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テレビの現状にも前向き! デーブ・スペクターがテレビに出続ける理由

ラリー遠田作家・お笑い評論家

新型コロナウイルス感染症に関する緊急事態宣言が延長され、日本中が終わりの見えない不安の中にある。そんな状況下で人々に癒やしをもたらすのは、いつも通りの日常を感じさせてくれるような他愛のないものだったりする。その1つがデーブ・スペクターのツイートである。

ピリピリしたムードで政権批判や政策論争が交わされているツイッター上で、デーブだけが今までと変わらず淡々としたペースでダジャレのツイートを連発している。本校執筆時点で最新のツイートは「南こうせつが今のテレビ事情を歌う→リモートよ~」(5月7日)だった。

デーブは、見る人を楽しませるためのツイートしかしないというのが信条なのだが、不意にダジャレ以外の中身のあるメッセージを発信することもある。5月5日にはこんなことを書いていた。

いまのテレビを見ていると、ドラマの再放送や、バラエティの総集編が、なかなか楽しい。きっといまは、楽しいことを復習する時間。コロナの出口が見えてきたら、楽しいことを予習しはじめましょう。

出典:デーブ・スペクター(@dave_spector)のツイート(5月5日)

このツイートは大反響を巻き起こし、1万件以上の「いいね」を獲得した。新たな収録ができないために再放送や総集編が増えているテレビの現状について、前向きに捉えてメッセージを発したことが評判を呼んだ。

デーブの本業がテレビプロデューサーであるということを考えれば、彼のこの書き込みの内容にも納得がいく。彼はもともと日本のテレビの面白さに魅了されて日本に住むことになり、日米のテレビに精通した敏腕のプロデューサーとして活動していた。

そう、デーブの正体はただの「陽気なダジャレおじさん」ではない。彼がそれだけの存在に過ぎないのであれば、30年以上もテレビの世界で生き残れるはずもない。本稿ではデーブの現在までの経歴をたどりながら、彼の知られざる功績について解説していきたい。

デーブはアメリカ・イリノイ州のシカゴに生まれた。幼少期に日本人の友人が見せてくれた日本のマンガに興味を持ち、日本語を学ぶようになった。上智大学への留学を経て、いったんアメリカに帰国。アメリカの三大テレビネットワークの1つである『ABC』でプロデューサーとして働くことになった。そして、日本各地の取材や日本のテレビ番組の映像買い付けのために、1983年に再び来日した。

知り合いの紹介で『笑っていいとも!』(フジテレビ系)のプロデューサーを務めていたフジテレビの横澤彪に出会い、バラエティ番組に呼ばれるようになった。白人なのにやたらとしゃべりが流暢で、他愛もないダジャレを連発するデーブのキャラクターは斬新だった。当時はケント・デリカット、ケント・ギルバートなどもよくテレビに出ていて、ちょっとした外国人タレントブームがあった。デーブもその一翼を担う存在だったのだ。

彼にとって転機となったのは『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)に出演したことだった。何しろ彼の本業はテレビプロデューサーである。デーブがこの番組で社会問題について鋭い意見を言うのを見て、イメージが変わったと感じる視聴者も多かった。これを機に、情報番組やニュース番組などのコメンテーターとして呼ばれることが増えていった。

今もデーブはタレント業のかたわら、海外のニュース映像を日本のテレビ局に売ったり、日本の番組を海外に売り込んだりする仕事を手がけている。

情報番組でデーブが海外のニュースを紹介するとき、その映像や写真に「提供:スペクター・コミュニケーションズ」とクレジットされていることがあるのをご存じだろうか。株式会社スペクター・コミュニケーションズとはデーブの会社の名前である。本人の会社で映像使用の許諾を得て、それをテレビ局に提供しているのだ。

デーブが出ていない番組でも、この会社から提供された映像が使われていることはよくある。マイケル・ジャクソン死去、アメリカ同時多発テロ事件など、海外で大きな事件があるたびに、彼の会社には各局からひっきりなしに問い合わせが来て、デーブは寝る間もないほどの多忙な日々を送ることになる。彼は日本のテレビ制作を陰で支えているのだ。

デーブの功績はこれだけではない。例えば、かつて『クイズ$ミリオネア』(フジテレビ系)という番組があった。みのもんたが司会のクイズ番組である。これはもともとイギリスの視聴者参加型番組だった。日本でも同じような企画とセットで放送していたのだが、初めの頃はなかなか数字が取れなかった。

そこでデーブは「解答者を一般人ではなく芸能人にしてみたらどうですか?」とプロデューサーに提案した。プロデューサーがこの提案に従ったところ、視聴率は急上昇。今も語り継がれる人気番組へと成長したのである。

デーブにはこのような逸話が山ほどある。日本のテレビ局が海外ドラマを輸入するときには、どのドラマが日本人にウケると思うか、日米のエンターテインメント文化に精通したデーブに相談するのが通例になっているという。『24』や『ER』といった海外ドラマが日本で大ヒットしたのもデーブの進言によるものだ。

大阪の番組で橋下徹と共演した際に、すぐにその才能を見抜き、自分の事務所に所属させてタレントとして売り出したのもデーブである。(その後、橋下はスペクター・コミュニケーションズを辞めてタイタンへと移籍した)

さらに、デーブは鳩山由紀夫のために「政権交代」というキーワードを考案したことがあった。これを武器に民主党は選挙で大勝利を収め、政権を握った。テレビから政治まで、日本のすべてはデーブの手の中にあると言っても過言ではないのである。

そんな彼は、日々情報収集に余念がなく、多忙な毎日を送っている。食事をする時間ももったいないので、ハンバーガーなど片手で食べられるものを好む。食べながら新聞、雑誌などの資料に目を通す。デーブの元には日本だけでなく、海外からも大量の新聞や雑誌が毎日国際郵便で届けられる。膨大な情報を吸収して時代の空気を読み、テレビで話す内容を決めたり、新しい企画を考えたりしている。

実は日本有数のメディアプロデューサーであるデーブ。そんな彼のすごさが世間に今ひとつ伝わっていない最大の理由は、彼自身がそれをひけらかさないからだ。デーブは自分を良く見せることに一切興味がなく、自慢をしたり偉そうに振る舞ったりしない。だからこそ、世間からは誤解されることも多い。

しかし、テレビスタッフや共演者などの身近にいる人たちは、彼の本当のすごさがよく分かっている。あらゆる情報に精通している上に、人柄も気さくなデーブは多くの業界人から揺るぎない信頼を得ている。

「能ある鷹は爪を隠す」と言われるが、デーブほど徹底的に隠している人も珍しい。自分を良く見せることにこだわらず、人を楽しませ、人の役に立つことだけを続けてきたデーブ。厳しいコロナ時代を生きる私たちが学ぶべきなのは彼のこの姿勢である。あのダジャレのセンスだけは学ぶ必要はないかもしれないけれど。

作家・お笑い評論家

テレビ番組制作会社勤務を経て作家・お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行っている。主な著書に『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)、『この芸人を見よ! 1・2』(サイゾー)、『M-1戦国史』(メディアファクトリー新書)がある。マンガ『イロモンガール』(白泉社)では原作を担当した。

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