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「冬のソナタ2」を作らない理由~ユン・ソクホ監督が明かす韓流ブーム15年の変化、BTS、主人公の今~

桑畑優香ライター・翻訳家
2004年11月ペ・ヨンジュン来日。成田空港には3500人以上のファンが出迎えた(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

「素敵ですね」

インタビュー前にあいさつをすると、身に着けていたワンピースを見て、ユン・ソクホ監督がにっこり笑った。

そのワンピースは、インタビューの前日、新宿近くの商店街にあるセレクトショップで買ったものだった。「冬のソナタ」を見て韓国に興味を持った女性が50歳を過ぎてからオープンした、韓国の服やアクセサリーを輸入して売る店だ。

ペ・ヨンジュンとチェ・ジウが主演の「冬のソナタ」がNHK地上波で放送されたのは、2004年のこと。多くの中高年女性の心をとらえて「ヨン様ブーム」を巻き起こし、「冬のソナタ」は同年の日経トレンディヒット商品ランキング1位となった。

あれから15年。日韓関係は政治と歴史問題のはざまで揺れる一方で、K-POPが流行し10代を中心とした第三次韓流ブームがうねりを見せている。

韓流ブームの火付け役と言われるユン・ソクホ監督は、「その後」の日本をどんな思いで見つめているのか。また、「冬のソナタ」に続編はあるのか。東京を訪れた監督に聞いた。

日本に来ると、今でも「冬のソナタ」についての質問を受けるというユン・ソクホ監督。「ずっと話題が続いているような気がして、15年が過ぎたような感じがしません」(著者撮影)
日本に来ると、今でも「冬のソナタ」についての質問を受けるというユン・ソクホ監督。「ずっと話題が続いているような気がして、15年が過ぎたような感じがしません」(著者撮影)

日本人が見るとは1%も想像していなかった

――このワンピースを買った店のオーナーは、ペ・ヨンジュンさんのファンなんです。「冬のソナタ」がきっかけで、40代で韓国語を学び始め、今ではソウルの問屋街、東大門に一人で買い付けに行っているそうです。

ありがとうございます。うれしいですね。私は北海道によく行くのですが、札幌にある知人がいます。その方は、中学生の頃に母親が「冬のソナタ」が好きで、一緒に見ていたらハマってしまったそうです。大学は英文科を出たのですが、アメリカやイギリスではなく韓国に留学し、韓国語を学んで、今は通訳などの仕事をしています。韓国の友達とSNSで連絡を取り親交を深めているそうです。たった一つのドラマがひとりの人生を変えることがある。感慨深いですね。

――「冬のソナタ」を作った時、こんな未来を想像していましたか。

想像していませんでした。いろいろなところでそういう方に会うたびに、ありがたく思っています。よい方向に人生が変わっていることが多く、うれしいです。ドラマは、日本人と韓国人が出会うきっかけにもなりましたよね。

私もそうですが、韓国人が日本を訪れ、日本文化を知るようになった。政治においては暗い部分も多いですが、日本と韓国は隣同士で、引っ越すわけにもいきません。一般の人たちが文化を通じて思いを分かち合い、ポジティブに変わっていくようになった。そんなふうに感じています。

――そもそも「冬のソナタ」は何をモチーフにして始めたドラマだったのですか。監督自身の経験をベースにしたのでしょうか。

ただ、私が好きなことを表現したい、と。前作の「秋の童話」(2000年)と同じように、美しい愛の物語を描こうとしただけでした。私も主人公と同じように、高校の時に初恋を経験したので、初恋の感情が自然に投影されていたのかもしれません。

――ドラマは中高年の日本の女性たちに支持され、大ブームとなりました。

日本人が見るとは、1%も思っていませんでした。ところが、韓国よりもむしろ日本で大きな反響を得ました。全く想像できなかったことで、私もすごく不思議でした。

そんな中、「社会的な状況からくる要求があった」とブームを分析している日本の記事を読みました。「戦後、団塊の世代が一生懸命生活し、ある程度年を取った時、過去に対するなつかしさを思い出した。それをドラマが捉えた」と。なるほど、と思いましたね。

哲学的に話せば、彼女たちは時を重ねた人たちで、時が経てば人も物も変わるのは自然なことです。初恋を経験する10代に大切なのは、相手が誰なのかだけではなく、自分自身が持っている純粋さ。年齢を重ねた女性たちは、初恋の感情に対するなつかしさを心の中に抱いているのです。「冬のソナタ」は、そのなつかしさを描いたことにより、共感を得たのでしょう。昔に戻ることは不可能です。でも、純粋で美しいものを愛する気持ちをドラマを通じてもう一度味わうことで、心が洗われたのだと思います。

2018年11月に東京で開催された「Drama Original Sounds Korea 2018」では、「冬ソナ」挿入歌を作曲したイ・ジス(右端)らと再会。左から4人目が監督(提供:韓国コンテンツ振興院)
2018年11月に東京で開催された「Drama Original Sounds Korea 2018」では、「冬ソナ」挿入歌を作曲したイ・ジス(右端)らと再会。左から4人目が監督(提供:韓国コンテンツ振興院)

ユン・ソクホ監督には、これまでもインタビューや会見の取材で何度も会ったことがある。トレードマークの帽子、そして「冬のソナタ」でペ・ヨンジュンが演じた主人公、チュンサンをほうふつとさせるスカーフと眼鏡というファッション。穏やかな語り口も変わらないままだった。

だが、変化を感じる点もあった。チャン・グンソクと少女時代のユナ主演の「ラブレイン」(2012年)以来、ドラマは手がけていないのだ。

韓流の世界化はマーケティングの成果

――監督自身の15年を振り返ると、どんな変化がありましたか。

韓国で制作されるドラマが、すごく変わりました。先ほども申し上げたように、時がたつと物事が変化するのは自然なことです。私は「秋の童話」「冬のソナタ」のように純粋な作品を作っていましたが、そのようなブームがいつまでも続くわけではありません。今は、ミステリーや職業ドラマ、まるで映画のように大掛かりなドラマ、ハードボイルド風のドラマなど、刺激的な作品が流行するようになっています。

状況が変わり、私は難しい壁にぶつかっています。私も年を重ねたので「冬のソナタ」のように若者たちの物語よりも、生活に根差したドラマを作るようになるのが自然の流れかもしれませんが、生活感があるストーリーよりもファンタジーが好きなのです。だから、最近は自分の考えを作家主義として盛り込める映画のほうにフォーカスしています。それが一番大きな変化ですね。

しばらく映画に集中し、最終的にはドラマに戻りたいと思っています。2017年に日本で「心に吹く風」という映画を作ったので、次は韓国でやるか、日本でやるか。アイディアを練っているところです。

――2009年には、監督ご自身の結婚という、プライベートでも大きな変化がありました。作風にも影響は感じますか。「結婚して本当の愛を知った」とか?

それを話し始めるとすごく深くなってしまいますが、簡単に言うと変わりましたね。恋人同士の時はときめきだったものが、結婚すると日常になります。以前はどこに行っても一人だったのですが、今はいつも誰かがそばにいるので共有する時間が増えました。創作活動にも影響はあります。ファンタジーを作りたいけれど、自然と日常が入り込んでくる。

また独りに戻ったほうがいいでしょうか。……冗談です(笑)。

――この15年間で、日本における韓流も大きく変わりました。今、TWICEをはじめとするK-POPが日本で流行していることも、原点には冬のソナタの成功があったと思います。

初めて門を開いたのは確かに「冬のソナタ」でしたが、その後「宮廷女官チャングムの誓い」がヒットし、その後K-POPにブームが広がっていきましたよね。今は、コスメやファッションも人気があるというのは聞いています。それはもはや「冬のソナタ」だけの影響ではないような気がします。韓国の中に存在する文化が互いに影響を与え合い、さらに日韓の交流が深まることで、そこから生まれたものではないでしょうか。

――世界中でBTSがブームとなっていますが、監督もBTSを聴いたことがありますか。

YouTubeでよく聴きますよ。どうしてこんなに話題になっているんだろう、って(笑)。「FIRE」という曲が好きです。

――「冬のソナタ」をヒットさせた監督は、彼らの人気の理由をどのように分析されていますか?

カッコいいからじゃないですか(笑)。ダンスに情熱を感じます。見ているだけで、気合いが伝わってくる。論理的に説明がつくものではなく、とにかくカッコいい。音楽的な部分よりもダンスやミュージックビデオなど視覚的な部分に惹かれています。

すべてのことは、一日で成るものではありません。ブームが起きる時には、その前に積み重ねられたものがあるはずです。プロデューサーや作曲家の能力が大きいと思います。魅力的なアーティストを集め、彼らの個性を生かしたプロデュースをする。そして、BTSのメンバーそれぞれが自分の魅力を存分に表現する。そんなマーケティングが成功しているのでしょう。

「冬ソナ」の挿入歌「My Memory」を歌うRYU。多くの「冬ソナ」ファンが訪れたコンサートの座席は、3倍の抽選に。杖をついて歩く人の姿もあった(提供:韓国コンテンツ振興院)
「冬ソナ」の挿入歌「My Memory」を歌うRYU。多くの「冬ソナ」ファンが訪れたコンサートの座席は、3倍の抽選に。杖をついて歩く人の姿もあった(提供:韓国コンテンツ振興院)

最後に聞いてみたかったのは、「冬のソナタ」には続編があるのか、ということだった。2015年に、韓国のメディアが「『冬のソナタ』の制作会社が続編を作ると発表」と報道したが、進捗について詳報は伝えられていない。

思い切って監督に尋ねてみると、ためらうことなく率直な答えが返ってきた。

サンヒョクの物語を作りたかった

――以前、「冬のソナタ」の続編が作られるという報道がありましたが、現状は?

数年前、「冬のソナタ2」を作ろうというオファーをいただきました。私が監督をするのであれば、物語を考えなければならないのですが、正直に言うと私自身にアイディアがない状態なのです。だから、私には自らメガホンを取ろうという思いはありません。

というのは、続編を想像した時に頭に浮かぶのは、サンヒョクの物語だからです。チェ・ジウ扮するユジンとの恋に破れたサンヒョクのその後の人生には、いろいろなことがあったはず。彼を軸にストーリーを作りたかった。でも、サンヒョクを演じたパク・ヨンハさんが世を去ってしまい……残念です。

――「冬のソナタ2」をあえて想像するとすれば?

美しい物語はいつも、「ふたりは結婚しました」で、終わります。その後の話は、それ以上に美しくなり得るでしょうか。

実は「冬のソナタ2」のオファーがあった時、こんなことを考えていました。「冬のソナタ」の主人公は、親世代の影響を大きく受けていました。彼らの子どもたちも同じように、親の影響を受けながら、恋愛関係が生まれることもあるかも、と。チュンサンやサンヒョクが親になり、その子どもたちが出会い恋をする。そうなると、チュンサンを演じるヨン様が父親役になりますね(笑)。

――監督の心の中のチュンサンやユジン、サンヒョクは、現在どんな人生を歩んでいるでしょうか。

彼らも、40代半ば。つらい思いを経てやっと再会したチュンサンとユジンは、結婚しているはずです。チュンサンは目が不自由ですが、アートの仕事をしていると思います。もともと建築家なので、創造力を生かして芸術を生み出す仕事を。ユジンは、インテリアデザイナーの経歴を生かして、素敵なキャリアウーマンとしてバリバリ活躍していることでしょう。

サンヒョクは……(一瞬言葉に詰まりながら)、きっと彼の父親と同じように大学教授になっているはず。彼の性格から察すると、文学の先生かな。あのドラマの主人公それぞれが、今を真摯に生きている。そう信じています。

■ユン・ソクホ監督

1957年6月4日生まれ。1985年にKBS入社。1992年にドラマ「明日は愛」で監督デビュー。「秋の童話」(2000年)をはじめ、「冬のソナタ」(2002年)「夏の香り」(2003年)「春のワルツ」(2006年)の“四季シリーズ”を手がけた韓流ブームの立役者。際立つ色彩感覚と美しい映像に定評がある。2017年には初の劇場映画「心に吹く風」の監督・脚本を担当。同作は第58回アジア太平洋映画祭で審査員特別賞を受賞した。

ライター・翻訳家

94年『101回目のプロポーズ』韓国版を見て似て非なる隣国に興味を持ち、韓国へ。延世大学語学堂・ソウル大学政治学科で学ぶ。「ニュースステーション」ディレクターを経てフリーに。ドラマ・映画レビューやインタビューを「現代ビジネス」「AERA」「ユリイカ」「Rolling Stone Japan」などに寄稿。共著『韓国テレビドラマコレクション』(キネマ旬報社)、訳書『韓国映画100選』(クオン)『BTSを読む』(柏書房)『BTSとARMY』(イースト・プレス)『BEYOND THE STORY:10-YEAR RECORD OF BTS』(新潮社)他。yukuwahata@gmail.com

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