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パナソニックはV字回復となるモノづくりができるか

前屋毅フリージャーナリスト

■消費者が欲しがるモノづくり

売るためには消費者が欲しがるものをつくることだ―と書くと、「そんなことは分かりきってる」と反論されるかもしれない。しかし、それが実践できているとはおもえない。

誰もが分かっていて実践しているのなら、「売れない」という声がこんなにも多く聞こえてくるはずがないからだ。「分かりきっている」といいながら、真剣に考えようとせず、「売れるもの」を求めているつもりでも、実際は「売れたもの」を追っているにすぎない。そして、そして誰もが「売れたもの」に群がって不毛な価格競争を引き起こして消耗していく、ということが繰り返されている。「分かりきっている」といいながら、実は「分かったつもり」でしかなく、それを実践するのは実はむずかしい。

28日に中期経営計画を発表したパナソニックは事業部制の復活を宣言したが、実は、そこには「消費者が欲しがるもの」を目指した体制の軌道修正も含まれている。

2002年3月期に創業以来初めてという大赤字に転落したパナソニックは、赤字転落を見越し、脱却を目指した3ヶ年経営計画「創生21計画」を前年からスタートさせていた。そのスローガンとして掲げたのが「破壊と創造」だった。承知のように、この計画は大成功し、パナソニックはV字回復を達成して大いに注目された。

その「創世21計画」において、パナソニックは従来の事業部制を廃止している。事業部制は、「経営の神様」とまでいわれた創業者・松下幸之助が1993年に考案したもので、パナソニックの伝統的な体制であり、それを否定することはタブーとさえいわれていた。しかし当時のパナソニックは、タブーを犯してでも、新しい体制でのV字回復を目指したのだ。まさに「破壊と創造」だった。

■消費者に近づいたことがV字回復につながった

「破壊と創造」を掲げたパナソニックを象徴する組織が、2002年4月に発足した「マーケティング本部」だった。事業部ごとに存在していたマーケティング部門を分離し、独立した組織にしたのだ。当時は冷蔵庫や洗濯機など「白モノ家電」のナショナルと、DVDやデジタルカメラなどAV機器のパナソニックという二つのブランドがあり、マーケティング本部もナショナルマーケティング本部とパナソニックマーケティング本部の二つがあった。

マーケティング部門を分離した狙いは、よりマーケットに近い発想でモノづくりをするためだった。それぞれの事業部に技術部門とマーケティング部門が同居している事業部制では、両者が話し合ってモノづくりをしていく建前になっていたが、実際は圧倒的に技術部門の発言力が強かった。

パナソニックにかぎらず、日本のメーカーでは伝統的に技術部門の発言力が強い。そこでは、「プロダクトアウト」的発想のモノづくりになってしまう。技術部門が「売れる」と主張したものが製品になっていく傾向が強かったのだ。

もちろん技術部門も「消費者が欲しがるもの」を目指しているのだが、その発想はマーケットと乖離しがちだったのも事実だ。「消費者が欲しがるもの」より「技術としておもしろい」という発想が勝ってしまうからである。結果、「消費者が欲しがるもの」を追求したはずが、実は「消費者が欲しいものではなかった」ということになってしまう。あれもこれもと機能をつけて、「使わないし、紛らわしい」という苦情が消費者から寄せられたという話はよく聞かれたものだ。これでは売れるはずがない。

そこで、事業部制を廃してマーケティング部門を独立させることで、モノづくりにおけるマーケティング部門の発言力を大きくした。よりマーケットに近いモノづくり、「消費者が欲しがるもの」をつくる体制を目指したのだ。

■「分かりきっている」ことを実践してみせた

ただ分離しただけで、マーケティング部門の発言力が増すはずがない。パナソニックが画期的だったのは、マーケティング本部が技術部門に依頼して開発した製品のすべてを買い取る体制にしたことだった。

つまり、マーケティング本部が「こういう製品を消費者は求めている」と判断したら、その開発を技術部門に依頼する。そして、できあがった製品はマーケティング本部が全量を買い取るのだ。それが売れなくても、技術部門には何の責任もないし、部門採算的にもマイナスにはならない。採算面をふくめて、すべての責任をマーケティング本部が負うのだ。それだけにマーケティング部門は、「消費者の欲しがるもの」を必死で追求しなくてはならなくなる。

それが成功した。たとえば40ギガバイトのハードディスクを搭載したDVDビデオレコーダーは、生産が間に合わないほどのヒットとなった。当時はハードディスク搭載のDVDビデオレコーダーが主流になりつつあるときで、各社ともハードディスクの録画時間の長さを競っていた。録画時間が長ければ長いほど優れた製品で売れるはずだ、というわけだ。典型的なプロダクトアウト的発想である。

しかしマーケティング本部が発言力をもつパナソニックは、録画時間の長さを競わない製品を投入したのだ。40ギガバイトあれば1日2時間で1週間分は録画できて実用には十分だし、それだけ価格も安く抑えられる。実用と価格のバランスで消費者が欲しがるものは40ギガバイトである、と判断したのだ。もちろん、その答を導くには徹底したリサーチが下地になっていた。プロダクトアウトではなく、マーケットを重視したことによる大ヒットだったのだ。

マーケット重視についても、「そんなことは分かりきっている」と反論されるかもしれないが、DVDビデオレコーダーでも録画時間の長さが競われたように、マーケット重視とは違う方向の競争になりがちなのだ。「分かりきっている」という姿勢だけからは、何も生まれない。分かりきっているつもりにならず、原点から問い直し、実践する体制づくりこそが重要なのだ。

かつてのパナソニックは、「分かりきっている」ことを実践するために、事業部制を廃止して、マーケティング本部が中心となるモノづくりの体制をつくった。それが、V字回復につながったのだ。

そのパナソニックが、事業部制を復活させる。マーケティング本部の機能も、再び各事業部に吸収される。V字回復をはたしたパナソニックが再び赤字に転落したことは、マーケティング本部主体の体制が完全ではなかったことを示している。かといって、過去のプロダクトアウト的発想が強い事業部制の復活では意味がないことも明白だ。過去の事業部制ではない、マーケティング本部体制で学んだことを生かし、新しい可能性を発揮できる事業部制を実現できるのかどうかが、パナソニックの新たなV字回復へのカギをにぎっているといえる。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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