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ジャニー氏の性加害「知らなかった」ですむのか 事務所の法的責任と今後の焦点

前田恒彦元特捜部主任検事
(写真:ロイター/アフロ)

 ジャニーズ事務所の創業者であるジャニー喜多川氏の性加害問題は、藤島ジュリー景子社長が謝罪に及ぶなど、新たな展開を迎えている。では、事務所や関係者の法的責任は問えるだろうか。

立件に向けた二重の壁

 まず刑事責任についてだが、元ジャニーズJr.のカウアン・オカモト氏らの被害証言を前提とすると、ジャニー氏を実行犯とした刑法の強制わいせつ罪や準強制わいせつ罪、児童福祉法の児童淫行罪、淫行条例違反などの容疑が考えられる。

 しかし、前のめりになりがちなセンセーショナルな話題ではあるものの、警察が捜査を行う可能性は低く、検察も起訴することはない。刑事事件としては古すぎ、カウアン氏らの件では最も罪が重い強制わいせつ罪ですら大半が7年の公訴時効期間を経過しているとみられるからだ。

 旧来の強姦罪のように女性に対する膣内性交だけでなく、男女を問わず口腔内や肛門内への陰茎挿入まで処罰の対象としている今の刑法の強制性交等罪であれば時効は10年だが、2017年の改正刑法施行前の事件にまで遡ってこの罪を適用することはできない。

 そればかりか、この時効の壁とは別に、肝心のジャニー氏が2019年に他界しており、「被疑者死亡」というさらに高い壁まである。最も事情を知っていたであろう姉のメリー喜多川氏までもが2021年に他界しているわけで、たとえ時効になっていない性加害の事実が判明したとしても、彼らを起訴するための要件を欠いている。

性加害に対する認識が重要

 一方、ジャニー氏ら以外の事務所関係者だが、カウアン氏らの証言を仔細に見ても、ジャニー氏とともに性加害に及んだり、現場に同席して犯行を手助けしたりするなど、共犯であることを明確にうかがわせる事実までは出ていない。

 マネージャーらがジャニー氏の自宅マンションに行くように指示したり、送り届けたりしたケースがあるとしても、幇助犯に問うためには、そのタレントがそこでジャニー氏から性被害を受けると分かったうえであることが重要となる。

 そうすると、事務所関係者らは間違いなく「知らなかった」「まさかそこまでは…」などと否認するはずだ。現にジュリー社長は、謝罪声明の中で、「知らなかったでは決してすまされない話だと思っておりますが、知りませんでした」と釈明している。ジャニー氏とメリー氏だけで事務所が運営されてきたから、性加害の件を含め、重要な情報は2人しか知ることができない状態だったという。

 もっとも、1960年代以降、元ジャニーズ事務所の複数の元タレントらが暴露本や週刊誌の取材などの中でジャニー氏による性加害の事実を繰り返し証言してきた。1999年から2004年までの間は、性加害に関する週刊文春の報道を巡って文藝春秋との間で民事裁判にまで発展し、高裁によりその真実性が認定され、一部敗訴している。

 ジュリー社長の謝罪声明によると、それでもジャニー氏が性加害の事実を強く否定したことから、メリー氏らから「誤解されるようなことはしないように」と厳重注意するにとどまったというが、裁判に関わった役員らを含め、この期に及んでもなお性加害に関する未必的な認識すら全く抱かなかったとは考えにくい。

 それでも、ジュリー社長らの主張を吟味するためには、カウアン氏らの証言だけでは不十分だ。ジャニー氏やメリー氏の供述も必要となるものの、「死人に口なし」であり、もはや捜査など不可能である。

 しかも、たとえ事務所関係者らの共犯性が認められたとしても、ジャニー氏と同じく時効期間を経過しているとみられるから、この点でも刑事責任は問えないだろう。

性加害の具体的な特定も

 さらには、誰の刑事責任を問うにしても、個々の性加害の日時、場所、犯行方法などを証拠に基づいて可能な限り具体的に特定しなければならない。カウアン氏らの被害証言はあっても、古い話だけに記憶の減退や混同なども考えられるから、何らかの物的証拠が求められる。

 週刊文春を巡る民事裁判でも、高裁こそジャニー氏の性加害を認定したものの、一審の地裁は認定しなかった。刑事裁判よりも立証のハードルが低い民事裁判ですら裁判所の判断が揺れたわけだ。しかも、高裁では事務所関係者の関与までは認定されていない。

 これまで性被害を告白した元タレントらの中で警察に刑事告訴までした者は誰もいない。だからこそ、民事裁判では、その告白が本当の話なのか、スター候補として抜てきしてくれなかったジャニー氏に対する意趣返しではないのかが争われた。

 カウアン氏は法的措置を取ることまでは考えていないと述べているが、たとえ今から警察に告訴状を提出したとしても、時効完成や被疑者死亡を理由に返戻されるか、受理されて検察に書類が送付されたあと、性加害に関する事実認定までは行われないまま、形式的要件の欠如を理由に不起訴となって終わるはずだ。

民事上の法的責任は?

 では、民事上の損害賠償責任についてはどうか。こちらのほうが可能性としては考えられるものの、ハードルは高い。

 すなわち、性加害という不法行為に基づく損害賠償責任は、ジャニー氏から唯一の法定相続人である姉メリー氏に相続されたあと、さらにその娘のジュリー社長に相続されたものとみられる。

 しかし、身体を害する不法行為に基づく損害賠償請求権は、被害者が損害及び加害者を知った時点から起算して一定期間が経過すれば時効により消滅する。今回のケースの場合、起算点はよく知るジャニー氏から性被害を受けたとされる時ということになるだろう。

 2020年4月施行の民法改正により、それが2017年3月以前であれば3年、4月以降であれば5年で時効だ。カウアン氏の場合、損害及び加害者を知った最後の被害が2016年ということだから、すでに損害賠償請求権は時効により消滅している。

 そこで、視点を変え、事務所側が性加害の事実を否定して争っていた週刊文春との一件のあともなお性加害が続いていたという点に着目することが考えられる。事務所側がタレントとの雇用契約に基づく安全管理義務を果たさず、被害の拡大防止措置もとっていなかったとして、事務所に対して債務不履行に基づく損害賠償請求を行うというものだ。

 雇用契約の締結も請求権の発生も先ほどの民法改正前のことだから、改正法は適用されず、性加害の時から10年間は権利行使でき、時効の問題もクリアされるだろう。

 ただ、民事裁判だけに警察や検察の手を借りることはできず、個々の性加害の事実や事務所側の安全管理体制の不十分さ、損害との因果関係などを被害者側が証拠に基づいて具体的に主張し、立証しなければならない。特に事務所関係者の性加害に関する認識については立証に苦労しそうだ。

 カウアン氏はこの点でも法的措置を取ることまでは考えていないと述べているから、外野の騒ぎとは裏腹に、カウアン氏に関しては裁判ざたまでには至らないかもしれない。週刊文春との一件でも、被害者らがジャニー氏を訴えたわけではなく、逆にジャニー氏や事務所側が文藝春秋を名誉毀損で訴えたからこそ、民事裁判が行われた。

次の被害証言はあるか

 そこで、今後の焦点は、カウアン氏らの登場が呼び水となり、彼らに続く新たな被害証言がどれだけ出てくるのか、また、ほかの被害者を含め、ジャニーズ事務所に対する損害賠償請求訴訟にまで発展するか否かということになる。すでにジャニー氏とメリー氏という「重し」がなくなっていることから、これを機に事務所関係者による内部告発まで飛び出すか否かも注目される。

 ただ、過去にジャニー氏から性被害を受けていたとしても、カウアン氏らと違って絶対に誰にも知られたくない被害者のほうが多いだろうし、特に事務所をやめていない現役のアイドルであれば、いまの地位を失いたくないという思いのほうが強いはずだ。

 同様の事態が起きないように問題点をすべて洗い出し、再発防止策を打ち立てるためにも、事務所から完全に独立した第三者委員会による調査が望ましいが、彼らには強制力はない。

 どこまで匿名が守られるのか、デリケートな情報だけに証言が外部に漏れた場合には被害者にとって取り返しがつかない事態になるわけだから、被害者の協力が得られないなど、真相解明に向けた困難さも伴うだろう。(了)

元特捜部主任検事

1996年の検事任官後、約15年間の現職中、大阪・東京地検特捜部に合計約9年間在籍。ハンナン事件や福島県知事事件、朝鮮総聯ビル詐欺事件、防衛汚職事件、陸山会事件などで主要な被疑者の取調べを担当したほか、西村眞悟弁護士法違反事件、NOVA積立金横領事件、小室哲哉詐欺事件、厚労省虚偽証明書事件などで主任検事を務める。刑事司法に関する解説や主張を独自の視点で発信中。

元特捜部主任検事の被疑者ノート

税込1,100円/月初月無料投稿頻度:月3回程度(不定期)

15年間の現職中、特捜部に所属すること9年。重要供述を引き出す「割り屋」として数々の著名事件で関係者の取調べを担当し、捜査を取りまとめる主任検事を務めた。のみならず、逆に自ら取調べを受け、訴追され、服役し、証人として証言するといった特異な経験もした。証拠改ざん事件による電撃逮捕から5年。当時連日記載していた日誌に基づき、捜査や刑事裁判、拘置所や刑務所の裏の裏を独自の視点でリアルに示す。

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