軍用神経剤による暗殺、ニセ情報工作、傭兵部隊工作~プーチンの悪事のデパート「ロシア情報機関」(前編)

シリアを訪問したプーチン。ここでロシア軍はシリアの一般住民を殺戮しまくっている

ロシアしか作っていない最強神経剤「ノビチョク」

 3月4日、元ロシア情報機関「軍参謀本部情報総局」(GRU)大佐のセルゲイ・スクリパルとその娘が、英国南西部の町・ソールズベリーのショッピングセンターで瀕死の状態で発見されました。スクリパルは90年代半ばからイギリス情報機関「MI6」の二重スパイとして密かに活動していましたが、2004年にロシア秘密警察「連邦保安庁」(FSB)により逮捕。その後、2010年に米ロの間で行われた拘束スパイ交換で英国に引き渡され、ひっそりと潜伏生活を送っていました。

 捜査の結果、スクリパルは何者かに「ノビチョク」という神経剤を投与されていたことが判明しました。ノビチョクは70~80年代に旧ソ連が開発した化学兵器で、同じ神経剤のVXの5~10倍もの毒性があります。もともと2つの前駆物質を混合することで毒性を持つバイナリ型という方式の化学兵器で、前駆物質で取り扱うことによって保管・運搬の安全性が保たれるとともに、危険な化学物質であることを偽装することも容易になります。液体・固体・粉末として使用可能で、基本的には即効性ですが、投与方法の細工によって効果を遅らせることも可能です。

 もとよりロシア独特の化学兵器ですから、今回の「暗殺未遂」に対しては、英国のメイ首相も、ロシアに責任があると断定し、「ロシア政府による英国に対する違法な武力行使に相当する」として、14日には、報復措置として23人のロシア外交官(英国情報機関がいずれもロシア情報部員と判断している要員)に国外退去を要請する方針を発表するとともに、今年開催されるサッカーW杯ロシア大会に英国からは王室メンバーおよび閣僚が出席しないことも発表しました。

 これまでもロシア国内外で、プーチン政権に都合の悪い人物が殺害されたり不審死したりするケースは多く、その多くがロシア情報機関の犯行であるとみられています。

暗殺未遂の動機は「見せしめ」

 今回の件で、ロシアは公式には否定していますが、ロシア情報機関による犯行であることは、ほぼ確実でしょう。被害者はもう諜報戦の現場から身を引いて年月が経っていますから、何かの口封じで殺害されたというよりは、ロシアは裏切りを絶対に許さないことを身内に示す目的の暗殺の試みと思われます。

(ちなみに、スクリパルが、MI6の元ロシア部長で米大統領選時に米民主党の依頼でトランプとロシアの関係を調査したクリストファー・スティールと関係があったとの情報もあり、そのスティールの活動が今回の暗殺未遂の原因ではないかとの憶測もあるようですが、亡命した二重スパイが英国情報部OBと関係があること自体は不思議でもなんでもなく、今回の暗殺未遂の原因とみるには根拠が弱いといえます)

 イギリスには多くのロシア人が暮らしており、中には裏社会と関係を持つ人間もいますが、今回の暗殺未遂は、軍事用の化学兵器を使うことで、ロシア情報機関はそれが犯罪絡みの殺人ではなく、ロシア情報機関による処刑であることを強く印象づけることになります。つまりは「見せしめ」です。

 しかも、今回の暗殺未遂は、裏切り者本人だけでなく、その娘も巻き添えにしています。また、殺人か否かは不明ですが、被害者の息子や兄弟も立て続けに不審死を遂げています。仮にロシア情報機関による殺人とすれば、きわめて残虐な「見せしめ」です。

 冷戦時代の東西スパイ合戦では、拘束スパイの交換で引き渡された元スパイに関しては、互いの報復合戦を防ぐため、互いに手を下さないという暗黙のルールがありましたが、いまや「皇帝」状態のプーチン大統領に率いられるロシア情報機関は、もはやそんな遠慮は一切しないようになっているようです。

イギリスで続発する亡命ロシア人の不審死

 なお、この事件後の3月12日には、やはりイギリス・ロンドンでロシア人亡命者の実業家であるニコライ・グルシュコフが、自宅で不審死を遂げました。グルシュコフは反プーチン派の大物実業家だったボリス・ベレゾフスキーの側近で、やはり反プーチン派に連なる人物でした。ベレゾフスキーは2001年にイギリスに亡命していましたが、2013年にやはり自宅で不審死を遂げています。自殺の可能性も取り沙汰されましたが、グルシュコフは生前、「ベレゾフスキーは暗殺された」と強く主張していました。

 そのベレゾフスキーと連携していた元FSB中佐のアレクサンドル・リトビネンコは、やはりイギリスを拠点に反プーチン活動を行っていましたが、2006年に猛毒の放射性物質ポロニウムを使って毒殺されました。そんな物質を使えるのは一部の国家機関しか考えられませんが、実行犯としてロシアの2人の元KGB要員が特定されています。

 2人は元KGBの第9局(警護局)の元要人警護要員で、その後、「連邦警護局」(FSO)を経て民間でセキュリティ・ビジネスを行っていました。おそらくFSBの下請けと思われますが、逃げ帰ったロシアでは政府に非常に優遇され、うち1人は後に下院議員になっています。

 その他にもイギリスでは、2008年にベレゾフスキーの側近だったグルジア人実業家のバドリ・パタルカツィシビリが、2012年にはロシア人実業家のアレクサンドル・ペレピリチヌイが、やはり不審死を遂げています。他殺とは断定されていませんが、こう不審死が続くのは、やはりロシア情報機関による暗殺の可能性は高いと思われます。

どこまでも伸びるロシアの長い手

 ロシア暗殺チームの手は、イギリス以外にも伸びています。

 2014年から敵対関係に入ったウクライナでも、ロシアの破壊工作と思われる事件が相次いでいます。たとえば2017年だけをみても、3月には元ロシア検察官でプーチン政権と対立してウクライナに逃亡していたデニス・ボロネンコフが射殺されており、6月にはウクライナ軍の特殊部隊指揮官マクシム・シャポワル大佐が、キエフ市内で車両に乗車中に爆殺されています。

 あるいは、これも不審死でいえば、元プーチンのメディア戦略のトップアドバイザーだったミハイル・レシンは、2015年11月、訪問先の米国ワシントンのホテルで変死しました。彼はFBIと密かに接触していたとの未確認情報もあり、ロシアによる口封じの可能性があります。

 ロシア本国での暗殺は、さらに枚挙に暇がありません。プーチン批判記事で知られた「ノーバヤ・ガゼータ」のアンナ・ポリトコフスカヤ記者が2006年に自宅エレベーター内で射殺された事件が有名ですが、それ以外にもプーチン政権を批判しているジャーナリストが毎年複数人という率で暗殺されています。

 また、野党指導者の暗殺も多く、エリツィン政権で第1副首相も務めたプーチン批判派の最有力政治家だったボリス・ネムツォフは、2015年2月、モスクワ市内の橋の上で射殺されました。この事件では、実行犯としてチェチェン共和国内務省部隊隊員ら5人が逮捕され、有罪判決を受けています。ただし本人たちは、拷問による嘘の自白などと主張しており、真相は不明です。

トランプのロシアゲート報告書の情報源も変死

 他にも暗殺された政治家や実業家は数多くいますが、多くのケースで犯人は捕まっていません。

 アメリカの元情報機関員が会員の「元情報オフィサー協会」(AFIO)の機関誌『インテリジェンサー』2016年11月号の記事「スターリンの弟子~ウラジミール・プーチンとロシアの最新【ウェット・アフェアーズ】(ウエット・アフェアーとは、暗殺などの血なまぐさい事件を指す隠語)では、プーチンの権力奪取以降にロシア情報機関によって暗殺あるいは攻撃された可能性がある主な被害者40人のリストがあります。すべてがロシアのしわざとは断言できませんが、興味深いリストです。

「スターリンの弟子~ウラジミール・プーチンとロシアの最新【ウェット・アフェアーズ】

 このリスト以降の最近の注目される例でいうと、2016年12月、モスクワで元FSB幹部のオレグ・エロビンキンが、変死体で発見された事件があります。エロビンキンは国営石油会社ロスネフチ社の幹部になっていましたが、前述した元MI6ロシア部長のクリストファー・スティールがトランプ=ロシア関係を調査したときの情報源の1人と疑われていました。スティールの報告書に、プーチン側近のロスネフチ社会長イーゴリ・セチンの関係者から情報を得たことが書かれていたからです。

 2017年2月には、モスクワ在住の反プーチン活動家の元テレビ局員ウラジーミル・カラムルザが、謎の中毒状態で昏睡状態に陥るという事件もありました。これもロシア情報機関の犯行とは断定できませんが、まさにプーチンに逆らう者は生きていけないのがロシアという国なのです。

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Photo/Kremlin.ru