教員の働き過ぎは企業では「普通」なのか

(写真:アフロ)

 教員の働き過ぎが話題にはなっているが、問題にまでされていない。変えなければいけない、というところまで盛り上がらないのだ。理由は、教員の働き過ぎなんか「たいしたことない」と捉えたい風潮があるからではないだろうか。

 教員の働き過ぎを話題にすると、「企業では普通だよ」といった反応が返ってくることが少なくない。企業では普通のことだから教員のことも問題にならない、というわけだ。

 厚生労働省は、週20時間の残業(時間外労働)時間を過労死ラインとしている。これを超えて働いていると過労死してもおかしくない、と警告しているのだ。

 その過労死ラインを超える働き方をしている教員は、文部科学省(文科省)の『教員勤務実態調査(2016年度)』でも公立小学校で33.5%、公立中学校では60%以上になっている。それだけの教員が、過労死してもおかしくないくらい働いていることになる。

 そんな状況が、企業では普通なのだろうか?もしも普通だとしたら、日本の企業では過労死も「普通」ということになる。企業で働く人たちは、「過労死しても普通だ」と考えて働いているのだろうか。そうだとしたら、それこそが問題である。

 7月10日、総務省が興味ぶかい調査結果を公表している。「我が国における勤務時間インターバルの状況-ホワイトカラー労働者について-(社会生活基本調査の結果から)」というタイトルがつけられている。

 そこに、「勤務時間インターバル」に関する調査結果の報告がある。勤務と次の勤務との間隔を指すのが勤務時間インターバルで、これが短ければ短いほど休む時間が少なく、つまり長時間労働になっているということだ。

 ホワイトカラー労働者全体でみると、「11時間未満」は10.4%である。ところが教員になると、「11時間未満」は26.3%にもなっている。

 圧倒的に教員の勤務時間インターバルは短い。つまり、教員の働き方(働き過ぎ)は、「企業では普通」ではないのだ。企業でも教員と同等、それ以上に働いている人がいることは否定しないが、それは決して「普通」ではない。

 にもかかわらず、なぜ、「教員の働き方は企業なら普通だ」という発言をする人がいるのだろうか。

 想像できるのは、「誰よりも自分たちは働いている」と言いたいからなのかもしれない。大変なのは自分たちだけ、他が大変なはずがない、といった自己中心的な発想から抜けきれないのかもしれない。

 だから、教員の働き過ぎが話題になっても、問題にしたくない心理が働いてしまう。そういう周囲の理解が得られない環境では、教員の働き過ぎは改善されていかない。

 いま必要なのは、教員の働き過ぎを「話題」だけで終わらせず、「問題」にしていくことである。そうでなければ、改革は動きださない。それには、教員以外の人たちが自己中心的な発想を捨て、教員の働き過ぎを冷静に判断する目をもつことである。