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「自己否定」する文科省に我が子を託せるのか

前屋毅フリージャーナリスト

■英語を話せる日本人が教育の目標か

国公立高校で、数学や理科でさえも英語で教え、海外大学への留学も積極的に促す「スーパー・グローバル・ハイスクール」(仮称)に指定する制度を導入する方針を文部科学省(文科省)が決めたそうだ。『読売新聞』(電子版、5月22日付)は、「早ければ来年度にも導入し、5年間で100校程度の設置をめざす」と報じている。

国内の大学より海外の大学のほうがいいよ、と文科省がいっているようなものである。その国内大学を指揮監督しているのが文科省なのだから、これは自らがやっている「教育」を否定することで、「自己否定」にほかならない。

「社内公用語は英語」などと言いだす企業が目立つなかで、文科省の頭も英語でいっぱいになっているらしい。小学校から英語の授業を導入するとか、英語で授業をする高校とか、どこまで文科省が真剣に考えて導きだした方針なのか疑問をもたざるをえない。

英語の重要性を否定する気など毛頭ないが、英語ばかりに気をとられすぎているのがひっかかる。ちょっと前、外資系企業が幅をきかせていたころ、「英語はペラペラでも仕事の能力は低すぎる」という人たちがたくさんいた。学校までが英語にひっかきまわされるのでは、それと同じ状況に日本全体がなりかねない。

企業にとって大事なことは仕事で成果をだすことであり、学校にとって大事なことは人を育てる教育を実践することである。いまの学校にそれができているかといえば、改めていうまでもなく、惨憺たる状況である。受験にひっかきまわされて人間教育は二の次になっている学校を、今度は英語で引っかきまわそうとしているのが文科省だとしか言いようがない。そして、大事な教育はどんどん二の次、三の次にされていく。

■日本そのものが価値をなくしたのか

文科省より、ずっと早く、日本の学校に見切りをつけた親は少なくない。日本にあるアメリカンスクールに我が子を通わせている親は増えているといわれている。

「東大(東京大学)を卒業したって国際的には役に立たない人ばかり。国際的な企業で活躍してもらうためには、英語とグローバルな視点こそが大事ですからね」と、我が子をアメリカンスクールに通わせている親の一人は理由を語った。当然ながら、アメリカンスクールでは日本語も、日本の歴史も教えてはくれない。そんなものは必要ない、と親たちは考えているのだ。日本の教育も学校も、かくも軽視されている。

アメリカンスクールの小学校、中学校、高校の大半は、文科省が認可しているものではない。だからアメリカンスクールを卒業しても、日本国内では学校教育を終了したとはみなされない。義務教育にいたっては、親は子どもに義務教育をうけさせる義務を法的に負っているので、明らかな法律違反である。

「アメリカンスクールに通わせているといえば、日本の学校は黙認ですよ。法律違反で処罰されたなんて話は、周りでも、まったくありませんよ」と、先ほどの親は笑う。文科省は、日本の教育が否定されているのを黙認しているのだ。

その文科省が、今度は「英語、英語」と騒ぎたてて、日本語や日本の文化を軽視する環境づくりを推し進めようとしている。それで、いいのか?

英語が重要だと考えるなら、小学校での英語授業、数学や理科も英語で授業という前に、現行の中学や高校における英語教育を根本から改めることこそ必要である。そこは無視しておいて英語崇拝の環境に拍車をかけようとしている文科省の姿勢は、ただ目先のことを追うだけで大事なことから目をそらしているにすぎない。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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