総じて高かった。その練習は、宮澤のポジショニングとファーストタッチの原点なのだろう。

 足に吸いつくようなドリブルも、やはり、星槎のトレーニングで鍛えられたものなのだろうかーー。柄澤監督は、それについては否定した。

「僕が彼女に教えたのは、とっかかりのところだけです。どの角度で仕掛ければ、体の向きがどうなる、といったことを早い段階でやったので、それを生かすために自分で努力して、イメージを発展させていったんだと思います」(柄澤監督)

【大勢の人に愛される選手に】

 宮澤は入団会見時に、2020年への目標を聞かれ、「たくさんの人に応援されて、愛される選手になること」と話している。その言葉に、宮澤のサッカー観を形作る何かがあるような気がして、後日、改めて、その言葉の真意を聞いてみた。

「プレーで頑張るのはもちろんですが、サッカー選手として、観客を増やしたり、見に来てくれる人を楽しませたいと思っています。私がサッカーをすることで、いろんな人を笑顔にしたい。それが、なでしこジャパンを目指すことにも繋がっています。サッカーは自分の夢でもあるけど、携わってくれた人に感謝の気持ちを表現できるのは、私にとってサッカーしかないんです。たとえば、地元で私のニュースを見たおばあちゃんが『元気をもらったよ』と言ってくれたら、もっと頑張ろうと思えるんです」(宮澤)

 宮澤の言葉は、澱(よど)みなかった。

 神奈川県は、多くのなでしこリーガーや代表選手を生み出してきた土地だ。その中で、宮澤は、星槎からなでしこリーグ1部に進んだ初めての選手である。強豪クラブのユースやJFAアカデミーなど、エリートとされるコースを歩んで来たわけではなく、身近なスターとプレーを共にしたわけでもない。だが、地元一筋で心・技・体を磨き、高校では誰もが認めるリーダーになった。その言葉には、自分で道を切り拓いてきた選手が持つ説得力があり、背中で見せることもできる。それこそが、宮澤の強みだろう。

 宮澤にとって直近の目標は、8月にフランスで行われるU-20女子W杯のメンバーに選ばれ、優勝することだ。この年代では、ベレーザのチームメートでもあるFW植木理子とともに、攻撃面でチームをけん引してきた。

「17歳以下のW杯(2016年)は2位で、悔しい思いをしました。20歳以下のチームには2つ上の先輩たちもいますが、その中でも中心でチームを動かせるぐらいの軸になっていきたいです。どんな試合でも、点に絡める選手になっていきたいと思っています」(宮澤)

 同大会で結果を残し、ベレーザでシーズンを通して定位置をつかむことができれば、なでしこジャパンへの道は自ずと開けてくる。来年の女子W杯、そして、東京五輪の舞台へーー宮澤の新たな挑戦は始まっている。

スポーツジャーナリスト

女子サッカーの最前線で取材し、国内のなでしこリーグはもちろん、なでしこジャパンが出場するワールドカップやオリンピック、海外遠征などにも精力的に足を運ぶ。自身も小学校からサッカー選手としてプレーした経験を活かして執筆活動を行い、様々な媒体に寄稿している。お仕事のご依頼やお問い合わせはkeichannnel0825@gmail.comまでお願いします。

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