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英国とEU、移行期間協議で合意の裏で北アイルランド問題先送り

増谷栄一The US-Euro Economic File代表

北アイルランド問題、次の貿易協議で最大の難関に

英国のEU離脱第2段階協議の最初となる移行期間交渉で合意後、会見に臨む英国とEUの交渉代表
英国のEU離脱第2段階協議の最初となる移行期間交渉で合意後、会見に臨む英国とEUの交渉代表

3月19日、英国のデービッド・デービスEU離脱担当相はベルギー・ブリュッセルのEU(欧州連合)本部でEUのブレグジット首席交渉官であるミシェル・バルニエ氏と会談し、第2段階協議の最初の交渉である移行期間の設置に関する協議でかろうじて合意した。これで英国が今週末(3月23日)に開かれるEU加盟27カ国の首脳会議で、このEUとの移行期間協議に関する合意(条約案)が了承される見通しとなったが、揉めに揉めた北アイルランド国境問題を一時的に棚上げした苦肉の合意だった。それだけに、この問題は4月から始まる次の貿易交渉で最大の難関となるのは間違いなく、EUが要求しているように今年6月に開かれる次回のEU首脳会議までにこの問題で合意しなければ貿易交渉は平行線が続き、結局、ノーディールに終わる可能性がある。

今回合意した主な内容は(1)移行期間は2020年12月末までの21カ月間とする(2)移行期間が終了する2020年12月末までに英国に入国したEU市民は永住権を主張できる(3)移行期間中はEUルールの「人(労働者)の移動の自由」が保証される(4)移行期間中に導入されたEUの新ルールの決定について英国が賛成できない場合、英国はその決定を適用しないことを選択できる(5)英国は移行期間中に他国との貿易協定に調印できるが、貿易協定の効力の発効は移行期間終了後となる(6)北アイルランド国境問題に関するEUルールの合致による解決方法(いわゆる、バックストップオプション条項)を英国のEU離脱に関する条約案に盛り込む―と、英国がかなりEUに譲歩した内容となっている。

 これまでEUは移行期間協議に関する交渉ガイドラインで、(1)期間中、「人の移動の自由」のEUルールを認めなければEUの関税同盟や単一市場へのアクセスは認めない(2)移行期間は2020年12月末までの21カ月とし英国の24カ月を下回る(3)昨年12月の第1段階協議の合意内容の完全に実施する(4)期間中、英国は他国との貿易交渉はできるが調印はできない(5)期間中、新しいEU法・ルールの決定にあたり意見を述べることはできず、決定を受け入れる―の5点を英国に要求していた。一方、英国は(1)移行期間中、英国はEUにとどまりEU法に従うが、期間中のEUからの移民はそれ以前のEU市民とは別扱いし入国審査を受ける(2)期間中のEUの新法やルールには従わない―と反発していたが、結局、ほぼEUの要求を丸呑みするという現実的な路線を選択せざるを得なかった。

 また、今回の合意ではバックストップオプション条項を条約案に盛り込むことが明記されたとはいえ、北アイルランド国境問題が解決に向かうわけではない。会談後の共同記者会見で、英国のデービスEU離脱担当相は、「誤解しないでほしいが、英国とEUは昨年12月の第1段階協議の合意のすべてにコミットするということであり、そのコミットメントを踏まえて、今回合意した条約案にバックストップオプション条項を盛り込む必要があるという意味にすぎない」と述べている。メイ首相は、バックストップオプション条項は受け入れられないと主張し続けており、あくまでも英国はバックストップオプション条項には反対で、デービスEU離脱担当相も会見で、「それ(バックストップオプション)よりももっと良い解決策を見つける。つまりバックストップオプション条項が発動されることがないようにすることに自信を持っている」と強気の構えだ。

 一方、英放送局ITVは同日、メイ政権の連立与党で、北アイルランドをEUルールに合致させるバックストップオプション条項に強く反対している北アイルランドの民主ユニオニスト党(DUP)の反応について、「バックストップオプションがまだEU離脱条約の草案段階にとどまっているという事実に安堵している」と伝えており、英国とEUは同条項について具体的なことは何も決めておらず両者の隔たりは大きく開いたままだ。

 また、EUはすでにテリーザ・メイ英首相が2月21日に提示した、いわゆる“3つのバスケット案”は、英国の“チェリーピッキング”(いいとこ取り)で、これを認めればEU単一市場の完全性が失われるとして、完全に拒否していることも移行期間終了後の英国とEUの将来の関係に関する協議を難航させる要因となる。3つのバスケット案とは、EUと将来の関係について協議する場合、双方の規制ルールをどう整合させるかについて、(1)既存のEU法・ルールを完全に受け入れる(2)既存のEU法を修正し、EU法・ルールが目指すのと同じ目的を達成する(3)規制分野(セクター)によってはEU法・ルールを完全に拒否するーの3択の中から一つを選ぶという提案だが、メイ首相は3番目のEU法の選択的受け入れ(managed divergence)で閣内統一している。これは、英国は分野によってはEUの新法を含めEU法に従うというものだ。

 メイ首相が今後、早急に解決しなければならない問題は山積している。その一つはEU、特にドイツとフランスがメイ首相のEU関税同盟・単一市場からの離脱を阻止するため、離脱と引き換えに北アイルランドにEU法・ルールを適用しEUの属州にすることを提案していることだ。これについては、EUは2月28日に公表した、今後の英国との将来の関係に関する交渉に臨む120ページにも及ぶ方針の中でも言及しており、南北アイルランドの国境を鉄条網や検問所などを設けて厳重に警備する、いわゆる、ハードボーダーを設置しないことを確実にするため、英国領である北アイルランドに離脱後もEU法・ルールに合致させ、EUの関税同盟の一部とすべきと要求している。こうした要求もEUは何とかしてでも英国を離脱させないという意図の表れといえる。メイ政権を支える北アイルランドのDUPは「これは北アイルランドと英国の間に国境を設けるのと同じだ」として猛反発しており、英国が国内外で解決すべき問題は増える一方だ。

 ただ、メイ首相が2月21日に公表したEUとの第2段階協議に臨む戦略文書で、離脱後の移行期間について期限を設けずオープンにするとし、国内の強硬離脱派から批判を浴びた問題については、結局、今回の合意で移行期間がEU予算の終わる2020年12月末までの21カ月で決着したことで解決した。当初、英下院のEU法案調査委員会(CESC)のウィリアム・キャッシュ委員長は2月23日に英放送局BBCで、「政府が移行期間に期限を定めず事実上無期限とする方針を示したことで、清算金は合意した350億-390億ポンドからさらに40億-50億ポンド増える」と懸念を示していた。フィリップ・ハモンド財務相が3月13日に発表した春の予算演説によると、清算金は英予算責任局(OBR)の試算で371億ポンドとなり、英国は今後2064年までの46年間にわたって毎年分割払いしていく見通しだ。もし、移行期間がEUと合意した21カ月で終わらず、それ以降も延長されれば、清算金がさらに増える恐れがあった。

メイ首相演説、欧州の注目集める

 メイ首相は3月2日、ロンドン市長公邸でEU離脱交渉方針について演説し、欧州メディアの注目を集めた。これは2月22―23日にチェッカーズの首相別邸で閣内統一した交渉戦略の内容とほぼ同じものだったが、新たにロンドン金融街(シティ)の最大の関心事だった、いわゆるパスポート・ルール(単一免許でEU域内での営業が可能な制度)をEUに求めないと明言し、現実路線に転換したからだ。

 ただ、演説後の記者団との質疑応答でBBCの政治記者からは、「大半がこれまで言ってきたものばかりだが、(それで)EUから妥協を勝ち取れるのか」という辛辣な質問を浴びた。これに対し、メイ首相は、「これが英国にとってもEUにとってもベストな合意になる。EU自体、英国とは大胆な関係を望むと言っている」と意に介さず、「バッドディールならノーディールの方がましだが、EUとの合意に自信を持っている」と強気の姿勢を押し通した。

 テレグラフ紙は同日、メイ首相の演説について、「強硬離脱派は英国の主権回復の立場が明確になったとする一方で、EUのミシェル・バルニエ首席交渉官も英国は相矛盾することは求めないというトレードオフの認識を初めて示した、と評価した」と伝えた。メイ首相の現実路線への方向転換によって今後の交渉でEUから妥協点を引き出せるか見守る必要がある。

 最近、「クリーンブレグジット」という表現がにわかに英国メディアで取り上げられるようになってきた。この言葉はもともと英紙デイリー・テレグラフ紙の経済評論家リアム・ハリガン氏が提唱したもので、ブレグジットにはノルウェーのようにEU非加盟国がEUとEEA(欧州経済領域)協定を結びEU単一市場にアクセスする方法や英国だけに適用される特別な貿易協定が考えられるが、どれも問題が多い。そこで、第3のクリーンブレグジット、つまり、EUの関税同盟や単一市場へのアクセスから完全に離れて完全なEU離脱を実現する道が良いというものだ。

 このハリガン氏のクリーンブレグジットの考え方は与党・保守党のナイジェル・ローソン元財務相や労働党のデービッド・オーエン元外相も支持している。英夕刊紙イブニング・スタンダードのコラムニスト、ジェラルド・リヨン氏もクリーンブレグジットがなぜ良いのか主張している。英国はクリーンブレグジットに向かうのか綱引きは当分、続きそうだ。(了)

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

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