Yahoo!ニュース

アメリカの最高裁判事人事:「保守永続革命」を目指すトランプ政権

前嶋和弘上智大学総合グローバル学部教授
退任を決めた米・連邦最高裁のケネディ判事(写真:ロイター/アフロ)

 アメリカのトランプ政権の連邦最高裁人事に注目が集まっている。というのも際どい判断の雌雄を決めていた中道派判事が引退し、任命次第では過去50年間の様々な多文化的な政策が覆されていく流れが出てくるためだ。7月9日には首都ワシントン連邦巡回区控訴裁判所のブレット・カバノー判事を指名されたが、この人事が承認されるかどうかで、アメリカ政治・社会が一変していく可能性もある。

政治のアクターとしての最高裁判事

 アメリカの最高裁は、違憲か合憲かの判断を日本の最高裁よりも積極的に行い、国の政策や社会的に重要な争点に介入する傾向がある。このため最高裁判事は、米国の政策の方向性を左右し、実質的な政治のアクターとして重要な役割を担っている。

 なぜアクターになりえるのか。それは判事の政治的傾向が極めて明確であり、憲法に基づいた司法審査(judicial review、違憲審査)も頻繁に行うためだ。

 高度な政治的な判断を要する争点については、司法独自の判断を控える日本などの諸国と比較すると、アメリカの裁判所は「司法積極主義」であり、国の政策や社会的に重要な争点について積極的な裁定者となる傾向がある。

 最高裁判事は長官を含めて9人。トランプ政権下では保守派4人、リベラル派4人、中道派が1人だった。アメリカである程度のレベルの大学生なら、この9人の名前だけでなく、イデオロギー的傾向も言い当てることができるほど、政治に深く関与しているのがアメリカの最高裁判事である。

 例えばオバマケアをめぐる2012年の最高裁判決の際には保守派のロバーツ長官がオバマケアを擁護したこともあるように、保守派やリベラル派といっても判決は判事一人一人の裁量が基本だが、それでも明らかに判決に傾向がある。

 というのも、そもそも任命された過程が政治的だからだ。最高裁判事は大統領が任命した後、連邦議会上院が承認する(憲法上は「助言と同意」で決める)。つまり、大統領府と議会のバランス関係で決まってくる。

 アメリカの現在の最高裁判事のうち、リベラル派の4人はいずれも民主党政権(ブライヤー、ギンズバーグがクリントン政権、ソトマイヨール、ケーガンがオバマ政権)、保守派の4人はいずれも共和党政権(トーマスがG・H・Wブッシュ政権、アリトー、ロバーツがG・Wブッシュ政権、ゴーサッチがトランプ政権)のときにいずれも任命、承認されている。

 中道派のケネディは共和党のレーガン政権の1988年に任命・承認されたが、比較的自由に裁定をする傾向で知られている。例えば、同性婚の裁判など、世論を二分する「くさび争点(wedge issue)」ではケネディがスイングボートになってきた。

 この中道派のケネディ判事が81歳という高齢を理由に退任を決めた。ケネディ判事の後任として今回、カバノー氏が指名されたことで、このバランスは一気に崩れるかもしれない。

保守派が多数派を占める可能性

 カバノー氏が指名されたのには明らかな理由がある。カバノー氏は保守派として知られており、G・W・ブッシュ元大統領から高裁判事に指名される前は、同元大統領スタッフの事務方を務めたほか、人工妊娠中絶に否定的で、環境規制の緩和を支持してきたことでも知られている。

 トランプ氏の支持母体であるキリスト教福音派は、最高裁がこれまで行ってきた同性婚、妊娠中絶などについてのリベラル的な判決に強い不満を表明してきた。それもあって2016年の大統領選の期間中から、減税などの政策以上に最高裁判事の任命人事は重要な争点だった。トランプ政権を生んだ原動力は国民の3割ともいわれるこの宗教保守の結束に他ならない。

 前のオバマ政権下では保守派4人、リベラル派4人、中道派が1人だったが、保守派のスカリア判事が2016年2月に死亡し、保守・リベラルのバランスが崩れていた。ただ、当時は、大統領は民主党だったが、上院は過半数が共和党であったという「ねじれ」があったため、オバマ氏が任命した判事は上院で承認されなかった。

 トランプ氏は大統領就任後、保守派のゴーサッチ氏を任命し、上院は僅差だったが、同氏を承認し、リベラルと保守のバランスを保った(ただ、その際、上院は慣例のフィリバスター制度=少数派が多数派を止めることができる制度=の適用を最高裁判事の人事を例外にしたというルールの変更もあった)。

 特筆したいのは、上述のケネディ判事以降もトランプ大統領が行う可能性がある判事任命はこれだけで終わらない点だ。85歳のギンズバーグ氏や、79歳のブライヤー氏など、リベラル派の立場をとる現在の判事には高齢者が多い。健康問題も取りざたされている。いずれも「近いうちに引退するのでは」という話も出ている。

 トランプ氏の大統領任期中、さらにリベラル派から保守派への転換があれば、長期的には最高裁の判決が一気に保守化していくのは火を見るよりも明らかだ。

保守化の流れの延長線上の最高裁

 ウォーレンが最高裁長官を務めた1950年代から60年代のいわゆる「ウォーレン・コート」(1953-1969)や、バーガーが最高裁を勤めた「バーガーコート」(1969-1986)においては、最高裁の9人の裁判官の多くが政治的にはリベラル派であり、最高裁は様々な判決で連邦政府による積極的な社会改革を先導していった。南部諸州の人種分離法に違憲判決を下し、公民権法制定への起爆剤となった「ブラウン対教育委員会」判決(1954年)、被疑者の人権を確保する「ミランダ対アリゾナ判決」(1966年)、人工妊娠中絶を合法化させた「ロウ対ウェード」判決(1973年)など、枚挙にいとまがない。

 一方、1980年代後半から2005年まで最高裁長官を務めたレンキスト長官の時代(「レンキスト・コート」)、そして、2005年から現在までのロバーツ長官の時代(「ロバーツ・コート」)には、保守派の裁判官の数が次第に増え、リベラル派と保守派の裁判官の数が拮抗しながらも、比較的保守的な判決が増えるようになってきた。 トランプ政権が導入した複数のイスラム圏からの入国規制措置を支持する判決を6月末に下したのは象徴的だ。

 この延長線上に今後の司法がある。

最高裁の保守化がもたらすもの

 最高裁判事で保守の勢力が強まれば、これまでのリベラルな政策が訴訟を通じて覆される可能性がある。具体的には、上述の「ロウ対ウェード」判決以来認められてきた妊娠中絶や、2015年の最高裁判決で合法化されている同性婚の容認、医療保険制度改革(オバマケア)などが争点になってくるだろう。

 妊娠中絶などの問題で女性の権利よりもキリスト教的な生命倫理を大切にすることを意味し、キリスト教的な倫理観の地域性を重視し、連邦政府ではなく州レベルの裁定を支持する「州権主義」も顕著になるとみられる。今後同性婚だけでなく、人工妊娠中絶が一部の州では非合法となる可能性すらことがかなり現実味を帯びてきた。

 「小さな政府」を好む共和党の意向を受けて、政府の経済や社会活動に関する介入を控える動きが顕著になるとみられる。連邦から州への権限委譲や、企業に対して規制緩和を進める政策が認められることも考えられる。言葉を変えれば、規制緩和や小さな政府などの政策には追い風だ。

「終身制」の問題

 アメリカの最高裁判事の場合、地位の安定の保障のために、引退や議会で罷免されない以外は「善い行いをしている間は職務につくことができる("shall hold their offices during good behavior")」。つまり、終身制である。日本のような国民審査もない。一度就任した判事は30年以上勤める場合が多い。トランプ大統領は45代だが、ロバーツ長官は17代である。

 終身制のため、かなり長期的にアメリカ社会を変える可能性がある。これはトランプ大統領にとっては自分の政治的遺産を長く残すことができることを意味する。トランプ大統領にとっては、自分の任期を大きく超え、最高裁を通じた永続的な「保守革命」を達成できる機会でもある。

 各省庁の人事についてはトランプ氏の政治任命のペースはこれまで極めて遅いが、連邦地裁や高裁の判事任命はこれまでの各政権よりも早いペースで進めてきた。それには保守派法曹団体の「フェデラリスト・ソサエティ」の影響力も強いが、なんといっても、トランプ氏が意図的に司法に保守を送り込もうとしている結果である。「トランプ後」までもみすえているのだ。

 リベラル派にとっては過去50年間の様々な多文化的な政策が覆されていく可能性があり、強く憂慮する動きがある。そもそも連邦政府を改革するために公民権運動に代表されるような市民運動などの政治活動の第一歩として、裁判闘争戦術が採用されてきたが、これも難しくなるだろう。

 アメリカの政治や社会を一変させる可能性がある最高裁判事人事は今後、どうなるのか。カバノー氏に続く、トランプ大統領の任命、さらには承認を進める上院の動きが大きく注目される。

上智大学総合グローバル学部教授

専門はアメリカ現代政治外交。上智大学外国語学部英語学科卒、ジョージタウン大学大学院政治修士課程修了(MA)、メリーランド大学大学院政治学博士課程修了(Ph.D.)。主要著作は『アメリカ政治とメディア:政治のインフラから政治の主役になるマスメディア』(北樹出版,2011年)、『キャンセルカルチャー:アメリカ、貶めあう社会』(小学館、2022年)、『アメリカ政治』(共著、有斐閣、2023年)、『危機のアメリカ「選挙デモクラシー」』(共編著,東信堂,2020年)、『現代アメリカ政治とメディア』(共編著,東洋経済新報社,2019年)等。

前嶋和弘の最近の記事