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面白いから「使える英語」が身につく

前屋毅フリージャーナリスト
英語の歌を歌う東葛飾中学の生徒たち  撮影:筆者

「時代が先生に追いついてきたね」と、千葉県立東葛飾中学校・高等学校で中学進路指導主事を務めている山元洋さんは元教え子に云われたそうだ。彼が担当しているのは英語で、その授業は、彼に云わせると「特殊」なのだそうだ。

 なぜ特殊かといえば、教員が説明して、それを生徒は聴き、質問されれば答えるといった「従来の授業」とは違うからだ。その授業を、ちょっとだけ覗かせてもらった。

 3年生の授業だった。授業がはじまると、前面のスクリーンに動画とともに歌が流れる。動画には英語のキャプションがついている。曲のプロモーションビデオのようなものだ。それが終わると、生徒たちにプリントが配られる。さっきの曲の歌詞だそうだが、それを山元さんが詳しく説明するわけではない。

 すると今度は生徒たちが起ち上がり、流れる曲に合わせて歌いだす。プリントされた歌詞を見て歌っている子もいれば、前のスクリーンをみながらの子もいる。

 それが終わると今度は、1人の生徒が前に立ち、スピーチをはじめる。自分についての紹介のようだ。それが終わると、他の生徒から質問が飛ぶ。他愛のない質問から、真面目な質問まで、そこに決まりはないようにみえた。それに質問を受けた生徒が答えていくのだが、ときには笑いもあったり、ごく自然な英語でのやりとりにおもえた。

 山元さんはというと、ときどき単語の補助をしたり、発音を助けたりはするものの、細かく指摘するわけではない。チェックというようなものではなく、単なる助けのような雰囲気だ。

 そうやって、いくつかのブロックをこなして授業はすすんでいく。教員である山元さんが一方的に説明するといった場面は、ほとんどない。わたしが何十年も前に受けた、そしていまでも主流であろう授業スタイルからすれば、たしかに「特殊」である。

 授業の後で、山元さんに話を聞いた。授業の狙いについて、彼は次のように説明した。

「将来にわたって使える英語力の養成が目標です。英語力があることで将来の選択肢を広げることになったり、英語ができないことが障害になって夢を諦めるといったことにならないようにするためです」

 これまでの入試を前提にした、点数をとるためだけの授業では、「使える英語」にはならない。わたしも中学、高校、そして大学の教養課程と8年も英語の授業を受けてきたのだが、「英語が使える」どころか、海外旅行でホテルにチェックインするにも苦労するほどだ。わたしと同じような大人が、日本にはあふれかえっているはずだ。日本の学校では「使える英語」を教えてこなかった。

 2003年に教員となって以来、「使える英語力の養成」を実践してきた山元さんは、まさに「特殊」だったのだろう。

「使える英語」を教えつづける山元さん 撮影:筆者
「使える英語」を教えつづける山元さん 撮影:筆者

「私の授業をみた英語教員のなかには、『こんなことをやって、何の力がつくんだ』とか『遊んでいるだけじゃないか』とボロクソに云う人もいます」

 と、山元さんは笑う。「しかし」と、彼は続ける。

「生徒たちと話してみても、アンケートをとってみても、私の授業を『面白い』とする声が圧倒的に多い。英語を使えるようになっている実感があるから面白い、と評価してくれています」

 面白いから身につく。そして、使えるのだろう。思い返せば、わたしが受けてきた授業は、明らかに面白くなかった。

 教科書を無視しているわけではない。授業のなかで、「これは教科書のここの部分と関連しています」と山元さんが指摘する。

「学習指導要領や教科書を順番どおりやるのではなく、順番が違っても、やらなければならないことはやっています。パズルのようなもので、順番どおりに並べていないけど、中学3年間が終わってみれば、学習指導要領の定めている内容はできあがっている、といったぐあいです」

 だから山元さんの生徒たちは、学外の試験を受けても、ちゃんと結果を残しているという。「東葛の生徒だからできるんだろう」と云われることも多々あるそうだ。

 東葛飾中学校・高校は県立だが中高一貫教育で、中学では入学試験がある。県内でも難関とされる学校で、入試的なレベルは高い。いわゆる「優秀な生徒」が集まっているわけで、だから可能であって、同じことを一般的な学校でやっても学力がつくはずがないとの見方なわけだ。

「いまの私の生徒たちが優秀なことは事実です。しかし、ほかの学校でも面白い授業をすれば、使える英語力が身につくはずです」

 と、山元さんは云う。そして、続ける。「こういう考え方でやっている先生は、私だけでなく、他にもいらっしゃいます。しかし、少数であることも事実です」

 新学習指導要領が求めている英語は、まさに「使える英語」である。山元さんのような教え方を必要としているのだ。山元さんの元教え子が云ったように、まさに、時代が山元さんに追いついてきている。にもかかわらず、それを「遊んでいる」としか受けとれなくて、文法を丸暗記するような従来の授業しかできなければ、時代にとりのこされる。そこに付き合わされる子どもたちは、気の毒でしかない。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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