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品川祐は「おしゃクソ事変」でどう変わったのか?

ラリー遠田作家・お笑い評論家

本日4月26日は品川庄司の品川祐の誕生日だ。品川はマルチな才能を持った芸人として幅広い分野で実績を残してきた。そんな彼は、ある時期まではバラエティタレントとしても順調に活躍していた。

品川庄司は『爆笑オンエアバトル』(NHK)などのネタ番組で漫才の実力が評価され、2001年には初の冠番組『品庄内閣』(TBS系)が始まった。その後、品川は「ひな壇」を自らの主戦場と位置付け、『アメトーーク!』(テレビ朝日系)などのトークバラエティ番組を中心に頭角を現し始めた。

ひな壇で求められていることは何なのか、何を言えば目立てるのか、編集でカットされないためにはどうすればいいのか、徹底的に研究と試行錯誤を繰り返した。そしていつしか「ひな壇芸人」の代名詞と言われる存在にまで上り詰めた。

「ひな壇」という確固たる地盤を得てからは、ブログ本、旅行記、料理本などの出版、小説の執筆、映画制作といった多方面での活動に乗り出した。小説や映画は大ヒットを記録して、品川はマルチな才能を持ったクリエイター気質の芸人としても認知されるようになった。

だが、2007年放送の『アメトーーク!』で有吉弘行が放った「おしゃべりクソ野郎」という一言から、彼の運命が変わった。有吉が品川にそんなあだ名をつけたところ、客席が揺れるほどの大爆笑が起こったのである。

実は、視聴者もスタジオにいた観客も、誰もがみんな潜在的に品川のことを「何となく鼻につく」と感じていた。その言葉になっていない感覚を有吉が「おしゃべりクソ野郎」という言葉で端的に表現してくれたことで、多くの人が膝を打った。

この「おしゃクソ事変」を機に、品川の運命はがらりと変わった。ここから品川は「嫌ってもいい人」という扱いになった。品川自身は何も変わっていないはずなのに、彼に対する世間の見方が変わった。

主戦場としていたひな壇の仕事も徐々に減り始め、バラエティでは品川を見かける機会が年々少なくなっていった。「嫌ってもいい人」という扱いになったことで本人も自信を失っていき、それまであったように見えた人気も泡のように消えていった。

さらに追い打ちをかけるように『アメトーーク!』では東野幸治がプレゼンターを務めた「どうした!?品川」という企画が行われた。世間に嫌われていることに気付き始め、すっかりおとなしくなった品川を励ますふりをして褒め殺しにするという新たな試みだった。

現在では品川がテレビに出る際には「嫌われ者」という役割を与えられることがほとんどだ。苦笑いを浮かべて自虐的な発言を連発している。

ただ、それはあくまでもテレビの中だけの話。クリエイターとしての彼は今でも精力的に活動している。映画やドラマの監督を務め、オンラインサロンを運営し、YouTubeチャンネルでも動画を配信している。

2019年9月4日、音楽用の小さいホールで開催された品川のライブ『愛する人への手紙~ピアノの調べにのせて~』を見に行った。ピアノの生演奏をバックに、品川が愛する人やモノに向けて書いた手紙を朗読していた。彼の作る笑いのエッセンスが凝縮されたような見事な内容だった。

嫌われ芸人の汚名を背負わされたことはもちろん本意ではないのかもしれないが、現在の品川は余分な背伸びや気負いを捨てて、本当に自分がやりたいことに集中できているように見える。いま振り返ってみれば、「おしゃクソ事変」は彼を芸人として一段進化させるための荒療治だったのかもしれない。

作家・お笑い評論家

テレビ番組制作会社勤務を経て作家・お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行っている。主な著書に『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)、『この芸人を見よ! 1・2』(サイゾー)、『M-1戦国史』(メディアファクトリー新書)がある。マンガ『イロモンガール』(白泉社)では原作を担当した。

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