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原発事故・避難解除に揺れる飯舘村が学習塾とめざす「留学生も呼べる学校」

前屋毅フリージャーナリスト
整備再開される学校のパースを前に説明する中井田教育長(右)

3月31日の午前零時、福島県飯舘村にでていた「避難指示」が解除される。そして1年後の来年4月には、避難していた学校も村に帰される。子どもたちを村に帰すについては賛否両論あるが、簡単に答がだせるような単純な問題ではないのも事実だ。そうしたなかで村は、テストの点数だけではない教育方針で知られる学習塾「花まる学習会」の力も取り入れながら、子どもや保護者に評価される価値ある「ほんとうの教育」の模索をはじめている。その姿を追った。

●放射能被害が終わっていない現実をつきつける光景がひろがる

この施設整備のために約60億円の予算が予定されている。

再開予定の学校(パース)。この他にグランドなどが整備される。
再開予定の学校(パース)。この他にグランドなどが整備される。

2011年3月11日の東日本大震災による東京電力福島第一原発事故で放出された放射能によって汚染被害を受けた飯舘村の住民たちは、国による避難指示によって、住み慣れた村を退去せざるをえなかった。

その避難指示の最中である2012年2月に、わたしは飯舘村を訪ねている。そのときの村は人影もなく、閑散としていた。建物などの村はそのままあるのに人の気配がない、放射能というものの恐ろしさを見せつけられる思いだった。

それが今回、今年3月下旬に訪れたときは、道路には多くのクルマが行き交い、人の姿も目立っていた。一見すると、活気にあふれた光景だったのだ。しかし一面の田畑には、放射性物質を取り除く除染作業で取り除かれた土が詰められたフレコンバックが積み上げられ、山をなしている。クルマも人も、多くは除染作業のためなのである。複雑な思いにかられるしかなかった。

はがされた汚染土を詰めたフレコンバック。
はがされた汚染土を詰めたフレコンバック。
集められたフレコンバックには、さらにシートがかぶせられている。
集められたフレコンバックには、さらにシートがかぶせられている。

除染作業によって安全は確保された、というのが避難指示解除の理由である。しかし国のいう「安全」を、誰もが納得しているわけではない。依然として不安を抱いている人のほうが多い、というのが実感だ。

それでも、避難指示解除となってしまった以上、飯舘村としては帰村に動きださなくてはならない。帰村には学校もふくまれる。避難指示解除から1年後の来年4月1日には、現在の避難先のプレハブ校舎での授業を終了し、飯舘村で学校が再開される。そのために現在の飯舘中学校を整備・改装し、村の中学校1校、小学校3校、さらに認定こども園を集約する施設として整備される。校舎だけでなく、野球場や陸上競技場、屋内運動場にテニスコートも併設する大規模な施設である。その施設整備に、村として約60億円を投じることが決まっているのだ。

●60億円の巨費を投じることに強い批判もある

60億という巨費を投じても、再開する学校に戻ってくる子どもは、きわめて少ないと予想されているのが現実でもある。

「避難前の2010年度には幼稚園、小学校、中学校あわせて679人の子どもがいました。それが、どんどん減って、2017年度には139人になるはずです。原発事故がなければ村の学校に就学が予定されていた人数の約21%になります」と、中井田榮教育長は説明した。これが来年4月の飯舘村での学校再開時には、「現時点のアンケート結果では50人くらいの子どもが帰るといっています。ただし、もっと減るでしょうね」(中井田教育長)という。

中井田榮教育長「考える力を育てる」
中井田榮教育長「考える力を育てる」

実際、子どもたちを飯舘村に帰すことには否定的な意見が多い。飯舘村では昨年7月から長期宿泊制度が実施されており、一部の住民が実質的に帰村している。村のなかで出会った、そんな一人に話を聞くことができた。60代後半という男性は、「学校の場所は入念に除染して、放射線量は0.2μSv/h(マイクロシーベルト/時)台くらいになっているけど、うちのまわりだって0.5μSv/hを越えるからね。もっと高いところも、たくさんある。わざわざリスクを冒して子どもを帰す必要はない。子どもがいるから帰村しないと言ってる人は多いよ」と語った。

取材中に出会った住民「子どもは帰らない」
取材中に出会った住民「子どもは帰らない」

国は放射線量の安全基準を0.23μSv/hとしているが、疑問視する声は多い。飯舘村役場の前では原発事故直後には44μSv/hという高い放射線量が計測されている。除染作業によって、それに比べれば低線量になっているとはいえ、「完全」に安全とは言い切れないのだ。山がほとんどを占める飯舘村では、そもそも除染作業ができない場所も多いのだ。

現在は避難生活をしている小林稔さん(65)は、帰村のため自宅を建て直した。しかし避難前は同居していた息子夫婦は帰村せず、避難先での生活を続ける予定だという。小林さんも、次のように話す。「生まれたばかりの赤ん坊がいるからね。放射線量は低くなっているといっても、リスクは高い。親の責任として、そんなところに子どもを帰してはいけないよ」

だからこそ、来年4月に飯舘村で学校を再開しても、そこに帰ってくる子どもたちは少ないと予想されているのだ。それでも村は、60億円の予算をかけて大規模な施設整備をすすめる。

菅野典雄村長「子どもを強制的に帰すつもりはない。それは保護者が決めるべきだ」
菅野典雄村長「子どもを強制的に帰すつもりはない。それは保護者が決めるべきだ」

「帰ってくる子どもは少ないのに村は大金をかけて費用対効果が悪すぎる、という批判はありますよ」と、飯舘村の菅野典雄村長も批判があることを認める。さらに、次のようにも続ける。

「放射能被害の特殊性は、嫌というほど痛感しています。家が壊れた、道路が壊れたという災害の復旧なら見通しはたてやすい。元どおりにしてゼロからスタートできるわけです。しかし放射能被害は、簡単に元には戻らない。帰村が決まっても、ゼロからスタートできるわけではない。ゼロに向かってすすんでいかなければならないんです」

●災害を逆手に、子ども中心の教育のきっかけにする

放射能被害の特殊性は、完全に元の状態に戻すことがむずかしいところにある。菅野村長は続ける。

「被害者の立場を忘れたわけじゃない。しかし、簡単に元に戻らない状況にあって、被害者の立場だけで『元に戻せ』とだけ言ってばかりでは、復興は前にすすまない。こうなってしまった以上は、災害を逆手にとって、災害を改善のきっかけにするしかない、と私は考えています」

逆手にとって改善の方向に引っ張っていくひとつが、教育なのだ。60億円をかける施設も、ただ建物や施設を立派にきれいにして保護者や子どもたちの関心を惹きつけようとしているわけではない。

「こども園から中学校まで同じ敷地内にまとめるということは、中学生が小学生や幼児の面倒をみたり、小学生が中学生に教わったり、交流しやすい環境ができることになります。これは、いままでの教育環境ではなかったことですよ」と、中井田教育長は説明する。

学校整備の中心となる飯舘中学校。ここに、こども園、小学校、中学校が集まる。
学校整備の中心となる飯舘中学校。ここに、こども園、小学校、中学校が集まる。
飯舘中学の内部は避難当時のままだ。相撲の八百長疑惑は2011年2月に発覚。
飯舘中学の内部は避難当時のままだ。相撲の八百長疑惑は2011年2月に発覚。

縦割り教育の弊害がいわれるなかで、小中一貫校も全国的に増えている。ただし、学力向上を第一の目的としている場合が多いのも事実だ。飯舘村としても学力を無視しているわけではないが、「それより心の成長が一貫教育の第一の目的です」(中井田教育長)だという。

テストの点数に縛られる傾向が強まる日本の教育のなかで、飯舘村の教育は、その一歩先の「ほんとうの教育」を見つめている。原発事故によって避難生活を経験したからこそ、そこに目を向けられたともいえる。そのために村では、発表する力を重視した独自の「飯舘型授業スタイル」をつくりだし、昨年から取り組んできている。さらなる試みのひとつが、学習塾「花まる学習会」との提携である。

2018年4月の飯舘村での開校を前に2017年度から、飯舘村はプレハブ校舎で花まる学習会との提携による試みをスタートさせようとしている。それについて、飯舘村教育委員会教育課の武藤賢一郎指導主事は次のように説明する。

武藤賢一郎指導主事「点数だけで評価するような学校にはしない」
武藤賢一郎指導主事「点数だけで評価するような学校にはしない」

「人を点数だけで評価しすぎる傾向にあることに学校現場は不満をもっていて、一人ひとりの子どもに価値を見いだしていくことが公教育の役割だと思います。そういう学校づくりを、数年前から飯舘村としては考え、実践してきてもいます。

そうしたなかで、学習塾だけれど点数だけでなく、『メシの食える大人を育てる』という目標を掲げて、子どもに意欲をもたせることを重視している花まる学習会のことを知ったんです。それは飯舘村として目指していることと同じだし、一緒にやれば、もっと飯舘村の教育を良くしていくことができる、と考えたんです」

花まる学習会の特徴は、子どもに自信をもたせることを重視しているところにある。たとえば、同じ計算問題ドリルを一定の時間内で取り組むことを繰り返すカリキュラムがある。同じ問題を繰り返すことで知識も身につくが、きのうは5問解けたが、きょうは6問解けたということが子どもたちの自信につながるのだ。子どもたちが生きていくうえで大切なことは、知識以上に自信である。自信がでてくれば、意欲もわく。それが、現在の教育では忘れられている。

避難先のプレハブ校舎。ここで小学校6年間を過ごした子もいる。
避難先のプレハブ校舎。ここで小学校6年間を過ごした子もいる。

花まる学習会と組むことで、さらに飯舘村としては大きな夢を実現したいとも考えている。武藤指導主事が語った。

「花まる学習会は北相木小の教育を魅力的にすることで、留学生を集めるのにも大きな役割をはたしている。飯舘村も、花まる学習会と協力することで魅力的な教育を実現し、北相木のように都会など日本中から留学生を呼べるようになればいいな、と考えてもいるんでです」

北相木小学校は、長野県北相木村にある学校である。拙著『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)でも紹介しているが、過疎化がすすむ村にあって村外から多くの留学生を集めることに成功している。そこで、花まる学習会のはたしている役割は大きい。花まる学習会との提携が、将来的には、そういうところまで広がっていくことを、飯舘村としては期待もしている。

●「強制的に帰れとは言わない」と菅野村長

小学校では、花まる学習会独自の短時間授業である「花まるタイム」や「思考力授業」を行う予定だ。とはいえ1学期は準備段階で、本格的に始まるのは2学期からになる。そして中学では、3年生を対象にして花まる学習会の講師が放課後に授業補助をおこなう「村塾」をスタートさせる。

「飯舘村教育ビジョン(案)」と花まる学習会との提携内容
「飯舘村教育ビジョン(案)」と花まる学習会との提携内容

点数だけにとらわれない、子どもを中心とした「ほんとうの教育」を、学校の魅力にしようと飯舘村では考えている。ハードとソフトの両面で、原発事故からの復興を機に、ほんとうに子どものためになる教育を目指している。もちろん、それで放射能への不安を隠そうとしているわけではない。

「無理やり子どもたちを村に帰せ、と言うつもりはありません」と、菅野村長は何度も強調した。その理由を、「いくら除染作業をやったからといって、放射能への不安を消せない人はいる。だいじょうぶだという人もいれば、不安だという人もいる。その、どっちが正しいと決めつけられないのも放射能被害の特殊性です。だから、無理に村人も子どもたちも帰すようなことを、私はしない」と説明した。さらに、続けた。

「私の孫たちも、村の学校が再開しても戻らない予定です。これが、また批判されてもいますけどね。でも、6年の避難生活のなかで、いろいろ変わってきている事情もあるんです。それらを考慮して、子どもを村へ帰すか帰さないか、それは親が判断することです。孫だからといって、私が命令できることじゃない」

そして、さらに強い口調で菅野村長は語った。「来年の学校再開のときに、村に帰らない選択をするのも自由です。しかし、帰りたいから早く学校を再開してくれという村の人がいるのも事実です。そういう人がいるかぎり、学校は再開しなくてはいけない。そして、いつか村に帰ってくる人もいる。そのときに、学校がないのでは帰るに帰れない。だいいち、学校のない村では誰も住みたいと思うはずがありません。だから、一日も早い村での学校再開を目指しているんです」

主観だけをぶつけ合う議論では解決の糸口はみえてこないのが、放射能被害のようだ。それでも、原発事故をきっかけに「ほんとうの教育」に気づき、とりもどそうとしている飯舘村の姿勢は注目にあたいするのではないだろうか。

次回は、飯舘村の目指している「ほんとうの教育」について、もう少し踏み込んでレポートしてみたい。

撮影・木村圭司

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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