校長を書類送検事件で再確認、学校の「事なかれ主義」

(写真:アフロ)

 校長と教頭が書類送検されるという、とんでもない事態が起きた。埼玉県内の公立中学校の教員が女子生徒の着替えの様子をビデオカメラで盗撮していたことを知りながら、その事実を校長と教頭が隠蔽していたのだ。埼玉県警は10月23日、2人を犯人隠避と証拠隠滅の疑いで書類送検した。

 企業の隠蔽問題が次々と発覚していることもあり、「学校もか!」と思われた方も多いだろう。ただし、学校の事情を多少は知る人であれば、「学校らしいな」と感じたかもしれない。学校には、少なからず隠蔽体質がある。学校自体が「閉ざされた場所」であるためか、「隠せる」という意識が働きやすいのかもしれない。

 今回は、県知事宛てに匿名の投書があり、事件が明るみにでたという。それがなければ、隠蔽は成功していたのかもしれない。

 隠蔽体質も問題だが、その根底にあるのは「事なかれ主義」である。学校というか教育界は、まだまだ「引き算」評価が基本になっている。マイナス評価につながるところばかりに注目するのだ。そのため、できるだけ問題を起こさないようにという意識が働く。隠蔽も、その延長上にあるといっていい。

 さらには、引き算評価を意識するあまり、足し算が軽視される傾向にある。新しい試みは、足し算と引き算の可能性が五分五分だ。足し算の文化ならチャレンジが多くなるのだろうが、逆なので、引き算評価を恐れてチャレンジに躊躇してしまうことになる。だから学校は、新しいことがやりにくい文化でもあるのだ。

 チャレンジのできない教員が、チャレンジする子どもたちを育てられるわけがない。それでいて、やたらにチャレンジを求める声ばかりが世の中にあふれてきている。チャレンジできない子どもしか育てられない学校の体質が批判される日も、遠いことではないかもしれない。

 今回の隠蔽事件は、事なかれ主義から抜けきれない学校の現状を象徴している。県教委は、書類送検された校長を停職6カ月、教頭を減給10分の1(3カ月)の懲戒処分にしたという。そして、校長からの辞職願を受理した。これさえも、「トカゲの尻尾切り」でしかない。これまた、事なかれ主義の表れである。問題は、学校そのものにある。