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学校になくて企業にあるもの、元教員が語る転職した理由

前屋毅フリージャーナリスト
撮影:筆者

|同じ会社の今年入社組に3人の元教員

「元教員が、今年4月に入社した新人のなかに3人もいるんですよ」、広報担当者が雑談のなかでいった。元教員を募集条件にしたわけではないのに、たまたま元教員が集まる結果になったのだ。

 これまで何人もの元教員に話を聞いたけれど、匿名が条件になることが多かった。教員が自由に話すのはなかなか難しく、それは元教員でも変わらない。今回も、同じだった。いったんは実名で承諾してくれたが、後になって実名は取り下げられた。

 3人が転職した会社は、(株)ヒュープロという。高度な専門資格を必要とする〝士業〟と分類される職業と管理部門にいる人たちの転職支援を主たる業務としている。人材紹介会社のなかでも特殊な領域をフォローしているといえる。設立が2015年11月と、比較的若い会社でもある。

|子どもたちと接する時間がない

 なぜ教員を辞めたのか。その質問に、K氏(29歳)次のように答えた。

「東日本大震災後に、被災地で中学生の教育支援のボランティアに参加しました。そのとき、子どもたちと信頼関係を築き、子どもたちの将来を一緒に考えるという経験をしました。そういう経験を教員になれば積み重ねていけると考えたのが、教員を目指すきっかけでした。ところが教員になってみると、子どもたちと接する時間が思うようにとれないのが現実でした。自分で自分の将来を切り拓いていく力を子どもたちには身につけて欲しいと思っていたのに、そういう指導をできる時間もありませんでした」

 同時に、「子どもたちに指導できないだけでなく、自分自身が主体的に生きているのか疑問を感じるようにもなりました」と、K氏。

 そうしたモヤモヤを抱えているなかの2022年の夏、新型コロナに感染したのと盆休みが重なり、約1ヶ月のあいだ職場に行かず、ひとりで考え込んでいた。教員を続けることの違和感だけが大きくなり、そして退職を決意した。

|理不尽な教員の仕事

 M氏(28歳)は私立の中高一貫校で教えていて、子どもたちに慕われる実感もあり、「楽しかった」という。にもかかわらず辞めたのは、「自分を評価してくれる職場で働きたかった」からだ。

「自分のほうが明らかに仕事ができているのに、年配の先輩教員のほうが私より給料は高いのです。さらに、子どももいないし、社会にもでたことがない私のような若い教員に何がわかるの、といった言い方をする保護者も珍しくありません。そうすると、『自分って価値がないのか』とおもえてきました。それなら自分を正統に評価してくれて、自分の価値を実感できる仕事に挑戦してみたいとおもい、辞めました」

 S氏(27歳)は、オリンピックを目指すアスリートだった。しかしオリンピックへの道が絶たれ、その競技を指導するために大学の助手となった。しかし、大学生だと技術的に完成されてしまっていて指導の成果を感じられないことに疑問をもって、辞めた。そして中学校の講師(非常勤)として、授業と並行しながら部活動を指導する道を選んだ。

「中学生だと初心者なので指導の実績を感じられるので、楽しかったし、やりがいもありました」

 教員の働き方が問われるなかで、教員に長時間労働を強いる元凶の槍玉に挙げられているのが部活動である。ただしS氏さんにとっては、「自分がやってきた競技だし、好きな競技の顧問なので苦でもなかった」そうだ。それでも、辞めた。その理由を、S氏は次のように説明する。

「土日も試合などがあって、基本的に休みのない生活でした。楽しいけれども、プライベートの時間まで犠牲にするほどの情熱を感じられるのか自問自答して、『そこまで自分にはできない』という結論にいたりました」

 さらに、不安があった。「仕事ができる人にどんどん仕事が集中する環境でした。そのなかで、のらりくらりと仕事を避ける人もいます。それでも、教員という仕事は年功序列で安定的に給料は上がっていきます。そういう『安定』に胡座をかいてしまうかもしれない自分の将来に不安がありました」と、S氏。そして、辞めた。

|大事なのは活気

 3人は教員という仕事についての疑問・不満に正面から向き合ったといえる。そして、教員を辞めた。

 疑問・不満を解消するために3人は転職した。そのとき、大手企業という選択肢はなかったのだろうか。まだまだ日本経済の先行きが不透明ななかで、大手企業志向は強まりこそすれ、薄れてはいない。

 にもかかわらず、3人の元教員が選んだのは大手企業ではなかった。それは、たんなる偶然だったのだろうか。

「大手といわれるところの採用試験も受けましたが、そのなかでオフィスを見学する機会もありましたが、オフィス内に活気がなくてシーンとしているのが最初の印象でした。そこに違和感を感じました」と、S氏。同じような活気のなさを、ヒュープロにも感じなかったのだろうか。

 その質問にS氏は、「なかった」と即答した。それに、ほかの2人も大きく肯いた。

 M氏が続ける。「ヒュープロのオフィスを見学したとき、私と同年代の女性でもパワフルに仕事しているのを感じました。社長だけがパワフルな会社もありがちですが、社員のみんながパワフルでした」

 そして、「そういう雰囲気が学校にはありません」ともいった。

|変えていこうという意欲が潰されるのが学校

「何かをつくりあげていこう、変えていこうという意欲が学校には乏しい。現状維持が当たり前という雰囲気が蔓延していました。それが、常々、気になっていました」といったのは、K氏。

 K氏は続けて、「いまの会社に入社してみて、『働く環境を自分で変えていける』ということを実感しています。それが転職してみて、いちばん大きなことでした」ともいった。さらに、続く。

「学校では、変えることが、なかなか難しい。自分のクラスが良くなるために独自のことをやろうとすると、『足並みをそろえないと困る』みたいなことをいわれ、浮いた存在にされてしまうことのほうが多い。子どもたちを幸せにしようと考えているのに、それができないのは、子どもたちを不幸にしていることになります。そこに、かなりのジレンマを感じていたことも事実です」

 より良くしていこうとすれば、必然的に変化が必要になる。変化があるから成長もある。その変化への意欲を潰されがちなのが学校なのかもしれない。だから、学校は変われない。そして、学校を去る教員もいる。

 変わる意欲を全部の企業が歓迎しているとはいわないが、少なくとも成長しようとしている企業には、それがあるのではないだろうか。だからこそ、3人の元教員は、いまの会社を選んだといえそうだ。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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