Yahoo!ニュース

ナワリヌイ暗殺未遂に使われたのは「ノビチョク」 ~プーチンの終身大統領化で暗殺工作もイケイケ状態

黒井文太郎軍事ジャーナリスト
歯向かう者は徹底的に叩き潰すプーチン終身大統領 PHOTO/kremlin.ru

使用された毒物はロシアの「ノビチョク」

 9月2日、ドイツ政府は、ロシアの著名な反体制活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏が毒物を盛られて重体に陥っていた件で、「神経剤ノビチョク系が使われた証拠がある」と発表しました。ドイツの軍研究所で血液サンプルを検査した結果ですが、これでロシアによる毒殺未遂はほぼ決定的と言っていいでしょう。

 そこで注目されるのは、今回の犯行の狙いです。

 ナワリヌイ氏はきわめて活発な行動で知られる活動家で、これまでもプーチン政権には目の敵にされており、何度も拘束されてきています。拘束中に毒物中毒状態に陥ったこともありました。

 なので、プーチン政権からすれば、これまでも暗殺検討リストの常にトップにいたはずの人物です。しかも行動はほとんどオープンにしていますから、殺そうと思えばいつでも殺せたはずです。

 ロシアではこれまでも、反体制派の暗殺・暗殺未遂や、暗殺とみられる不審死が多発しています。

※参考

軍用神経剤による暗殺、ニセ情報工作、傭兵部隊工作~プーチンの悪事のデパート「ロシア情報機関」(前編)/黒井文太郎 | 2018/3/15

 しかし、彼はあまりに表で堂々と活動していたため、バレバレの暗殺に対してはプーチン政権側も慎重だったものと思われます。

ベラルーシ情勢との関連は考えにくい

 けれども、今回、プーチン政権は彼の暗殺を試みました。その狙いについて、最近のベラルーシ情勢との関連を指摘する声もあります。

 ベラルーシでは8月9日の大統領選挙で、長期独裁体制を続けてきたルカシェンコ大統領が不正によって当選を宣言したとされ、大規模な反政府デモが続いています。これに対し、プーチン政権はルカシェンコ支援に動いています。ロシアの近隣国で、国民の声によって強権体制が倒れる状況が生じることを、プーチン大統領は恐れているからでしょう。

 しかし、それとナワリヌイ暗殺は、あまり直接的には結びつきません。ベラルーシ情勢の行方や、ロシアの介入の今後についてはまだ予測がつきませんが、それでナワリヌイ氏がロシア国内でいっきに勢いを得るということまでは、現実には考えにくいです。プーチン政権がベラルーシ情勢に焦って、そんな効果のあまりないことを急ぐという流れは、どうも違和感があります。

暗殺工作には準備期間が必要

 仮にベラルーシ情勢を受けての計画だとしたら、タイミングも早すぎる印象です。

 ベラルーシ大統領選は8月9日。対抗馬のチハノフスカヤ候補が、ルカシェンコ政権の圧力でリトアニアに脱出したのが同11日。それからさらに反政府デモが拡大し、ルカシェンコ大統領は徐々にピンチに陥ります。それでプーチン政権がルカシェンコ支援に裏で動き始めたという流れです。

 それに対して、ナワリヌイ氏がノビチョクを盛られたのは、8月20日です。ナワリヌイ氏の行動はオープンですから、やってやれないことはないかもしれませんが、ノビチョクを使用するなら準備にそれなりに時間が必要でしょう。ナワリヌイ氏が最初に運び込まれる可能性の高いロシア国内の病院へは、事前に口止めの根回しも進めておきたいところでしょう(これが今回なされたか否かは不明)。

 いずれにせよ、ロシア当局によるこれまでの暗殺・暗殺未遂、あるいは暗殺の可能性の高い数々の不審死事案を振り返ると、どれもそれなりに時間をかけて綿密に準備されていた形跡があります。ロシア国外での作戦だと1年以上という例もありますが、ロシア国内でも行き当たりばったりな犯行という印象の事件は、あまり見られません。

7月1日のプーチン終身大統領化が引き金か

 その点、タイミング的にぴったり合うのは、プーチン大統領が事実上、終身的な権力を確たるものにした7月1日の国民投票でしょう。

 もともとプーチン大統領の任期は2024年でしたが、今年1月、プーチン氏本人が大統領職の規定を変更する憲法改正を提案。同3月にロシア議会が関連法案を承認し、同7月1日の国民投票で承認されました。これによりプーチン大統領には、最長で2036年まで大統領職を続けられる道が開かれました。現在67歳のプーチン大統領は、2036年には83歳。事実上の終身大統領といえます。

 こうなれば、プーチン大統領とその配下たちに、もはや怖いものはありません。多少手荒なことをして、仮にそれが露呈しそうになっても、力で抑えこめば問題ないと勢いづいても不思議ではありません。

 そこで目の上のタンコブだったナワリヌイ氏を消してしまおうという話になったのだとすれば、仮に7月上旬に計画をスタートさせた場合、8月20日の犯行はタイミング的に合います。

 以上は、犯人側の内部情報があるわけではない、あくまで推測の段階ですが、動機的にもタイミング的にも筋が通っています。

 つまり、プーチン大統領の権力の増大を背景に、暗殺を含むダーティな破壊工作に歯止めが一切なくなっている可能性が高いということです。

軍事ジャーナリスト

1963年、福島県いわき市生まれ。横浜市立大学卒業後、(株)講談社入社。週刊誌編集者を経て退職。フォトジャーナリスト(紛争地域専門)、月刊『軍事研究』特約記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て軍事ジャーナリスト。ニューヨーク、モスクワ、カイロを拠点に海外取材多数。専門分野はインテリジェンス、テロ、国際紛争、日本の安全保障、北朝鮮情勢、中東情勢、サイバー戦、旧軍特務機関など。著書多数。

黒井文太郎の最近の記事