「おカネがいちばんではない」と気づかせてくれたのは「ようちえん」

「森わら」の朝の会は外で。子どもをおんぶした母親も参加する。(撮影:筆者)

年間1000時間以上の残業を部下に強いる苦痛

「おカネがいちばんではありませんからね」と、前田昌輝さんはいった。口先だけなら、同じことをいう人は少なからずいる。ただし前田さんは、ただ言葉だけでなく、自分の生き方のなかで実践している。そのきっかけとなったのは、我が子をかよわせていた「ようちえん」の存在だった。

 前田さんが結婚したのは33歳のときで、青年海外協力隊員として南米のエクアドルに2年間赴任して帰国したときだった。そして、自動車整備士が修理のときに使うマニュアルを作成する会社に就職した。

「専門学校を卒業してから整備士として働いていて、エクアドルでも大学の自動車科で教えるのが仕事でした。そのときに使う資料を自分で作っていて、それが楽しかった。だからマニュアル作りの会社に就職しました」と、前田さん。しかし、その会社を前田さんは辞めてしまうのだ。

「自分が考えるようなマニュアル作りが難しくなっていったんです。こういう情報もいれたほうがわかりやすいとか、こちらの思いが伝わるような文章にしたいとおもうのに、『クルマが直せれば、それでいい、余計な情報はいらない』と上にいわれつづけました。そして、残業は年間1000時間を超える状態でした」

 さらに苦痛だったのは、管理職になって、自分が納得できない仕事を部下にも強いなければならないことだった。年間1000時間以上の残業を、部下にも強いる立場になる。しかも、納得できる仕事の内容でもない。

「悩んでいる部下の相談にものってやりたいが、業務の進行もあって、なかなかできない。上司に相談したら、『部下の管理は放っといて、業務だけに専念しろ』といわれました。『それって、おかしいだろう』とおもいました」

 あれやこれやで、前田さんは心身ともにボロボロになっていく。「体調を崩して、自律神経失調症との診断を受けました」と、前田さん。会社からは、4ヶ月間の休職が申し渡された。

「そのとき、友だちに教えられたのが木工旋盤の教室でした。機械も好きだったし、やってみると、なにより木を削っていくのが楽しかった」と、前田さん。

自然のなかでのびのび育つ我が子に自分の生き方を問う

 そんな時期に、3歳になる息子がかよいはじめていたのが「自然育児 森のわらべ多治見園」(愛称:森わら)だった。「自然育児」と付いているように園舎のなかで育てるのではなく、森など自然のなかで育てるという考えを実践している。同じような育児を展開している「森のようちえん」が全国に広がっているが、「森わら」は岐阜県多治見市に浅井智子園長が2009年に創設した「森のようちえん」である。

「自然のなかで自由にのびのびと、いろんなものを吸収している。なにより楽しんでいる息子の姿を見ていると、自分の気持ちまでがすっきりしていく気がしました」

 4カ月の休職を終えて会社に復帰したものの、会社での生活は以前と変わりない。そこで働いている我が身と、「森わら」で楽しそうに成長していく息子の姿とを照らし合わせて、前田さんは考えた。

「思っちゃいましたね。自分の思いとは違うことでも、『やれ』といわれてやるしかない。我慢ばかりしながら仕事を続けている。息子とくらべたら自分は、まったく人間らしくないんですよ。生きいきと育っている息子に、こんな押しつぶされているだけの自分の姿を見せていては、いい影響は与えられないだろうなという思いが強くなっていきました」

 そして、「息子と同じように、人間らしく生きようと決意しました」と、前田さん。会社を辞めた。その後に彼が選んだのが、休職中に学んだ木工旋盤の技術を活かした天然素材木の器を作る仕事だった。それも注文に従って気のすすまないものを作ることは拒否し、あくまでも自分らしさを表現できる作品づくりに取り組んでいる。

前田さんの作品  (撮影:筆者)
前田さんの作品  (撮影:筆者)

 そうなってくると、生活するのが難しくなってくる。会社勤めのときのように定期的な収入もないし、住宅ローンも抱えている。その家計を支えるために、奧さんはパートにでるようになった。そこに不安はないのだろうか。

「楽ではないけど、おカネがいちばんではありませんからね。人間らしく、自分らしく仕事して、そして家族と一緒に食事して、いろんなことを話しているほうが価値があると思いますよ。会社員時代には考えられなかった、毎日、家族といっしょの食事です」

 と、前田さん。いまは8歳になって小学校にかよう息子さんとも、毎日、話がはずんでいるそうだ。

試行錯誤する背中を子どもに見せる

 西井俊彦さんも、我が子をかよわせていた「森わら」に背中を押されて、会社を辞めた。そして始めたのが、移動式スパイス料理屋「Spice Life dana」だった。

「『森わら』にかよわせていると、子どもが自分の力で成長していくのを実感できました。大人が教え込んで育てるのではなくて、自分で成長していく力を子どもはもっているのに気づかされるんです」

 と、西井さん。そういう我が子と接していて、自分の生き方について考えないわけにはいかなかったという。

「経済的には不満はなくても、これが自分のやりたいことなのかと考えると自信がない。ただ漠然と生きているだけの姿を、このまま子どもに見せつづけていていいのか。親として、子どもの視野を広げてやれるだろうかと考えると、疑問を感じました。自分も自分のやりたいことをやって楽しく生きている姿こそ見せなければいけない、と考えたんです。そうしたら、会社を辞めるしかなかった」

 ただし、移動式スパイス料理屋は、どうしてもやりたい仕事ではなかったという。縛られて働くのではなく、自由に仕事できそうなので選んだ仕事だった。その代わり、会社員時代と同等の収入を得ることは難しい。

西井さんの移動式スパイス料理店 (西井さん提供)
西井さんの移動式スパイス料理店 (西井さん提供)

「おカネがいちばんじゃありませんから」

 西井さんはいった。そして現在、彼は違う夢を追って、移動式スパイス料理屋を続けながら、会社員としても働いている。

「我慢しながら仕事しているのではなくて、いろいろ迷って、試行錯誤している姿を親として見せるのも、子どもにとってはいいことかな、なんて考えたりもするんですよ」

 といって、西井さんは笑った。

背中を押したのは妻だった

 会社勤めを辞めて多治見市にオーガニックスタンド「LaF The ORGANICS」をオープンしたのは、日比野忠仁さんだ。自らが難病を抱えていて生野菜を食べられなかったが、コールドプレスジュースで野菜や果物をとれていた。これを売ろうと考えてのオープンだった。

 とはいえ、開店するために会社を辞めたわけではない。会社での働き方に納得できなかったからである。会社を辞めるのが先で、それから何をやるか考えての開店だった。日比野さんが説明する。

「年間1000時間の残業は普通で、もうロボットみたいな働き方でした。『森わら』で人間らしく育っている息子にくらべると、『自分はこれでいいのかな』と考えさせられました。疲れ切った姿しか息子に見せていなかったし、その息子ともほとんど会えない生活でした。そういうなかで、おカネをいちばんにしない、もっと人間らしい、息子と向き合える時間を大事にする生活がしたい、と考えました」

日比野さんの開いた「LaF The ORGANICS」 (日比野さん提供)
日比野さんの開いた「LaF The ORGANICS」 (日比野さん提供)

 そして、辞めた。ただ日比野さんだけでは「LaF」の切り盛りができないので、奧さんも一緒に働くようにした。そのため、息子さんは「森わら」を辞めて普通の保育園に移った。

「でも『森わら』で学んだことは大事にしているので、午後6時には必ず閉店して息子を迎えに行き、夕飯は家族いっしょで、いろんな話をしながら食べます。ロボットではない、人間の生活をしていますよ」

 といって、日比野さんは笑った。しかし、夫が安定した仕事を辞めて不安定な仕事を選ぶことに、妻は反対しなかったのだろうか。奧さんの千恵子さんに訊ねると、彼女は迷いのない口調でいった。

「反対しませんでした。むしろ、『早く辞めたら』といっていました。疲れ切った夫の姿を見ているより、楽しそうに仕事をして、子どもと遊んでいる姿を見ているほうが、ずっといいですからね。経済的には楽ではないけど、なんとかやっていけます」

 実は、先に紹介した前田さんの奧さんも、西井さんの奧さんも夫が会社を辞めることにはいっさい反対しなかったそうなのだ。むしろ、千恵子さんと同じように辞めることを勧めたという。

 考えてみれば、奧さんたちは、『森わら』に我が子をかよわせていた母親なのだ。そこで子どもが、人間らしくのびのびと育っていく姿を見てきている。おカネよりも人間らしく生きることの大事さを実感している。だから、おカネのために夫に非人間的な働き方を強いるなんてことは、彼女らの発想にはなかったようなのだ。「森わら」は保護者にまで大きな影響をあたえる存在らしい。

                                                         (つづく)