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すごい学校があった!「子どもの要素を使い切る」が学校のテーマ

前屋毅フリージャーナリスト
撮影:筆者

 その学校は、東京・中野区の中野坂上駅という地下鉄駅に直結しているオフィスタワーの一画にある。はっきりいって、便利なところである。「遠くから通ってくる生徒も多いので、便利さを優先しました。家賃は高いんですけどね」と、学園長の伊藤寛晃さんが笑いながら立地の理由を説明した。

| 学校のテーマを求めて企業訪問

 この学校の名を、翔和学園という。学校法人でもなく福祉法人でもない、特定非営利活動法人が運営している。

 設立は1994年で、発達障害をかかえていたり、コミュニケーションに不安のある18歳以上の若者を支援する学校としてスタートする。その後、高等部、小中学部を順次開設し、現在は小学3年生から30歳くらいまでの幅広い年代の若者たち、70名ほどが在籍している。

 ここまでの説明だと、「発達障害をかかえた子どもたちを就労させるための施設」と理解されるかもしれない。それには、「早合点です」と答えるのがいいかもしれない。

「私が翔和学園に赴任した年に、ダウン症の子が国立大学に合格してニュースになりました。それに触発されて、発達障害などをかかえている子でも国立大学に合格させるような授業をやってやる、と勢い込んでいました」と、伊藤さん。

 学習塾や翔和学園の母体になっている通信制高校での教員経験もあり、伊藤さんは自分の指導力に自信をもっている。そのスキルをもってすれば不可能ではない、はずだった。

「初日から、けっこう難しい授業をやりました。いま考えれば当然ですが、子どもたちは拒絶反応を示したり、ポカンとしているだけでした。それでも、『君たちはできる』とか『できないのは、やる気がないからだ』といっていました。成績を上げたり、有名校に合格することに重きを置くことが教育の目指すべきものだという意識が、私にもあったからだとおもいます」

 ただし子どもたちは、そんなことに価値があるとはおもっていない。それを強制してみたところで、受け入れられるはずがない。そこに気づいて、伊藤さんは考えた。

「この学校に集まってくるのは、高校を卒業しても行き場のない子どもたちでした。それでも将来、働いて食べていかなければ生きていけない。そのためには就職しなければならないので、どうすれば就職のための支援ができるのかを考えました」

| 企業は技術を習得させることを学校に求めていない

 伊藤さんがこの考えを推しすすめていたら、翔和学園は「就労支援の施設」になっていたかもしれない。企業を訪ねた伊藤さんは、「将来、こちらの会社に勤めることになるとしたら、どういうことを学校で学んでおけばいいのでしょうか」と採用担当者に質問していった。

「こういう技術を身につけさせてください」といった答が戻ってくるものと、伊藤さんは想像していた。多くの就労施設は、そうした企業の要望に応えて就労支援をやっているはずである。

 ところが、戻ってきた答は、意外なものだった。それは、以下のような内容だった。

<技術や技能は求めていない。学校で素人が教える中途半端な技術は、入社後に忘れさせるのに時間がかかる。技術や技能なら、入社後にこっちで教える>

<そもそもやる気がない、素直さがない、人が嫌い、そういうのは企業が教えられることではない。パソコンはできるけどコミュニケーションがとれない、機械を組み立てることはうまくても反抗的、計算はできるけど接客で愛想がない、こんなのは困る>

 とはいえ、やる気や素直さ、コミュニケーション能力を「教え込む」ことは、学校でも無理なことではないだろうか。強制的に従わせてみたところで子どもたちの反発心を呼ぶだけだし、「やる気をだせ」と何千回、何万回も怒鳴ってみたところで、やる気など生まれてくるわけがない。

 にもかかわらず、多くの就労施設では大なり小なりやっている。就労を目的にしていない、多くの学校でも同じことをやっているはずである。

| 発達の段階をきちんと経ながら成長していない

 伊藤さんも、「そんなものが教育ではない」と考えた。では、「何が教育だ」と考えたのだろうか。

「いろいろ議論して、翔和学園としてたどりついたのは、『発達の段階を、ちゃんと経ながら上ってきていない子どもたちがたくさんいるのではないだろうか』ということでした」と、伊藤さん。さらに続ける。

「児童青年精神医学の佐々木正美先生の著書を読み、講演にも足を運びました。そうした本のなかに、『子どもは子どもの要素を使い切ってからでしか大人になってはいけない』というフレーズがありました。『これだ』と思いました」

 子どもの要素を使い切らなければ、大人にはなれない。子どもの要素を使い切らずに大人になると、やる気や素直さ、コミュニケーション能力も身につかない。障害をかかえた子どもたちだけではない、すべての子どもたちにいえることである。

 伊藤さんは、「翔和学園が目標にしなければならないのは、『子どもの要素を使い切る』ということでした」といった。

| 子どもの要素を使い切るとは

「具体的に何をやっているのですか?」と質問すると、「教室を見学しますか」といって伊藤さんが案内してくれた。

 そのときは、「個人プロジェクト」の時間だった。一生懸命、イラストを描いている子がいる。鉛筆で描くことにこだわって、いっさい着色はしないのだという。

 ビーズを専用プレートに平面的な絵柄を描き、それをアイロンで溶かして接着して完成させるアイロンビースに黙々と向かい合っている子もいる。「個人」だから、それぞれが興味あるものに取り組んでいる。やらされているのではない。自分が興味のあることに自らのペースで取り組む。その様子は、一心不乱という言葉がピッタリだ。

 個別に取り組むプロジェクトだけではない。巨大ペットボトルロケットでギネス記録に挑戦するプロジェクトもある。森の中で自分たちの力で小屋を建てるプロジェクトもやっている。何学年のプロジェクトというわけではなく、小学生から大学生までが参加する。個だけでなく、協調することも学んでいく。しかも、参加が強制されるわけでもない。

 そこでの仕事も割り当てられるのではなく、自分が興味があって、得意な、しかも求められていると判断した仕事を受け持つ。そこで、いろいろな力が身についていくだろうことは想像できる。

 子どもたちの力を引き出し育てていく方向は、プロジェクトだけではなく、翔和学園のすべての授業に共通している。伊藤さんが説明する。

「教員が大事にしていることは、昨日の処理より、明日の準備です。そのために教員全員で話し合います。『それってやる必要があるの?』とか『どんな進め方をすればいいか』といった話を活発に行います。そうしたなかから、翔和学園独自のカリキュラムができていくわけです」

 子どもたちだけでなく、教員も「楽しい授業」を追求しているようにおもえた。まだまだ、翔和学園らしい楽しい授業があるにちがいない。楽しい授業こそ、子どもの要素を使い切るということなのかもしれない。

 いまの日本の学校では、子どもの要素を使い切っているだろうか。逆に、子どもの要素を潰していないだろうか。翔和学園は、日本の学校そのものに問題を投げかけている気がする。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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