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若手官僚たちが文科省も学校現場も変えていく原動力になるかもしれない

前屋毅フリージャーナリスト
(写真:西村尚己/アフロ)

大学の大教室がおじさん・おばさんに占められている光景は、ちょっと不思議なものだ。学生の保護者会でもなく、年をくった学生だけを集めた授業でもない。ここに集まっているのは教育関係者、しかも教育長や校長といったエラい方々が中心である。

 そんな教室で、そろいのTシャツを着て動きまわっている人たちがいた。教育長や校長といった人たちと比べれば、彼らは明らかに若い。若いけれども、学生でもない。彼らはれっきとした文部科学省(文科省)の官僚なのである。その彼らが、この会合の事務局を務めている。

 といっても、これは文科省が招集しているわけではない。にもかかわらず官僚たちが事務局として働き、3月中旬に行われたこの会合には、教育長や校長を中心に全国から実に150名もが集まってきていた。

「教育・学びの未来を創造する教育長・校長プラットフォーム」という名称なのだが、長ったらしいので以後は「プラットフォーム」でとおすことにする。その「2019年総会」が、この日の会合なのだ。かんたんなオープニングのあとに、テーマごとに3つの小教室に分かれてのディスカッションが行われ、各教室を覗いてまわったが、どこでも熱心なディスカッションが行われている様子が見てとれた。おじさん・おばさんたちが学生にも負けない、学生以上の熱心さで議論している姿は圧巻でもある。

 教育長や校長といえば紛れもない管理職であり、文科省や教育委員会の顔色をうかがいながら仕事をしているイメージがあるのだが、ここに集まっている人たちは、だいぶ毛色が違うらしい。文科省や教育委員会に逆らうわけではないが、その枠にとらわれないとかバージョンアップしている教育、それをすでに実践している人たちや、実践を目指している人たちが集まって交流する場、それがプラットフォームらしい。

 その事務局を若い文科省官僚がやっているのだから、実はおかしなことである。文科省が教育を決めるというのがこれまでの日本の「常識」になっているし、それを文科省の官僚たちは誇りにしているはずだと、わたしはおもっていた。その「常識」を壊しかねない人たちを、若手の文科省官僚が事務局となって支えているのだから、やっぱり、おかしいではないか。

 そもそも、このプラットフォームを起ち上げたのも彼ら、若手官僚なのだ。自分たちの首を絞めることになるかもしれない組織を、自らの手で産みだしたことになる。興味を持つな、と云われても無理だ。

 事務局の主要メンバーの1人である中村義勝さんに訊いてみた。もちろん、彼もバリバリの文科省官僚だ。

「素晴らしいことを実践している学校が全国にあるし、面白い取り組みをしている教育委員会もあります。それが効果的にシェアされているかといえば、そうではないのが現実です。それは教育長や校長といった方々が、自治体を超えてつながる場がないことも原因しています。だから、そういう場をつくろうというので始まりです」

 それにしても、「文科省官僚の立場からすれば問題があるんじゃないか」とか「文科省は全国一律にしたいんじゃないか」という疑問は拭えない。それに中村さんは、次のように答えた。

「機会の均等は保障するけど、その上の部分は学校現場の裁量でできるようにしていきましょう、というのが文科省のスタンスです。学習指導要領にしても、『原則はこうだけど、こういうこともできるよ』っていう特例をいろいろ定めてきています。ただ、いろいろできるようになってきているんだけど、できないとおもってしまっている人がいるのも事実です」

 いろいろなことをやっていいにもかかわらず、やってはいけないと思い込んでいるのが学校現場だ、というわけである。そういう状況を変えていくために、文科省の若手官僚たちはプラットフォームを起ち上げた。

 学校をはじめとする教育現場では、ほかと違うことをやると「変人扱い」される傾向が強いようだ。教育現場だけでなく、それは日本社会の特性なのかもしれない。ともかく、違うことはやりにくい。

「違うことをやっている人たちが、それが認められて自信をもてる。そして、自分がやっていることを伝えて、同じようなことを実践する現場をどんどん広げていく場が必要なんです。その場が、プラットフォームです」

 教育現場というのは、驚くほど横のつながりがない。教育長会議とか校長会議なんてものが存在しているが、「連絡」が主体で、ディスカッションなんてほとんどないそうだ。新しい試みを発表するような場では、まったくない。そういうところから、いろいろな新しいことは生まれない。文科省に方針を決めてもらって、それを忠実にやっていこう、という姿勢が教育現場に強いのは、こうした会議のあり方にも起因しているのかもしれない。

 そうしたものを変えていく存在がプラットフォームだ、といえる。これを起ち上げ、運営の事務局を担当している文科省の若手官僚たちは、「役所の仕事」としてかかわっているわけではない。彼らは自分たちの活動を「課外活動」と呼び、「本業ではない」と位置づけている。

 学校現場の裁量を認めるのなら、プラットフォームのような活動は、むしろ「本業」としてやらなければならないことではないだろうか。それを「課外活動」でしかできないのは、文科省も自分たちの考えだけではやっていけない、政治などもからんでくる複雑な事情があるのかもしれない。

「ただ、私たちが課外活動として取り組んでいることのメリットもあります。役所の仕事としてやると、学校は対役所としての対応をせざるをえないんです。フラットな関係になれない。私たちが課外活動でやっているからこそ、プラットフォームが自由に議論できる場になっているのだともおもいます」

 そうなのだろうが、文科省と教育現場がフラットな関係になっていないことこそ問題なのかもしれない。今後のプラットフォームの活動が、そこにも変化をもたらすかもしれない、と期待してしまう。いろいろなことをやっている学校が増えてくれば、これはかなり面白いことになりそうだ。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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