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英国のEU離脱協議、泥沼状態に陥り貿易協定結べず “ノーディール”の恐れ(その4)

増谷栄一The US-Euro Economic File代表
会談後、写真撮影に応じるメイ首相とユンケルEC委員長=英スカイニュース放映より
会談後、写真撮影に応じるメイ首相とユンケルEC委員長=英スカイニュース放映より

貿易交渉を主導するメイ首相にとってさらに悩ましいのは、英議会で新しい悩みの種が浮上したことだ。英下院が昨年12月14日、EU(欧州連合)残留を支持する最大野党の労働党と野党2位の自民党、さらには、その後メイ首相によって解任された保守党幹部のスティーブン・ハモンド幹事長代理ら与党・保守党の造反議員11人がグレート・リピール法案(欧州共同体法廃止法案)の修正案を309票対305票のわずか4票差の僅差で可決したからだ。修正案はメイ政権がEUとの離脱交渉で決まった最終合意に議会の拒否権を認めるものだ。

この修正案が今後の離脱交渉にどんな意味を持つのか。デービスEU離脱担当相は議会での答弁で、「EUとの最終合意を法文化する『EU離脱合意・実施条約』に盛り込まれるどんな合意事項も議会の同意を得る」と約束した上で、「同意は容認するか拒否するかの2者択一の形で行われる」とし、また、議会の同意のタイミングについても「欧州議会が最終合意の採決を行う前」と説明した。これは今後、メイ首相は目の前に議会の拒否権がちらつく中で、EUと離脱交渉に臨まなければならず、納得できる合意を得るのは難しくなることを意味する。

修正案に反対した保守党議員は、「いかなるEUとの合意も発効するには議会の立法化(ACT、法制化)が必要となる。これは議会に拒否権を認めるのと同じだ」と懸念を示した。もしEUと合意しても議会の承認が得られず法的拘束力がもてなければ、EU側は反発し協議は進まなくなるからだ。離脱支持派のドミニク・ラーブ司法相(当時)は、「修正案は議会に対し、納得できるような合意が得られるまでEUと無理やり再協議させる機会を与える。つまり、EUに屈するような悪条件の『バッドディール』でも英国は交渉を打ち切れないとEUに思わせる」と困惑する。

バッドディールは離脱派にとって「バッド」でも、残留支持派やソフトブレグジット(穏健離脱)派にとっては「グッド」なディールだ。穏健離脱派が意に沿わない合意に拒否権を乱発するようになれば、交渉が滞る恐れがある。修正案が可決されたことで、英国のEU離脱はメイ首相や強硬離脱派が最も嫌うバッドディールになりかねない。EU側も、英国内で立法化の見通しが立たないような合意を英国と結ぶことにはちゅうちょすることになるはずだ。

12月14日、離脱交渉が第2段階の貿易協定に移ることを正式に決めるEU加盟27カ国の首脳会議が始まり、翌15日に加盟国首脳の承認が得られ英国はようやく交渉を前進させることができた。しかし、英紙デイリー・テレグラフは12月15日付で、「EU加盟各国の首脳らは今後、英政府と合意したことが英国議会によって覆され、離脱交渉が何も合意できないまま強行的に離脱する『ノーディール』に終わる可能性が高まった」と、懸念を示した。また、同紙は、「メイ首相はベストな合意を目指す交渉にあてる時間を短縮し、議会の採決に時間を割かなければならなくなる。EUは再交渉には応じないので、議会が拒否権を行使すれば、英国はEUとノーディールに終わり強硬離脱することになる」と指摘した。

ただ、EU加盟国のマルタ共和国のジョセフ・ムスカット首相は12月15日、英放送スカイニュースのインタビューで、「英議会が最終合意案に拒否権を行使すれば、我々(EU)は離脱交渉を喜んで延期する。我々はいま英国とソフトブレグジット(穏健離脱)に向かって進んでいる。はっきりしているのはより賢明なアプローチ、つまり、「規制やルールの合致(regulatory alignment)というアプローチで一つになってきていることだ」と述べ、必ずしもノーディールにはならないという。しかし、その言葉通りになるかは疑問だ。メイ首相はEUに屈するような穏健離脱は望まないからだ。

暮れも押し詰まった12月20日、英国のEU離脱後のロンドンの金融街(シティ)の在り方をめぐってイングランド銀行(BOE)がEUに対し一つの重要な新提案を発表した。これは英国がEU離脱後もシティで欧州の銀行に対し、いわゆるパスポート・ルール(単一免許でEU域内での営業が可能な制度)の適用を認めるというものだった。シティが相互互恵主義の原則でEUから同じようにパスポート・ルールを手に入れることができれば、シティからの金融機関の海外流出が止まり、BOEが10月に発表した金融サービス業で最大7万5000人もの大量失業という最悪事態から免れられるからだ。

しかし、EUのブレグジット首席交渉官ミシェル・バルニエ氏は前日の19日、英紙ガーディアンに対し、「シティを守るためにロンドンだけを特別扱いする合意はしない。英国がEUを離脱しEUの単一市場を離れれば今まで通りとは行かない」と、BOEの提案を拒否する考えを示した。今後、BOEの思惑通りパスポート・ルールの相互承認が実現するのは難しい情勢だ。

メイ首相は議会の拒否権という“高い”壁に前を塞がれ、ノーディールかバッドディールかの厳しい選択に迫られることになった。そんな中、メイ首相は今年1月9日の内閣改造で、新たにノーディール担当相を設けるとのスクープ記事が英国メディアによって報じられた。結局は不発に終わったものの、それに近い出来事が起こった。強硬離脱派のUKIP(英国独立党)のスティーブン・ウールフェ欧州議会議員ら超党派の議員や財界人が1月10日、EU本部でバルニエ首席交渉官と会談し、英国との貿易交渉がバッドディールに終わるようなら交渉の席を蹴ってノーディールにし、英国はWTO(世界貿易機関)に復帰する、と警告した。

ウールフェ議員は出発前、記者団に対し、第2次大戦で英国を勝利に導いたウインストン・チャーチル元首相の「過去に固執するものは未来を失う」という格言を引用して、メイ首相に“発破”をかけた。同議員はメイ首相も何事にも屈しないチャーチルの強い精神を発揮し、ノーディールも辞さぬ覚悟でEUと交渉するよう訴えたものだ。メイ内閣にノーディール担当相いなくても、メイ首相が「バッドディールならノーディールで離脱する」という強い意思を貫けるようなら、EU加盟国の首脳らを動かしグッドディールの道が開けるかもしれない。(了)

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

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