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「東のNo.1芸人」とんねるず・木梨憲武の人気の秘密とは?

ラリー遠田作家・お笑い評論家

2018年3月に『とんねるずのみなさんのおかげでした』が終わって以来、とんねるずのコンビとしての活動は一時休止したような状態になっている。

その一方で、木梨憲武は早くから単独で精力的に活動していた。4月には主演映画『いぬやしき』の告知のために数々のラジオ番組やテレビ番組に出演。そのいずれにおいても、自由奔放な振る舞いで共演者たちを驚かせ、視聴者を楽しませていた。『ウチのガヤがすみません!』では、ピンポン玉を連射する機械を芸人たちに向けてスタジオを荒らし回り、『チマタの噺』では笑福亭鶴瓶の話の腰を折りまくり、鶴瓶をあきれさせた。

実は石橋より木梨の方が危険

とんねるずというコンビには「暴力的で偉そう」というネガティブなイメージがついて回っている。そして、一般的には石橋貴明がその負のイメージを一手に背負っている。『日経エンタテインメント!』の「嫌いな芸人ランキング」でも2016年から2018年に石橋が3年連続で1位になっている。

だが、とんねるずのコンビとしての活動を冷静に眺めてみると、ここぞという場面で無茶な行動に出るのはむしろ木梨の方なのだ。『みなさん』の「全落オープン」という芸能人を落とし穴に落とす企画では、木梨が現場レポーターの役を務めていた。

木梨は、いったん落とし穴に落ちて上がってきた芸能人に話を聞くふりをして、再び穴や池に突き落とすといういたずらをたびたび行っていた。ときには、ターゲットになっていないスタッフなどを突然落としてしまうこともあった。

このように、木梨はコントやロケにおいて突発的な行動に出て笑いを取ることがしばしばある。石橋も似たようなことをすることはあるが、石橋の場合には自分がどう見られるかをある程度計算してから動く戦略的な一面がある。木梨の方がより感覚的にその場の判断で動いているように見える。

木梨と石橋の好感度に差がある理由

「柔よく剛を制す」という言葉があるが、石橋が「剛」だとしたら木梨は「柔」である。状況に合わせて柔軟に動きながらも、ときには大胆な行動に出る危なさも秘めている。場の雰囲気を壊さず、あくまでもスマートにそれをやりきるのが木梨の流儀である。

やっていることの暴力性にはそれほど変わりがないのに、なぜ石橋と木梨の好感度にはこれほど差があるのだろうか。それは、2人のタレントとしてのスタンスの違いにあると思う。

石橋は自らの力や能力を誇示して、あえて偉そうに振る舞うことで共演者との関係性を作っていく。いわば、「上から目線」を基調としている。職場などで横行する理不尽なパワハラやセクハラに苦しむ人が多い現代では、そんな石橋のスタンスは嫌われてしまいやすい。

一方、木梨は決して自分の能力をひけらかさない。木梨は多才の人である。コントを演じて、絵を描き、歌を歌い、ものまねもこなす。クリエイティブな活動に関しては、何をやらせても圧倒的な才能を持っている。

ひけらかさない奥ゆかしさが魅力

だが、木梨は決してそれを自慢するような感じでこれ見よがしに見せつけたりはしない。あくまでも軽い感じでちらっと見せるだけだ。この奥ゆかしい姿勢こそが、木梨が芸人の中でも圧倒的におしゃれで魅力的に見える理由だろう。

相方の石橋は昔から木梨の才能を認めていて、「東のナンバーワン」と太鼓判を押している。無尽蔵の才能を秘めた木梨の本領が発揮されるのは、まだまだこれからなのかもしれない。

作家・お笑い評論家

テレビ番組制作会社勤務を経て作家・お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行っている。主な著書に『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)、『この芸人を見よ! 1・2』(サイゾー)、『M-1戦国史』(メディアファクトリー新書)がある。マンガ『イロモンガール』(白泉社)では原作を担当した。

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