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「成功哲学」は一発屋芸人に学べ!

ラリー遠田作家・お笑い評論家

数年前のテレビでは「一発屋芸人」に関連した企画が目立っていたことがあった。かつて一世を風靡した人を何組か取り上げてスタジオに招き、当時大ヒットしたギャグを改めてやってもらったり、最高月収などを告白したりするというのがお決まりの流れになっていた。

その後、一発屋芸人自身が仲間同士で結託しようとする動きが出てきた。レイザーラモンHGと小島よしおが主催して、一発屋芸人を大勢集めてプライベートで「一発屋会」という飲み会を開催したことがあった。これは、完全プライベートの飲み会だったのだが、その様子を各芸人がSNSなどで公開するやいなや、それが世間にも伝わって大きな話題となった。

なぜ「一発屋芸人」関連の企画はある時期まで根強い支持を得ていたのだろうか。人々は一発屋芸人に何を求めていたのだろうか。

一発屋とは「一度は成功した人」である

そもそも一発屋とは、過去に一時的に爆発的な人気を得たものの、それが続かずに落ちぶれてしまった人を指す一種の蔑称である。一発屋をテレビに引っ張り出す企画には、多かれ少なかれ「人気の落ちた人をあざ笑う」という意地悪な意図があることは否定できない。

ただ、一発屋芸人とはそんなに悪いものなのだろうか。実際、「一発屋芸人」に対する世間のイメージと業界内の評価にはズレがあるような気がする。世間では、人気が落ちてしまった人は「失敗した人」と見なされるが、お笑いの世界にいる人はそうは思わない。「一度は成功した人」と見なされる。

芸人は日本全国にザッと1万人以上はいると言われている。その大半が、世間には顔も名前も知られていない。そんな中で、自らの芸でチャンスをつかんでテレビに出て、爆発的な人気を獲得した経験があるというのは、それだけでとてつもないことなのだ。お笑い界では、一発屋芸人は十分に尊敬されているし、愛されている。一発屋だからと見下されるようなことはまずない。

テレビに何度も出て名前が知られるというのは、例えるなら高い山の頂上に登るようなものだ。山頂にたどり着くには、普通は一歩一歩コツコツと登っていくしかない。一方、一発屋芸人は、何らかの力を利用して、山の麓から一気に頂上までワープしてしまったようなものだ。当然、急激な環境の変化に耐えきれず、高山病になったりする人も出てくる。そして、そこにとどまれずに下山してしまった人が、あとから「一発屋芸人」と言われてしまうことになる。

ただ、彼らはライブ中心に活動する多くの若手芸人とは違って、一度はたしかに山頂からの景色を見ている。登頂の経験があるということ自体が業界内では尊敬や憧れの対象となる。そういう人が、一度も上に行ったことがない人よりも高く評価されるのは当然のことだ。

「一発屋」という汚名を背負う覚悟

さらに言えば、「一発屋芸人」というくくりでテレビに出る彼らは、一発屋という汚名を背負う覚悟ができている。不名誉な称号を自ら掲げることで、悪く言われることもたくさんある。それでも彼らは、少しでも人々を楽しませるために、リスクを負って表舞台に出てきている。芸人として、人間として、これほど格好いいことはない。

芸人に限らず、ビジネスで「一発当てること」は、簡単なようで実に難しいことではないだろうか。ある程度のリスクを負って、全力で取り組まなければ結果が出ないのは、お笑いでもほかの仕事でも同じことだ。一般の人も一発屋芸人を見下している場合ではない。道化のふりをして明るくおどけてみせる彼らは、紛れもない「成功者」である。彼らの背中を見て学べることはきっとたくさんあるはずだ。

作家・お笑い評論家

テレビ番組制作会社勤務を経て作家・お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行っている。主な著書に『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)、『この芸人を見よ! 1・2』(サイゾー)、『M-1戦国史』(メディアファクトリー新書)がある。マンガ『イロモンガール』(白泉社)では原作を担当した。

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